第144話
何かと忙しかった冬休みが明け、三学期が始まった。
その日の部活後、この俺――白石鷹昌は、監督室で永瀬コーチに説教された。雑用をもっと丁寧にやるように、と。
昨年行われた選手権のメンバー発表の際、豊原監督の決定に納得がいかず、俺はちょっと意見を述べた。すると部のエースだった相馬先輩に怒られたばかりか、理不尽にも部活棟やトイレ掃除を押し付けられたのだ。
「クソッタレ、ムカつくにもほどがある……」
人影のない校舎の廊下を歩きながら、俺は悪態をつく。
腹立たしいのは、なにも雑用の件だけじゃない。新学期早々、今日は朝からイライラさせられっぱなしだった。原因の大半は俺じゃない方の白石くん、すなわち白石兎和にある。
あのヤロウはテレビ中継ありの選手権の入場行進中にすっ転び、大恥を晒した。この俺を差し置いて特別編成チームに選ばれただけでも万死に値するというのに、栄成サッカー部の看板に泥を塗ったのだ。
そのくせ、ちょっと青森田山との試合で目立ったからって、周囲が過剰に兎和を持て囃しやがる。ウワサだと、女子たちと自撮りしまくっていたらしい。調子に乗りやがって。
思い出すだけでイライラするぜ。あのニヤケヅラに一発ブチかましてやりてえ……そうそう、ムカつくあのツラだ。
「あ……? つーか、本当にゲロ兎和がいるじゃねーか」
靴箱でスニーカーに履き替えて校舎を出る――その瞬間、俺は思わず立ち止まった。
通常の下校時刻を過ぎ、正門はとっくに閉まっている。そのため、駐輪場と隣接する通用門から学校を出て、仲間たちが待っているファミレスへ向かおうとした。
そこで何気なく通用門の方へ目を向けると、ふと視界に飛び込んできたのだ。
冬の夕焼け空の下、女子生徒と親しげに談笑する兎和の姿が。
話し相手は、同じ学年の加賀志保か……誰にでも気さくに接する明るい性格の持ち主で、親しみやすいと評判だ。ショートヘアがよく似合う整った顔立ちに加え、バランスのいいスタイルも魅力的。
加賀の男子人気は、うちの学年に限れば『トップ5』に入る。
そんな女子が、なぜ兎和ごときと……よく一緒に行動するグループのメンバーとして交流があるのは知っていた。夏休みに川でも顔を合わせたし。だが、あそこまで親密だとは思わなかった。
続けて観察していると、2人は話を切り上げたらしく手を振って別れた。
その直後だった――俺は信じられない光景を目にする。
自転車に乗って学校を後にする兎和に対し、加賀はまるで花がほころぶような甘い笑顔を向けていた。まさか……いや、あの面差しに込められた感情が何かなど考えるまでもない。
俺の価値観からしてありえないし、あってはいけないことだ。学年でも人気の女子が、あんなクソ陰キャに好意を抱くなんて。
だから、反射的に小走りで近寄って声をかけていた。
「おい、加賀。お前、兎和が好きなのか?」
「はぁ……? いきなり何いってんの。アンタには関係ないでしょ」
返事に合わせて、加賀の顔からすんと表情が失われる。兎和と話しているときとは大違いだ。加えて、こんな風に女子から煙たがられることは滅多にないので、俺はつい怯んでしまった。
それでも、めげずに会話を試みる。どうしても伝えたいことがあったから。
「兎和にホレてるのは見りゃわかる……おかしいだろ。どうしてあんなクソ陰キャなんだよ」
「バカなの? 陰キャだ陽キャだって、アンタたちが勝手にレッテルを張ってるだけじゃない。誰だって、仲良しの人となら自然と楽しくおしゃべりできるんだから」
「……だけど、あいつは俺じゃない方の白石くんだぜ? みんなそう言ってる」
笑えるあだ名を付けたのは、他でもないこの俺である。入学そうそう同姓がいると聞き、気に入らなくてわざと評判を落として回ったのだ。
イケメンでコミュ力も高く、リーダーシップとカリスマ性まで兼ね備えている俺にとって、クソ陰キャの立場を下げるくらいワケない。
今でも多くの同級生が、兎和を『底辺男子』だと見なしているはず……要するに、ホレるなら俺だろって話だ。なにせ、こっちは人気者の一軍男子なんだぜ?
「ホント呆れた……そうやって、人を貶してマウントとるのやめな? 性格悪いよ。ていうか、私の周りだと『じゃない方の白石くん』と言えばアンタの方なんだけど。前はわからないけど、今では兎和くんって超人気者だし」
「そんなわけ……」
「あるでしょ。文化祭でもすっごく目立ってたし、大晦日の試合であんなにカッコ良く活躍したんだから。うちの学校では、もう『白石』といえば兎和くんなんだよ」
頭の中が真っ白になり、ただ口をパクパクさせることしかできなかった。加賀の反論が耳に入った瞬間、俺の思考回路を焼き切るほど強烈な衝撃が走ったのである。
面食らって、キレることすら忘れていた。こんな経験は生まれて初めてだ。
「アンタ、ハッキリ言ってダサいよ。妬んでばかりいないで、これからは正々堂々とサッカーの実力で勝負しなきゃ。じゃないと、いつまで経っても『じゃない方の白石くん』のままだよ」
まずは兎和くんみたいにスタメンを取れるよう頑張ってみれば、と言い残して加賀は去っていく。
訂正させるべく後を追う……つもりだったが、うまく足を動かせなかった。先ほど受けた衝撃がまだ抜けきっていない。それどころか、時間が経つにつれて投げかけられた言葉の重みが増していき、ガラガラと地面が崩れていくような錯覚に襲われる。
相手が格下のどうでもいいヤツならノーダメージだった。しかし学年でも人気があり、一軍女子レベルと言える加賀の指摘は流石にスルーできない。
ダサい、正々堂々サッカーの実力で勝負、じゃない方の白石くん……先ほど耳にした容赦ないダメ出しを心の中で反芻しながら、俺は呆然とその場にしばらく立ち尽くしていた。