第142話
栄成サッカー部は昨年の大晦日、青森田山との激戦に惜しくも敗れ、『全国高校サッカー選手権大会』の舞台から姿を消すこととなった。加えて、創部史上最強と謳われていた3年生たちはついに引退となる。
さらに同日、正月三が日いっぱいまでの『全体オフ』が通達された。キリが良いから、というのが理由だそうだ。
それから年が明け、それぞれ短いオフを堪能して迎えた本日。
栄成サッカー部は、新しい年の活動をスタートさせていた。
ただし、全員ではない。この俺――『山田ペドロ玲音』を含め、選手権で試合に出場していないメンバーが栄成高校の人工芝ピッチに姿を見せていた。
「物足りねーな……軽くボール蹴っていくか」
「お、いいね。付き合うぜ」
本日のトレーニングは、フィジカル中心ながらも軽めのメニューで統一されていた。おまけに時間も短く、午前で終わり。選手権の激闘を目撃して以降、ヤル気マシマシの俺にとってはまったく物足りない内容だった。
そこで、自主トレに励むべくピッチに残ることにした。すると側にいた里中や似たような考えの奴らが集まってきたので、しばらく一緒にボールを蹴った。
その後、ひとり、またひとりと自主トレを切り上げていく。周囲の人影は徐々に減っていき、気づけば仲の良いメンバーだけが残っていた。
「頑張るのはいいけど、今日はボチボチ上がれよー」
やがて、永瀬コーチから引き上げるよう声がかかる。
ちょうどいい頃合いだ。しっかり汗もかけたので、片付けをしてから揃って部室へ戻った。
着替えを済ませると、今度はベンチに腰を落ち着けて自然と雑談が始まる。話題は、今もっともホットな選手権について。メンバーは、俺、里中拓海、大桑優也、池谷晃成、小川大地、の計5人。わりといつメンだ。
「3年の先輩たちがいないから、ピッチが広く感じたな。つーか選手権の青森田山戦、マジでアツかったよな。思い出すだけでもウルっとくるぜ」
プロテインのシェーカーをシャカシャカやりながら、小川が興奮気味に語る。
俺は「間違いない」と首を縦に振って同意した。あの試合は、本当に素晴らしかった。プロにだって劣らない、と部内でも評判だ。実際、今でもこうして語り草になっている。
特に先輩たちの奮闘ぶりには思わず目頭が熱くなった。そのうえ兎和のスーペルゴラッソが飛び出し、俺の涙腺は完全崩壊した。
試合後は、他にもスタンドで応援していた多くのメンバーが涙していた。特にいまサプリメントを摂取している里中などは、人目も憚らず号泣していたな。
「兎和のバズりも、まだ継続中だしね。俺の彼女から昨日、『友だちに白石兎和くんを紹介してほしいって頼まれた』って連絡きたよ。ガチでホレたんだってさ」
「……晃成。まず俺に女の子を紹介するべきだと思うんだが?」
長身で爽やかイケメンGKの晃成は、他校に通うタメ年の女子と付き合っている。その彼女さんの友人が、わりとマジで兎和にホレたのだとか……すかさずインターセプトに入った里中だけでなく、大桑と小川も口を挟みたそうにウズウズしている。
モテない男どもはさておき、兎和の人気は現在うなぎのぼり状態だ。
キッカケは、もちろん選手権。テレビ中継アリの開会式でズッコケて軽くバズった選手が、あの青森田山との激闘で強烈な輝きを放った。無論、メディアが放っとくワケがない。
選手権の公式アカウントが動画サイトに投稿した大会ハイライト(3回戦まで)にはそのシーンもバッチリ含まれており、すでに再生数は20万回を超えている。
さらに、協賛テレビ局の特設番組やニュースのスポーツコーナーでも取り上げられ、大いに注目を集めている。
かくして兎和は、1年生ながら今回の選手権を象徴するスタープレーヤーのひとりへと成り上がった。チームはすでに敗退しているものの、本人にまつわる話題は大会が終わるまで沈静化しそうにない。
そしてごく自然な流れで、ファンを自称する層も増えつつある。これも一時的かもしれないが、中には今さっき話題に上がったガチ恋女子のような存在もいるらしく……神園美月がこの話を耳にしたら、どんな反応を示すか非常に興味深いところだ。怖くもあるが。
「そう考えると……兎和って、やっぱスペシャルなプレーヤーだったんだね。普段の控えめな様子からするとちょっと信じられないよなあ」
大桑のしみじみとした呟きに、他の3人が『それな!』と食い気味に同意する。
個人的に驚きはない。コンビを組む機会が多い俺の瞳には、スペシャルなプレーヤーとして兎和の姿が映り続けていたからだ。それは、初めてのリーグ戦で共にプレーしたときからずっと変わらない。
あの爆発的なアジリティを核とする緩急自在のドリブルは、もはや高校レベルを超えている。事実、『絶対王者』とも評される青森田山のディフェンダー相手に圧巻の3人抜きを成し遂げてみせた。
しかも、いまだ『トラウマ』の影響で能力を抑制されているというのだから恐ろしい。神園のサポートあってこそのトップフォームなのだとか。伸びシロしかない。
「スペシャルか……自分が『特別』じゃないって、いつ自覚した?」
どこか寂しげな口調で、里中が問いを投げかけてくる。
俺は……小学校の高学年くらいだったか。身体能力を理由に前線からディフェンスへ回され、現実を理解させられた。
それでもサッカーを続けてこられたのは、『左利きのディフェンダーは希少だ』なんて評価に活路を見出したから。最近じゃ守備力向上にも余念がなく、CBまで兼任できるよう努力を重ねている。
他の皆はどうなのか、と反応をうかがう。
すると、小川がちょうど口を開こうとするところだった。
「俺は、中学入ってすぐだったな。今でも鮮明に覚えている……学年で一番カワイイ女子が、サッカー部のキャプテンを呼び出して告白したんだよ。それで『ああ、俺じゃないんだ』とか思ってさ」
そもそも小川は、学外のジュニアユースに所属していた。そのせいで存在感自体が薄かったらしい。それでも、淡い好意を抱いていた女子が自分以外を選んだ衝撃はかなりのものだったという。
ややズレた感はあるが、なかなか切ないエピソードを聞かされた。
他のメンバーも同様に、大なり小なり挫折感を伴う出来事に遭遇してきたそうだ。
元は全員が特別だったはず……しかし年を経るごとに現実を思い知り、プライドに折り合いをつけながら、なんとか今の自分に落ち着いていった。
一方、同じ部にはまったく逆の因果をたどる者がいる。
時の流れに研磨され、特別を通り越して唯一無二へと進化した――そんな怪物が。
「……正直、ビックリだよね。俺は入部した当初、兎和じゃない方の白石(鷹昌)くんがチームの軸になると思ってたよ」
またも大桑の発言に頷く。俺も最初は、鷹昌のヤロウがエースとしてプレーするものだと考えていた。けれどフタを開けてみれば、急激に台頭してきたのは兎和の方だった。
「ともあれ、この先どんな能力が求められるかハッキリした――プレースキルの他に、兎和との相性が重視される」
俺が口にしたのは、今後のスタメン選考に関する予想だ。
これまでの試合を通じて、兎和の実力は十分に証明されている。だがこの選手権で、高校サッカー界のトップすらも凌駕しうる選手であることが誰の目にも明らかとなった。
つまり現状、中心に据えるもっとも大きく重要な歯車が決まった段階だ。ならば、他のパーツはその噛み合わせを基準に選定されるのが妥当だろう。
可能であれば、プレースタイルを変えてでもアジャストさせた方が利口かもしれない……それほどまでに、兎和のポテンシャルはずば抜けている。
「でもよ、エースとしてチームを牽引する兎和の姿ってイマイチ想像しづらくないか?」
『わかるっ!』
里中の発言を受け、他のメンバーは声を合わせて同意を示す。
パッと見で判断すれば、兎和はわりと頼りない印象を与える。おまけに神園の助力が必要という条件付きで、どうしてもプレーに波が生じる。
「まあ、多少不安はある……が、ポテンシャルは間違いない。なにせ、『栄成のエル・コネホ・ブランコ』だからな。あとは、俺たちがしっかりと支えてやれば問題ない。状況によっては選手権の頂点だって狙えるさ」
「ぶっちゃけ、鷹昌よりは何百倍もいいよな。しゃーない、頼りないエース様をしっかり助けてやりますか」
俺がサポートの必要性を訴えると、小川が真っ先に応じてくれた。
他のメンバーも、揃って異論はない様子。ここにいる5人の意思が統一されれば、おそらく同学年の部員の半数以上から合意を得ることができる。
「よし。じゃあ来年か再来年、ガチで選手権のてっぺん目指そう――兎和がいれば、きっと不可能じゃない。後悔だけはしないように、相馬先輩たちみたいに全力でやろうぜ!」
『おうっ!』
里中が話をまとめると、またしても皆の声が自然と揃った。
俺たちはこの日、エースたる兎和のために駒として働くと決めた。黒子に徹することさえ厭わない、と。そして選手権での優勝を目指し、限界ギリギリの努力を重ねると誓い合った。