第141話
自分にできることは可能な限りやった――結局、僕が今回の『全国高校サッカー選手権大会』でプレーした時間は、わずか15分にも満たなかった。PK戦にも参加したとはいえ、ただシュートを1本蹴っただけ。
それでも疲労困憊となり、ふらふらで帰宅するハメになった。夜になると高熱が出て、ベッドで意識朦朧のまま新年を迎えた。
寝込んで1日と少しが経った今もまだ具合が悪く、カーテンを閉め切った暗い部屋の中で横になっている。メンタルだけでなく、体もまるで充電が切れたみたいに重い……この症状はおそらく、メンタルのオーバーヒートによるものだ。
選手権の間は、相馬先輩たちや美月のことで頭がいっぱいで……ある種のゾーン状態が続いており、無我夢中で駆け抜けられた。おかげで個人スタッツも上々。
しかしトラウマを払拭できてない現状、それはブレーキをかけながらアクセルを踏むのと同じ道理で、内面では相当な摩擦が発生していた。結果、こうして体が不具合を起こしてしまったのだ。
何より、青森田山に勝てなかった。
どうしても勝ちたかった。僕がチームを勝たせるんだ……本気でそう思って戦っていた。だからこそ、ちょっと反動が大きかったらしい。
まあ、他にも『心に引っかかっていること』があり、しばらくは起き上がれそうにないほどダメージが蓄積している。
不思議とお腹もすかないし、ダルくて指の一本も動かしたくない。
そういえば、こんなことが以前にもあったな。あれはいつだっけ……ああ、そうだ。昔のチームで『イジり』が激しくなってきたころだ。
とはいえ、今と比べるとずっと症状は軽かった。当時はすごくツラかったんだけどなあ……嫌な思い出のはずなのに、今となっては懐かしさを覚えるのだから不思議で仕方ない。きっと美月のおかげだろう。
僕はぼんやり、専属マネージャーの麗しすぎる顔を思い浮かべた。
するとそこで、コンコンと自室のドアがノックされる。
きっと母だろう。僕はノロノロと布団から頭を出し、「入っていいよ……」と弱々しく返事をした。できれば少し放っておいてほしかったが、心配して様子を見にきてくれるのでそう無下にもできない。
ところが、ドアから顔を覗かせたのは母じゃなかった。
というか、現れたのは先ほど思い浮かべたばかりの人物だった。
「あけましておめでとう、兎和くん。今年もよろしくね」
「美月……あ、うん。よろしくです……」
「寝込んでいるって聞いて心配になって来たんだけど、かなり具合が悪そうね」
ニット系コーデの私服を着た美月が、茶目っ気たっぷりな笑顔とともに部屋へ入ってくる。
メッセで連絡は取っていたけど、いつの間に我が家へ……妹が呼んだに違いない。ついでに、ちょっと見舞いにでも寄ってくれたのだろう。
「あら、本当に熱を出していたのね」
「仮病なわけないだろ……」
ずいずいっと入室してきた美月は、そのまま僕が横たわるベッドの端に腰を落ち着ける。次いで、おでこに手を当ててきた。なんかすげえいい香りがする。
一方、こっちは髪もボサボサだし、昨日は風呂にも入っていないから匂いとか……素直に恥ずかしい。反射的に背を向け、ガバっと布団に潜り込んだ。
「あ、隠れちゃった。急にごめんね。でも兎和くんのことだから、試合に負けた以外でも何かあって引きこもっているんじゃないかと思って」
「マジで体調が悪かったんだ……けど、それもちょっとある」
僕の背中に、そっと重みと体温が加わる。どうやら美月は、構わず話を続けるつもりらしい。
そして体調不良で気が滅入っていたせいか、普段なら明かさないような内容までうっかり口にしてしまった。
確かにこの発熱は、トラウマをもとにしたメンタルのオーバーヒートが原因だ……けれど、選手権で敗退して以降ずっと燻っていたある思いが、その症状を一層重くしていた。
より具体的に言えば、先ほど頭に浮かんだ『心に引っかかっていること』が、精神をチクチクと苛んで負荷をかけているのだ。
「……あの試合に負けた瞬間、僕は『ああ、もう終わりか』とか考えちゃったんだよ」
本音が漏れた勢いで、溜め込んでいたものを全て吐き出すかのように口を動かす。
試合終了のホイッスルを聞きながら、僕は真っ先に自分の都合ばかり考えていた。PKを外した相馬先輩への心配すらも二の次で、ただもっとプレーしたかったと。
口ではあれだけ『先輩たちのために』とかほざいていたクセに、なんて薄情なやつだ。あまりに利己的すぎて自分の性根を疑った。
おまけに、泣きじゃくって皆に慰められてしまった。どう考えても逆だろ……泣きたいのは、試合に負けて引退を迎えた先輩たちの方だってのに。何より、相馬先輩にとってはサッカー人生を懸けた大会だった。
無神経すぎて、本当に嫌気が差す――それなのに、まだ心が叫ぶのだ。もっと選手権の舞台でプレーしたい、勝ちたい、と。
「……この年になって、やっと自分の性格の腐り具合を認識できた。道理で人に嫌われやすいわけだ」
本音を打ち明けた僕は、ぐっと膝を抱えて体を丸める。美月の反応が怖くなり、身構えてしまった。しかし耳に届いたのは、予想に反して弾んだ彼女の声だった。むしろご機嫌まである。
「腐ってなんかないから安心して。それはね、選手にとって必要不可欠なエゴであり、闘争心と呼ばれる力の源なの。つまり兎和くんが、本当の意味でサッカー選手として歩き始めたってことなのよ」
サッカー選手として……言われてみれば、僕はこれまで主体性に欠けるところがあった。美月がうまく導いてくれなければ、流されてとっくにダメになっていたはず。
そう考えると、確かにあの感情を抱いた瞬間が、選手として自ら刻んだ第一歩だったのかもしれない。
「一人ぼっちで膝に顔を埋めていた少年が、一人前のサッカー選手として歩き始めた。今後はどんな冒険が待っているのかしら」
楽しみで仕方ないわね、とクスクス笑う美月。
つられて僕も、つい笑顔を浮かべ……そうになって、キュッと唇を噛む。あと一つ、どうしても晴れない心残りがある。
相馬先輩と試合中に交わした、『次のステージに連れて行く』という約束を果たせなかった。大口を叩いておきながら、青森田山のマークに抑え込まれてしまったのだ。裏切ったような気がして、どうにも自分を許せそうにない。
だが、耳に届いたのはまたしても美月の明るい声。
「そうなんだ。じゃあ、次の選手権は3回戦以上に進まないとね」
「え、次……?」
「うん。だって、約束に『今大会に限る』って条件は含まれてないでしょう? なら、次の大会でも当然有効よ」
「そんな、悪い政治家みたいなやり口……アリなの?」
「誰が悪い政治家よ! とにかくアリアリ、オオアリクイよ」
いきなり光明が差し込んできたような気がして、僕はガバッと布団もろとも勢いよく跳ね起きる。
あれ、美月がいない。どこいった……と周囲を確認した矢先、彼女はベッドの下から不満げに顔をのぞかせた。
「もう、急に落とさないでよ! でもいいわ。元気が出てきたみたいね」
「ああ、おかげで……美月、僕はもっと頑張らないと!」
美月が照らしてくれる道を歩むだけで夢を叶えられる。選手権にも優勝でき、やがてJリーガーになれる――僕はそんな風に、漠然と思い込んでいた。
けれど、高校サッカーはそこまで甘くなかった。
実際、青森田山の戦術にあっさり抑え込まれてしまった。
ならば、自分をさらにレベルアップさせるしかない。相手に何枚マークを付けられようとも、軽々ブッちぎれるような力を身につける。それこそ、『怪物』や『フェノーメノ』と呼ばれるくらいに。
そのためには、もっと集中力を研ぎ澄まし、より高みをイメージしながらトレーニングへ打ち込まなければならない。もちろん、これまでも手を抜いてきたわけじゃない。けれど、これは意識の『質』の問題なのだ。
それで、来年こそ相馬先輩との約束を果たす――そんな思いを、精一杯言葉にして伝えた。
すると美月はふわりと笑い、そっと右手を伸ばして僕の頬に触れる。
「兎和くんはもう十分頑張っているわ。だけど、どんなときでもひたむきに努力し続ける、私はあなたのそういうところが大好きなの。本当に尊敬している――よくできました! 100点ハナマルね!」
過去のダメな自分ごと、やわらかな日だまりにそっと抱きとめられたような心地になり、離れがたいほどの穏やかさが胸いっぱいに広がっていく。
ああ、そうか僕は――心のなかで色とりどりの感情が重なり合い、大きな虹をかける。
「じゃあ、私はそろそろ帰るわね。ゆっくり休んで、早く体調を治してね」
僕は「あ、うん」とうわの空で返事をし、部屋を出ていく美月を見送った。
その夜、熱はすっかり引いていた。
***
美月が突如訪問してきた翌日。
あれほどダルかった体は嘘みたいに軽く、いつも以上に清々しい朝を迎えた。そこで僕はベッドから起き出し、朝食を取るべくリビングへ向かう。
「あ、お兄ちゃんおはよー。もう体調はいいの?」
「おはよ。うん、もうすっかり良くなった」
ダイニングテーブルでは、妹の兎唯がモコモコの部屋着姿のままお雑煮をすすっていた。
ちょうどいい。話したいことがあったので、対面の自分の席に腰掛ける。次いで、テーブルに両肘を立てつつ両手を口元に当て、重要な案件を伝えるみたいな態度で改めて口を開く。
「ちょっと聞いてほしいんだけど……僕、美月のことが好きっぽい。もちろん『ラブ』のほうね」
あれからひと晩考えてみたが、どうもそうらしい。
文化祭で加賀さんに尋ねられた際は、抱く様々な感情の色彩が重ならないことを理由に『違う』と答えを導いた。
しかし昨日、僕はふと重大な見落としに気づいた――『友情』『尊敬』『憧れ』『推し』といった感情は、まるっと『愛情』に包括されるということに。
もとより、すべての色彩は白いキャンバスの上に塗られていたのだ。
結論、愛はとても偉大である。
「ふーん」
「ふーん、って……ずいぶん反応薄いじゃん」
「別に驚くような話じゃないし。相手は、『美の女神』にして清らかな心を持つ美月お姉さまなんだよ? ちょっと一緒に過ごしたら、そこらの植物だって好きになるわ」
植物……盲信がすぎるだろ。
それはそうと、やっぱり意外だ。我が妹の性格を思えば、『取り持ってあげる』くらいのことは言い出すんじゃないかと予想していたのだが。
僕と美月が、そ、その……奇跡的に付き合ったりして、将来もし結婚とかしたら本当の家族にだってなれる。妹としても願ったりかなったりのはず。
「美月お姉さまと兎唯、それに涼香ちゃんの三人は、桃園で盃を交わしあった仲なの。生まれた日は違えど死すときは同じ時を願わん、ってね。だから、お兄ちゃんのせいで気まずくなったりすることはないから安心して」
「なんか、乱世の英雄っぽいエピソードですね……三国割る感じかな?」
「というか、お兄ちゃんには自由に恋愛してほしいの。だから、兎唯のことは心配しないで大丈夫だよ」
兎唯ちゃん……言い方はアレだが、本心ではこの兄を思いやってくれていることはよく理解できた。相変わらず最高の妹だ。お年玉も入ったことだし、今度また洋服でも買ってあげようかな。
「まあ、どうせ恋愛の『れ』の字も知らないだろうから、相談くらいはのってあげる。お兄ちゃんと比べたら、イルカの方がまだ恋愛に詳しいだろうし」
イルカ……今年もうちの妹のトークスキルは絶好調みたい。
ともあれ、頑張ろう。具体的なプランとかはなにもないけど――いや、ひとつだけ今決めた。
次の選手権で優勝できたら、美月に気持ちを打ち明けよう。
もちろん、それまでは秘密だ。というのも、『私を好きにならないように』と本人に念を押されているから。少しばかり後ろめたい。
だから、優勝をもって償いとする。きっと美月も許してくれる……はず。告白の成否に関しては当面考えない。怖いし、悩んでも意味ないし。
とりあえず、時がくるまでは現状の距離感をキープする……できるかな?
まあ、頑張ろう。
そうと決めたら、早速トレーニングでもするかな。
あ、そうだ。その前に、ちゃんと伝えておかないと。
「兎唯、あけましておめでとう。今年もよろしく」
「ほーい、おめでとう。兎唯もよろしくねー」
こうして、僕の新しい1年がようやく動き出した。
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