第138話
同点シュートを決めた兎和くんは、人差し指を真っすぐこちらに向けながら自陣へ戻っていく――あのゴールパフォーマンスは、きっとこの私、神園美月へのバースデープレゼントに違いないわ!
「兎和くんッ! ナイスゴール!」
約束を覚えていてくれたことが堪らなく嬉しくなり、反射的に席を飛び出した。その勢いのまま観戦席の縁の手すりに齧りついて身を乗り出し、名前を叫びながら人差し指を向け返す。
興奮や感動がごちゃ混ぜになって込み上げてきて、もう頭がどうにかなっちゃいそう!
相馬先輩たちの繋ぎも良かった。何より、その先の展開はまさに圧巻。
ドリブル突破からフィニッシュまで、息つく暇もないスーパープレーの連続だった。シュートは『コース・スピード』ともに申し分なく、相手GKも反応したもののほぼノーチャンス。
エル・コネホ・ブランコの異名は伊達じゃない。兎和くんのプレーはこれまで何度となく見てきたけれど、青森田山にも通用していた。
ポテンシャル発揮時は、間違いなく高校レベルを逸脱している。いわゆる『外れ値』、規格外のスーペルクラックだわ。
大会前に注目されていた青森田山の主将でも、栄成のエースとして有名な相馬先輩でもない――彗星の如く現れたニューヒーローに観衆はすっかり魅了され、その衝撃が抜けきらずいまだに騒然としている。
それはそうと、あらかじめ『青いタオルを持参してほしい』と皆にお願いしておいて本当によかった。合図も自然に揃って、まるで大波が押し寄せるような迫力ある光景を生み出せた。きっと兎和くんの力になったはず。
「本当に兎和くんはスペシャルだねえ。まさに『アジリティモンスター』って感じ……うん、率直に怪物だね。とはいえ、この試合はちょっと栄成が不利かな」
「はぁ? どうして不利なのよ! 同点に追いついて、流れはこっちに傾いているじゃない!」
腕を組み、訳知り顔で語る兄の旭陽を睨みつける。兎和くんが大活躍したっていうのに水を差すなんて、いくら温厚な私でも腹が立つわ。
時間はまだ少し残っている。それに後半はこのままスコアが動かなくても、延長に入れば逆転だって不可能じゃない……って、あぁぁああ!?
「思い出した? 美月。この試合、延長はないよ。後半の40分が終わったらすぐに『PK戦』で決着をつけることになる」
そうだ……選手権の1回戦~準々決勝までは、『試合時間は80分。決着がつかない場合、『PK戦』により勝利チームを決定する』と定められているんだった。
加えて、PK戦ともなれば経験とメンタルの強さが問われる。選手権常連の青森田山と初出場の栄成、どちらが場馴れしているかは言うまでもない。
現在は、後半35分を過ぎたところ。こうなれば何としてでも追加点が欲しい……けれど、さすがの兎和くんでも時間が足りない。残り1回でもドリブルを仕掛けられるチャンスがあればいい方だわ。
まして相手は絶対王者、対策をしてこないはずがない――私の嫌な予想は、試合リスタート後すぐに現実のものとなる。
「やっぱり、青森田山はフォーメーションを変えてきたか……うわ、『5-4-1』だ。ガッチガチに固めてきたな。案の定、PK戦なら有利だと考えているわけだ。相手の監督はとんでもないリアリストだね」
言って、兄は眉間にシワを寄せた。
ルールの範囲内で許される限りの手段を講じ、試合に勝つためにはどんな戦術でも全力を尽くして実行する――徹底した『勝利至上主義』の哲学こそ、青森田山が絶対王者と呼ばれる所以である。
「相手が嫌がるプレーをしながら失点を減らす、という方針のチームみたいだね……ソースはネット、いまスマホで検索した!」
続けて涼香さんが、たったいま得たばかりの情報をドヤ顔で伝えてくれた。
ちょっとイラッとする……けれど実際、試合の展開はその通りに推移している。
失点時に監督の指示が飛んだようで、相手は守備ブロックを厚くし、PK戦を見据えた布陣へとシフトした。こうなると、そう簡単には崩せない……攻撃の方は、必然的にロングボール主体のカウンター頼みだと予想できる。
さらに驚くべきことに――
「兎和くんに、べったりマークが……しかもダブルチーム!?」
私は思わず声を荒げる。
マッチアップする相手選手が影のようにピッタリ張り付き、同サイドにボールが入るともう1枚がすかさず寄ってきて、ダブルチームでの徹底マークを開始した。
それだけではない……兎和くんがボールを持って足を止めた瞬間、すぐさま追加のディフェンダーが寄ってきた。結果、3枚ものディフェンダーに囲まれて強烈なチャージを受けてしまう。
「あぁ!? プレーが荒すぎよ――If you hurt my Towa, I’ll wreck you! Red card? Bring it on, I don't care!」
「兎唯のお兄ちゃんをいじめるなーッ!」
「ちょっと2人とも、そんなに乗り出したら落ちちゃうから!? あと美月ちゃん、またそんな汚い言葉どこで覚えてきたの!」
私と兎唯ちゃんはいてもたってもいられず、握りしめた手すりを必死に揺さぶる。しかし頑丈な金属は当然ビクともせず、揃って逆に体を前後させることしかできなかった。
その様子を見た涼香さんが慌てて止めに来たものの、今は周囲の反応なんてどうでもいい。困り顔の祖父も放置。
あの青森田山が、兎和くん包囲網を形成した。選手権に初出場した高校のリザーブで、現時点では無名の1年生プレーヤーに最大級の警戒を示す――この事実は、絶対王者からの異例のリスペクトに等しい。
ある意味、名誉なことだ。布陣を変え、対応に多大なリソースを割く。そうまでしなくては抑えられない選手、そう認知されたのだから。
正直、また感極まってしまいそうになる……それでも、この状況は歓迎しがたい。勝利への道のりは、これまで以上に険しくなった。
もっとも、今は声援を送り続けることしかできない。私と兎唯ちゃんは観客席の縁の手すりに齧りついたまま、一瞬たりとも目を離さずに激闘の行く末を見守る。
***
あっぶなかった……冬の西日が照らすピッチに這いつくばりながら、心の中で安堵する。
同点に追いついた後、青森田山の戦術が明らかに変わった。ガッチガチの守備的フォーメーションだけでなく、僕にピッタリマークをつけてきた。
向こうの監督、そうとうなリアリストらしい。危険だと判断すれば、無名の1年生(僕)に対してもきっちり対策を講じてくる。
屈強なフィジカルを持つ相手ディフェンダーにピタリと体を寄せられては、ドリブルどころかターンすらままならない……先輩たちが懸命にボールを繋いでくれているのに、バックパスを出すだけで精一杯。
しかもつい先ほどは、相手バイタルの手前でトラップした途端3枚に囲まれ、猛烈なチャージを受けた。主審がファウルを取ってくれたおかげで助かったが、危うくカウンターを食らうところだった。
さすが青森田山、並々ならぬ執念だ……勝利至上主義を掲げ、ルールの範囲であればダーティーなプレーすら厭わない。ガンガンぶつかり、圧倒的フィジカルで相手を粉砕する。ゆえにこそ、絶対王者。
もちろん永瀬コーチから事前に聞いてはいたが、ここまでとは……僕は得点を取れたものだから、無意識に甘く見ていたようだ。
「おい、兎和。大丈夫か?」
主審がフリーキックの判定を下すと、キッカー担当の相馬先輩が駆け寄ってきて心配げに声をかけてくれた。
僕は立ち上がり、「問題ないっす」とサムズアップを返す。続けて、相手ゴール前でセットプレーの態勢を整える他の先輩たちのもとへ向かおうとした。
ところが、歩き出した矢先。
グイッと肩を掴まれ、その場に引き止められる。
「まあ、待てって。せっかくだし、キッカーやってみない?」
「え、僕が……?」
「ああ。実は俺、ちょっと蹴れそうにないんだよね」
僕の肩に手をかけたまま、相馬先輩は少しだけ右足を浮かせて見せる。
そういえば堀先輩が負傷した際、同じように座り込んで足首を気にしていたな。ロングスローから失点し、僕が交代でピッチに入ることになった場面だ……まさか、あのときすでに怪我をしていたのか!?
「イケると思ったんだけど、今になって腫れてきやがった」
最初は軽い違和感に過ぎなかったけれど、段々と腫れ始めた。幸いプレーを断念するほどではないものの、少し痛みがあってキッカーを務めるのは難しいという。
本来なら、すぐにでもベンチへ引っ込んで治療すべきだ。僕たちは、わずかな残り時間を10人で戦い抜けばいい。
もっとも、本人がこの土壇場でピッチを去るなんて納得しないだろうけれど。
「この試合は、どうしても最後までプレーしたい。足がダメになってもいい……迷惑をかけるが、頼むよ」
そう言うだろうと思っていた……相馬先輩にとって、この選手権はサッカー人生の集大成だ。無理でも何でも、最後の瞬間までピッチに立ち続けたいに決まっている。
逆の立場だったら、僕だって同じ頼みをしていたはず。
「……わかりました。僕がどうにか、相馬先輩を次のステージへ連れていってみせます」
「はは、言うじゃん――なあ、兎和。やっぱりサッカーは最高に楽しいな」
はい、と。
頬を伝う汗を拭いながら、迷いなく頷いた。
直後、相馬先輩がセットしたボールをちょんと転がしてタイミングをズラす。間髪入れず、僕は右足を振り抜いてゴール前へハイボールを送り込む。
狙いは、相手ディフェンダーとGKの間のスペース……だったが、やはり付け焼き刃のトリックプレーが成功するほどサッカーは甘くない。結局ボールには誰も合わせられず、そのままゴールラインを越えてしまう。
以降、猛攻を仕掛ける栄成、ゴールマウスに鍵をかけて虎視眈々とカウンターを狙う青森田山、といった構図で試合は進む。
僕は絶えずパスを呼び込み、容赦ない相手のチャージに何度も吹き飛ばされた。それでも歯を食いしばり、汗だくの体で何度だって立ち上がる。
「はぁ、はぁ……くそっ……」
先輩たちは自ら潰れ役を引き受けながらも、僕を信頼してボールを託してくれる。その思いに突き動かされ、必死でプレーする。
何より、アクシデントに見舞われた相馬先輩が悔いなく大会を終えられるように……いまは僕がエースとして、このチームを引っ張らなくては。
だが、あまりに時間が足りなかった。
ほどなくして、後半終了を告げるホイッスルの音がピッチに響き渡る。
肩で息をしながら立ち尽くし、僕は西日を降らす冬空を仰ぐ――大晦日の激闘は、ついにPK戦にまでもつれ込んだ。
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