第137話
少年らしい面影と大人の輪郭が溶け合うような表情を浮かべ、選手権のピッチに立つ兎和くん――そんな彼と、スタンド最前席で手に汗握る私、神園美月の視線がぶつかる。
その瞬間、昂ぶる気持ちに身を任せ、青いタオルを翻しながらいつもの合図を叫んでいた。
間髪入れず、大声援が私を包み込む。兎唯ちゃんや涼香さんなど、周囲で一緒に兎和くんを応援していたメンバーが一斉に叫んだのだ。
同時に、一陣の青い風が鮮やかにピッチを切り裂く――兎和くんが、撃ち放たれた弾丸のようにピッチを駆けだした。
彼の生まれ持つ爆発的なアジリティが顕現する。敵陣中盤のオープンスペースに送り出されたスルーパスめがけ、独特なスプリントフォームで滑るように疾走する。
けれど、さすがは絶対王者。ディフェンスの準備をしっかり整えていた相手の『6番(DMF)』がわずかに早く動き出し、真っ向から詰め寄ってきている。このままでは、紙一重でインターセプトされてしまう。
私はやきもきして、思わず手のひらをぎゅっと握りしめる……しかし直後、ピッチで衝撃の展開が繰り広げられ、思わず目を見開く。
「はっや!?」
背後から降ってきた誰かの驚きの声は、状況を端的に表していた。
力強くピッチを踏みしめた兎和くんが、もう一段ぐんと加速したのである。そのまま、先んじてボールに触れるべく右足が伸ばされる。
対峙する相手ディフェンダーはひきつったような表情を浮かべ、身を低くしてスライディングを敢行。ここで止めるには、他に選択肢はない。
間をおかず、交錯する両者。
すると、ぴょんっ――兎和くんはつま先でボールをフリックするや否や瞬時に跳躍し、滑り込んできた相手の体を軽やかに越えていく。
「――エル・コネホ・ブラァアアアアンコッ!」
少し離れた位置から、山田ペドロ玲音くんの絶叫が響いてくる。わずかに遅れ、スタンドからも驚愕混じりの歓声が轟く。
たったワンプレーでピッチの主役へと躍り出た兎和くんは、着地でよろめきながらもすぐに態勢を立て直していた。
颯爽と野を駆け抜けるウサギの如き緩急自在のドリブルを武器に、相手ディフェンダーをたちまち混乱に陥れる。それゆえ、いつしか『栄成のエル・コネホ・ブランコ(白ウサギ)』と称されるようになった……私はウワサでそう聞いていた。
誰が言い出したかは知らないけれど、本当にピッタリのあだ名ね!
ピッチに熱視線を向けている皆も、きっと同じ気持ちのはず。何より、さっきの加速……あれは、トラウマ克服トレーニングの成果のひとつよ。
ただトラウマを克服するだけじゃない。スキルに磨きをかけるべく、日夜ひたむきに努力を積み上げてきたんだから!
最高の基礎スペックは順調に伸びている。同年代のライバルたちじゃ、今に太刀打ちできなくなるわ! 近い将来、無敵のサイドアタッカーとして全国に名を馳せるのよ!
たったワンプレーなのに、鳥肌と妄想が止まらない。
私の興奮メーターの針は、あっさりレッドゾーンを突き抜けた。欧州有数のスタジアムで、メガクラブの試合を生観戦したとき以上に胸が高鳴っている。
そして、両隣の兎唯ちゃんと涼香さんの手をぐっと握り込んで見守る先には、さらなる熱狂が待つ――兎和くんは軽やかなタッチでボールをコントロールしつつ、すっと上体を傾けて流れるように前進開始。コースは敵陣中央。
力強く、一歩、二歩、とピッチを踏みしめるたびにぐんと加速していき、再び瞬時にトップスピードへ到達。驚愕の高速ドリブルで相手ゴール目指して突き進む。
異次元の加速を目撃した両応援団はチャントを歌うのも忘れ、固唾をのんで展開を見守る。
一方、青森田山ディフェンダーも素晴らしい対応を見せる。試合終盤の集中力が切れやすい時間帯にもかかわらず、味方が躱された時点ですでにポジショニングを整えていたのだ。
立ちはだかるのは、相手CBが2枚。実力は間違いなく全国屈指。フィジカルは、並のプロにも引けを取らない。
挑戦者たる兎和くんがペナルティボックス手前に到達するまで、数秒もかからない。その流れのまま、否応なしに『1対2』の対決へ突入する。
状況は、数的優位で迎え撃つ守備側が圧倒的に有利。
ファーストディフェンダーがプレッシャーをかけるべく距離を詰め、セカンドディフェンダーは抜け目なくカバーリングポジションを確保している。配置は横並びで前後の距離感も良く、隙は微塵もうかがえない。
マズいわね……このままでは、ゴール正面からはじき出されてしまう。味方もフォローに入ろうとしているけれど、兎和くんを活かすために潰れ役を演じたせいでやや遅れが目立つ。
私は大声をだして、栄成の前線メンバーへ檄を飛ばそうとする――まさにその刹那、ピッチで披露された圧巻のテクニックを見て口を噤む。
兎和くんはためらいなくドリブルで仕掛け、一気に抜きにかかった。
ファーストディフェンダーと正対するやスピードを緩め、奔流のようなシザースと左方向へのボディフェイントを繰り出す。これで相手の重心を外し、足の並びを揃えた。
続けざまに、左足のインサイドで逆方向へボールを転がしつつスライド。あわせて右足インサイドを使い、軽快なテンポにのって前へボールを送る――得意の神速ダブルタッチで、狭いスペースをこじ開ける!
ここでセカンドディフェンダーがカバーに動くも、すでに手遅れ。
閃光のような鋭い踏み込みから、兎和くんはまたも爆発的に加速。まさに電光石火のドリブルを駆使し、立ちはだかる青森田山ディフェンダーたちのド真ん中を華麗に突破したのだ。
ゾクゾクするような興奮が全身を駆け巡り、気づけば涙が頬を伝っていた。
自分の直感が正しかったと、私は改めて確信する。彼がJリーグでプレーする日は必ずやってくる――サムライブルーのユニフォームを身に纏い、世界を相手に戦う日だってそう遠くない!
選手権屈指と言っても過言ではないスーパープレーが飛び出し、観衆は盛大に湧き上がる。
主役の兎和くんはペナルティボックス内へ侵入を果たし、相手GKとの『1対1』という最高の局面を迎えていた……にもかかわらず、素早く首をふって味方の位置を確認する。
ああ、先輩に花を持たせるべきか迷ってしまったのね。
専属マネージャーとして隣を歩き、近ごろは交換日記でメンタル管理もしている。おかげで私には、彼の心境が手に取るように読み解けた。
相馬先輩含め、数名の味方がフォローのために走り込んできている。その影響で、シュート以外の選択肢が頭に浮かんでしまったに違いないわ。得点効率からしても悪い判断ではない。
けれど、絶対にダメよ。
この試合で、兎和くんと私は夢へ向かって大きく飛躍するの。
だから、いつかのように未来への期待をありったけ込めて大声で叫ぶ。
『――いッけぇぇええええええええええええ!!』
叫んだのは私だけではなかった。兎唯ちゃんと涼香さん、うちの兄、須藤慎くんや千紗ちゃん、志保ちゃん、中川翔史くん、咲希ちゃん、A組女子の友人たち――栄成陣内に集まったほぼ全員が力強く腕を掲げ、心をひとつにして叫んでいた。
大声援に後押しされた兎和くんは迷いを振り払い、豪快に右足を振り抜く。
鼓動めいた、力強いインパクト音が会場に響き渡る。そして抜群の反応を示した青森田山GKの指先をかすめ、ボールは矢のように鋭くゴールネットへ突き刺さった。
一瞬、観衆が静まり返る。
一拍おき、会場は爆発したような騒ぎに包まれる。
大興奮の私は周囲のみんなの手を取り、飛び跳ねて喜びを分かち合う。そこには、これまで味わったことのない一体感と沸騰寸前の熱狂が渦巻いていた。
春、夏、秋。高校に入ってから3つの季節が過ぎ――この冬、珠玉の才能がついに全国の舞台で輝きを放つ。
その日、兎和くんは名刺代わりの一発を日本サッカー界に叩きつけた。
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