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第133話

「旗上がってないっす!」


 自陣から鋭くU字を描くようにして、相馬先輩はハーフウェーラインの向こうに生じた広大なスペースへ飛び出していく。


 その背で翻る『#7』を視界の端に捉えつつラインズマンの動きを確認し、僕は反射的に立ち上がって叫んでいた。


 旗は上がっていない。すなわち、オフサイドはナシ。

 栄成陣内で展開されていたハーフコートゲームが、ここで一気に裏返る。


 荻原先輩のフィードのタイミングはドンピシャで、質も申し分ない――だがそれ以上に圧巻だったのは、相馬先輩のトラップだ。


 背後から迫る難しいボールに対し、まず右足のアウトサイドを合わせる。このファーストタッチでパスの勢いは見事に吸収され、ボールは引力に導かれて緑映える芝へ沈む。


 しかし、それで終わりではない。続けざまにもう一度、右足のアウトサイドでリズミカルにタッチし、完全に抑えきれなかった回転と軌道を的確にコントロールする。 ボールは静止せず、まるで意思を持ったかのように進行方向へ転がっていく。


 ほんの僅かな静寂を挟み、相馬先輩は重心をぐっと落とす。闘志の炎を宿す視線が、次の動きを強く物語る――スリータッチ目。再び右足のアウトサイドがボールをしっかり捉え、スピードをほとんど失うことなく滑らかにドリブルで前進開始。


 おそらく、大会史に語り継がれるであろう会心のトラップ。

 一連の動作はあまりにもスムーズで、まるで呼吸のように淀みがなかった。研ぎ澄まされた感覚と卓越した技術が織りなし、奇跡のごとく顕現した芸術的瞬間。


 観る者は魅了され、一瞬たりとも目を離せない――直後、相馬先輩ががら空きのピッチ中央を鮮やかに駆け抜けていく。


『いけぇぇえええッ!』


 瞬く間に全身の血が滾り、僕はまた感情のままに喉が枯れるほど大きな声を放つ。否、栄成陣営から大歓声が轟く。


 この試合で初めて巡ってきたビッグチャンス。是が非でも同点に追いつきたい……が、相手は幾多の勝利を積み重ねてきた絶対王者。やはり簡単にはやらせてくれない。


 必死の形相でチェイシングしていた青森田山のディフェンダー2枚が快足を発揮し、敵陣半ばへ進出したところでついに追いつく。

 そのうえ巧みにコースを切られ、相馬先輩はドリブルで粘るもののゴール正面から右サイドへと進路変更を余儀なくされる。


 これで、直接ゴールを狙う選択肢は消えた。

 それでも相馬先輩は、どうにか敵陣深くまで侵入。最後は気迫を振り絞り、倒れ込みながらも右足でマイナスのグラウンダークロスを送り出す。


 このボールに合わせるのは、猛烈な勢いでペナルティボックスのニアへ走り込むCFの矢崎先輩――の動きを囮に使い、その後ろからペナルティボックスへ侵入するOMFの森島遥人もりしま・はると先輩。


 だが、さらなる妨害が入る。ギリギリのタイミングで差し込まれた相手マーカーの足に触れ、ボールは無情にもゴール反対方向へと軌道を変えた。


『うわぁぁああッ!?』


 悔しげなどよめきが栄成陣営を包み込む。

 青森田山ディフェンダーのビッグプレーによって、間一髪で得点チャンスを潰された――かに思われたその瞬間、誰もが息を呑んだに違いない。


 転がるボールの先には、芝を切って独走するDMFの本田直哉ほんだ・なおや先輩の姿があった。彼はそのままペナルティボックス手前までドリブルで持ち上がり、右足一閃。


 同時に、ドンッと。

 胸を打つようなインパクト音に続き、ボールは豪快にゴールネット右隅へと突き刺さる。


 コース、威力ともに申し分なし。青森田山のGKも反応して手を伸ばすも、わずかに届かず。

 間髪入れず、今度こそ栄成陣営は大歓喜。総立ちになってスタンドを震わせた。


 本田先輩はまずピッチメンバーと喜びを分かち合う。それからみんな揃ってこちらへ駆け寄ってきてくれたので、僕たちもベンチを飛び出して祝福の輪を作った。

 見たかッ、見たか青森田山――


「僕たちの先輩は、強いッ!」


『あったりめーだッ!』


 僕の叫びに呼応して、もみくちゃになっていた先輩たちの声が重なり合う。

 ややあって興奮が冷めやらぬ中、得点者のアナウンスが会場に高らかに響き渡った。わずかに遅れ電光掲示板の表示も切り替わり、待望の数字が点灯する。


『栄成1―1青森田山』


 栄成はこの試合初めてのシュートが決まり、見事前半のうちに同点へ追いつくことができた。

 これで試合は振り出しに戻る……感極まったせいか、リスタート位置につく先輩たちの姿が少しぼやけて見えた。


 以降、試合の流れが変わる。

 青森田山はハイプレス続行を選択。しかし後方のケアに気を取られるあまり連動性を欠き、明らかにペースを落とす。


 反対にこちらはボールを回す余裕が生まれ、得点前とは打って変わって攻め上がれるようになった。外したとはいえ、何本かシュートまで持ち込んでいる。


 だが、前半はここまで。程なくしてホイッスルが鳴ってハーフタイムが訪れ、両チームともにロッカールームへ引っ込んだ。


「よくやった! 失点は織り込み済み、むしろ1点に抑えたのは素晴らしい! しかも同点に追いついた! 相手は絶対に焦っているぞ! ただし、少しだけ戦術に修正を加える――」


 ハーフタイムはわずか10分。

 豊原監督はまず、前半の戦いぶりを褒めた。次いでホワイトボードを使い、簡潔に要点を説明しながら戦術の微調整を行う。


 リザーブメンバーは話に耳を傾けつつ、汗だくのスタメンにドリンクやゼリー飲料を配って回っていた。


 そこで不意に相馬先輩と目が合い、手招きを受ける。ちょうど称賛の言葉を送りたくてウズウズしていた僕は、スクイズボトルを持ってウキウキとそばへ寄った。


「どうだった? 俺のバケモノドリブルは」


「その前のトラップが最高でした! ハンパなかったっす!」


「ドリブルもよかっただろーが……まあ、いい。ちょっと足をマッサージしてくんない?」


 僕は「喜んで!」と快く返事し、ふくらはぎなどをモミモミやる。

 かなり筋肉が張っているな……無理もない。フィジカルで勝る青森田山と互角にやり合うには、いつも以上の運動量が必要となる。他の先輩たちもきっとムリをしているのだろう。


「兎和、ちゃんと見てろよ。後半は俺が点を決めてやる」


「了解っす。めっちゃ応援してます!」


 監督の話が終わると、相馬先輩は瞳をギラつかせて決意を語った。ついでにカラになったゼリー飲料の容器をゴミ箱に投げ入れ、スパイクのヒモを結び直す。

 ここで、短いハーフタイムの終わりが近づく。


「それじゃあ、みんな最後まで絶対に足を止めるなよ! 後半も魂を燃やし、堂々と戦い抜こう! さあ、青森田山に勝ちに行くぞッ!」


『――ヨシ行こうッ!』


 僕たちは監督の合図でもう一度気炎を上げ、闘志を滾らせながらピッチへと戻った。いよいよ勝負の後半が始まる。

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― 新着の感想 ―
兎和くんにとって、とても印象的なトラップ 先輩としてはドリブルにも手応えがあったらしいのに、彼にはトラップがそれだけ際立って見えたのは、自身にとって不足しているスキルだからというのもあるのでしょうか…
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