第126話
最高の誕生日から一夜明け、少し大人になって迎えた初めての朝。
登校準備を整えてリビングへおりた僕は、ダイニングテーブルで朝食をとる妹の兎唯と顔を合わせた。
「おはよう、兎唯」
「んー。おあよー、お兄ちゃん」
朝の挨拶をするときくらいスマホから目を離しなさい……なんてお小言をこぼしたくもなるが、もうすっかり慣れっこなので黙っている。だいたい、僕が注意したって聞きやしないのだ。
それよりも、逆に聞きたいことがある。
何かというと、美月の誕生日についてだ。このちゃっかり者の妹が、敬愛してやまないお姉さまのメモリアルデーを知らないわけがない。
「兎唯、さては隠してたな?」
「はん? なにがぁ」
「美月の誕生日だよ。僕は昨日の夜はじめて知ってめちゃ焦ったんだぞ。そういうの、先に教えといてくれよ」
母が用意してくれた朝食に手を付けながらクレームを伝えると、ようやく視線が合う。
何かと気の利かない自分が悪いのは重々承知している。だからこそ要領のいい妹のアシストが必要だと思うんです、僕は。
まして世話になりまくっている美月に関する話だ。恩返しの機会があるのなら、絶対に見逃しちゃいけない。でないと、一生かけても返しきれなくなる。
「だって、美月お姉さまに『内緒にしてね』って頼まれちゃったんだもん。お兄ちゃんには、選手権に集中してもらいたいって」
両親をはじめ本当に親しい者はほぼ知っている、と妹は言う。
だが、選手権を控えた僕にだけは内緒にしていた。理由は昨夜聞いたな……プレゼント選びにアホほど時間をかけそう、的な感じだ。
「そもそも、美月お姉さまは誕生日を内緒にしてるっぽいよ。中学のとき大変な目にあったみたい」
昔は特に誕生日を隠していなかった。結果、学校中の男子からプレゼントを贈られることに。そして当然ながら大量のお返しが必要となり、めちゃくちゃ苦労したようだ。
そのため、高校に入ってからは自分の個人情報をできるだけ隠すと決めた。
今のところ、その試みは成功している。
というのも、美月は小学校から大学まで揃った名門校に在学していたが、内部進学を蹴って誰にも言わず栄成高校へ進学した(これも初情報)。おかげで、彼女のプライベートを詳しく知る者はいない――妹によれば、本人がそう語っていたらしい。
中学時代の騒動が目に浮かぶなあ……そりゃあ環境を変えたくもなる。ともかく、僕がきちんと選手権に集中していればいいんだろ?
だったら、話は早い。のほほんと卵焼きを食べている妹に、プレゼント選びを任せてしまえばいい。
「というわけで兎唯ちゃん、一緒に美月のバースデープレゼントを買わない?」
「ほむ。いいけど、お金は『8:2』だよ」
どっちが8割負担かは言うまでもない。うちのおバカ可愛い妹は、お小遣いをすぐ使っちゃうタイプなのだ。
もっとも、僕にとっては好都合。お金を多く出す代わりに、プレゼント候補をいくつかピックアップしてもらおう。それを最終的にチョイスする形にすれば、選手権に響くこともない。これなら美月も異論はないはずだ。
「ていうか、お兄ちゃんって選手権の試合に出るの?」
「うーん……可能性はかなり低いかな」
「あっそ。じゃあ、つまんないから見に行くのやーめた。それより、美月お姉さまにぴったりなプレゼント探しとくね! めいっぱい奮発しちゃお!」
「……あの、値段はお手柔らかにね?」
妹に任せたのは失敗だったかもしれない。
この冬、僕の貯金に未曾有の危機が迫る。
***
結局のところ、美月のバースデープレゼントは『某夢の国』のパークチケットに決まった。それもなぜか、妹と涼香さんを含めた3人分である。
いくら貯金があるとはいえ、かなり痛い出費だ……けれど、うちの両親が援助してくれたおかげでどうにか破産は免れた。
それからまたハードなトレーニングと練習試合などを積み重ね、迎えた12月20日――クリスマスを目前に控え、街のイルミネーションが一段と輝きを増した頃。
栄成高校では、二学期を締めくくる終業式が大講堂で執り行われた。いよいよ冬休みが始まる。同時に選手権へ向けた壮行会が催され、全校応援でサッカー部を後押しすることが再び告知された。当日はブラスバンドも会場に駆けつけてくれるそうだ。
加えて、式では高校最後の戦いに臨む3年生部員が揃って舞台に登壇した。そこで主将の荻原先輩が代表して熱い決意を述べると、生徒席から惜しみない喝采が贈られた。学内におけるサッカー熱もうなぎのぼりである。
その後、ついにクリスマスが訪れる。
すなわち、美月の誕生日だ――しかし彼女が事前に予想していた通り、僕は多忙を極めていた。
選手権関連の雑用やトレーニングはハードになる一方で、疲労を考慮してトラウマ克服トレーニングを一時中断せざるを得ないほどだ。
当然、バースデーパーティーを楽しめるような状況ではない……むしろ美月から部活に集中するよう改めて念を押されていた。
その代わりというわけじゃないが、妹の兎唯が喜んで代役を引き受けてくれた。美月の自宅にお呼ばれし、向こうのご家族と一緒にバースデーを祝ってニコニコ顔で帰ってきたのである。
僕の方は零時ちょうどに『おめでとう』を伝え、少し通話した程度だ。疲れていたせいで、美月の声を子守唄代わりにうっかり寝落ちしちゃったけど。来年は、是が非でもきちんとお祝いしたい。
さらに時は過ぎ、翌日の午前。
ますます引き締まる師走の空気に包まれた自校のピッチで、栄成サッカー部は全体ミーティングを実施していた。
集まって腰を下ろす部員一同を見渡しながら、正面に立つ豊原監督が威厳をもって口を開く。背後には永瀬コーチはじめ指導陣が勢揃いしており、まさしく総動員体制だ。
「それでは、ミーティングを始める。とうとう選手権が開催されるわけだが、皆ここまでよく頑張ってくれた。おかげで、おおよその準備も整い――」
スピーチの入りは、選手たちを慰撫するような言葉から。続いて、部の現状についての情報共有が行われた。
正式に『KREアスレティカ(美月の家のグループ会社のひとつ)』とのスポンサー契約が締結され、直営オンライショップの『ディサフィオ』から新品のユニフォーム一式やベンチコートなどが提供されたこと。選手権対策として必要な物資が大体揃ったこと、などなど。
次いで、各種日程についての再確認へと移る。
明日の午前中には、『国立競技場』で開会式のリハーサルが実施される予定だ。参加するのは、特別編成チームのベンチ外メンバー。
ここで永瀬コーチの方から、勝ち進んだ場合のスケジュールなどに関する説明がなされた。
特に詳しく言及があったのは、試合当日の移動方法。
栄成サッカー部は、会場までバス移動となる。学校側とスポンサー(KREアスレティカ)が協力し、プレミアムクラスの大型バスをチャーターしたそうだ。おかげで、僕たちはほぼ普段通りの生活を送れる。
一方、県外からやって来る高校だとホテル滞在となるため、なかなかリラックスできずコンディション調整に苦労することが多いらしい。
選手権は例年、東京近郊の複数のスタジアムを使用して開催される。これは協賛企業などの都合で仕方ない部分ではあるが、関東勢にとって有利な状況が生じやすく、以前から『ホームアドバンテージではないか』との議論を呼んでいた。
「さて、そろそろ本題に移ろう。明日は開会式のリハーサルなどがあり、慌ただしくなることが予想される。そこで今のうちに、28日の開幕戦へ挑むメンバーを正式に発表する」
お待ちかねのメンバー発表タイムとなり、『おぉぉおおっ!』と一斉に沸き上がる部員たち。
特別編成チームの面々は、事前に大まかな方針を明かされていたのでわりと冷静だ。僕の左右に座る玲音と里中くんなんかは、キリッとした表情で前を見据えている。
ともあれ、豊原監督が手元の資料を確認しながら、直々に一人ずつ名前などを読み上げていく。
「いつも通り、フォーメーションは『4-2-3-1』でいく。まずは、GKから。背番号1、原裕貴」
「はいっ!」
名前を呼ばれた先輩が気合の入った返事をし、それに合わせて部員たちから盛大な拍手が贈られる。以後、同様の流れが繰り返された。
『背番号#1/GK/原裕貴/3年生』
『#2/右SB/加藤倫太朗/2年生』
『#3/左SB/小泉良祐/3年生』
『#4/右CB/荻原剛志/ゲームキャプテン/3年生』
『#5/左CB/梅田洋治/2年生』
『#6/左DMF/本田直哉/3年生』
『#7/左SH/相馬淳/3年生』
『#8/右DMF/堀謙心/2年生』
『#9/CF/矢崎俊輔/3年生』
『#10/OMF/森島遥人/3年生』
『#11/右SH/川村哲也/3年生』
以上が開幕戦のスターティングメンバーだ。東京予選を勝ち抜いた最強メンバーでもある。
発表は途切れず、今度はリザーブの名が呼ばれていき……僕たち最下級生は、連番で『#28(僕)・29(玲音)・30(里中くん)』を与えられ、残念ながらベンチ外となった。
「開幕戦は、先ほど発表したメンバーで挑む。2回戦以降は、状況を見て変更を加える――前にも言ったが、選手権は本当に総力戦だ。試合に出る可能性のある者は、しっかり準備を整えてほしい。試合に出ない者は、できる限りチームをサポートしてやってくれ」
豊原監督はそこで一旦言葉を区切ると、皆を立ち上がらせて円陣を作るよう指示した。どうやら、これでミーティングを締めるらしい。
それぞれが隣のメンバーと肩を組み、文字通り全員が一丸となる。
「では、ミーティングはこれで終了とする。いよいよ、栄成サッカー部が新たな歴史の扉を開く時だ。最高の準備をして、魂を燃やして戦おう! さあ皆、気合い入れて行くぞッ!」
『――ヨシ行こうッ!』
うぉぉおおおおおおッ、と。
部員たちの熱い雄叫びが、冴ゆる冬空を焦がさんばかりに響き渡る。
その後、遠山茜先輩たち3年生の女子マネージャーが同級生の部員を集め、激励の言葉を添えつつミサンガを手渡していた。感極まって涙ぐむ先輩も多く、見ているこっちまでもらい泣きしそうだった。
それから一息ついた僕は、密かにベンチ外となった事実を噛みしめる。
覚悟はしていたが、美月との約束(得点を捧げる)を果たすのはやはり簡単じゃないらしい。少なくとも、開幕戦に勝ってもらわなければノーチャンス。
できるのは、次の試合でベンチに入れることを祈るくらいか……だが、決して諦めない。どんなに可能性が低くても、美月を信じて追い風が吹くのをじっと待つ。
気づけば、ぐっと拳を握り込んでいた――こうして、僕にとって初めての『全国高校サッカー選手権大会』が開幕を迎える。
さあ、いくぞ全国!
絶対に負けられない戦いが、そこにある!
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