第10話 今宵、己を縛るものは何もなし
「昼休みが終わってしまうから、また今度にしてほしいのだけど」
「大丈夫だって。ちょっとアドバイスしたいだけだから」
行く手を阻んで立ちはだかる陽キャ軍団。
その中央で不敵な笑みを浮かべる人物こそ、我らが栄成サッカー部の期待の新人こと白石(鷹昌)くんだ。
茶色に染めたツーブロックショート、すっと通った鼻筋、キリッとした眉毛。いまは制服に身を包んでいるが、まさに爽やかなスポーツマンといった容貌の持ち主である。
彼はすでに1年生を代表する生徒として頭角を現し、部の内外で影響力を発揮している。この場においては、神園美月の拒絶もどこ吹く風でマイペースに語りだすほどの余裕ぶり。
「どんな事情があるか知らないけど、そんなヤツを相手にしていると神園のイメージが悪くなるぞ。そいつがなんて呼ばれているか知ってるだろ? 『じゃない方の白石くん』だ。もちろん俺じゃない方って意味な」
誘う相手を間違っているぞ、と態度が物語っている。
白石くんは多分、神園美月が好きなのだ。強豪サッカー部の『10番』候補と学校トップ美少女、釣り合いとしても悪くない。
そんな意中の相手が、見下す『じゃない方』と親しげにしていれば腹も立つ。だから、ちょっとした牽制のつもりだったのだろう。
残念ながら、これは完全な悪手。恋愛経験ゼロの僕ですら、誰かを貶めることがアピールに繋がるわけないと理解している。
「白石くん。私は自ら望んで白石くんと……ややこしいわ。ねぇ、これから『兎和くん』って呼んでいい?」
「あ、うん。なんでもいいから、ほら前向けって……」
流れるように会話の脱線事故を起こす神園美月。
今はそれどころじゃないだろ。この状況で、どうして僕の方へ顔を向けられるのか……案の定、陽キャ軍団は揃って眉間に皺を寄せている。
というか、余計な発言のせいで僕に対するヘイト上昇してない?
「では、改めて。白石くん、私の方から兎和くんをランチに誘ったの。誰と一緒に過ごすかは自分で決める。そもそも交友関係に口出しされるほど親しくないわよね? それに人を不名誉なあだ名で呼ぶことには賛同できない。すぐにやめるべきよ」
「……神園を思っての助言なんだけど。まあ、わかった。これから仲良くなって、口出しできる権利を獲得したらまた伝える。あと不公平だからさ、こっちも『鷹昌』って名前で呼んでよ」
両者一歩も引かぬ攻防。バッサリ切って捨てる神園美月も大概だけれど、なおも食らいつく白石くんも流石である。
僕があの立場だったら、間違いなく涙目敗走だ。しばらく便所にこもっていただろうな。
「もし仲良くする機会があったら、そのときはよろしくね。呼称に関しても検討しておきます。兎和くん、行きましょう。昼休みが終わっちゃう」
神園美月が姿勢正しくスタスタ歩きだしたので、僕も慌ててついて行く。
迫力ある会話の応酬だった……まるでボクシングの試合でも見たような気分だ。何かに付けてこちらを見下す白石くんが相手だったから、爽快感もひとしお。
毅然と対峙する彼女の姿に憧憬抱いたほどだ。なので、つい口も軽くなった。
「神園さん、ナイスパンチ。間違いなくヘビー級の威力だったぜ」
「……そうだ、兎和くん。せっかく仲良しになったんだから、私のことも『美月』って名前で呼んでね!」
「ちょっ!?」
大きな声だった。まるで離れたところにいる誰かのもとまで届かせようとしているみたいに……考えるまでもない。白石くん達にもあえて聞かせたのである。
何が気にさわったのか不明だが、僕は強烈なカウンターをくらう。
やはり神園美月は、ヘビー級のハードパンチャーで間違いない。
***
神園美月がD組のじゃない方の白石くんをランチに誘った――そんな噂が校舎を光速で駆け巡り、僕は多数のクラスメイトに問いただされる羽目になった。
弁解しようにも、コンバートの件や永瀬コーチ関連の個人情報を勝手に明かすわけにはいかず、唇を震わせるばかりで言葉にならなかった。無駄に嫉妬や注目されてゲロ吐きそう。
おまけに部の上級生たちにまで噂は広がっており、しばらくはイジりが激しくなりそうだ。
それにしても、たかがランチでこの騒ぎ……彼女の影響力は想像以上だ。進学してまだ二週間ちょいにもかかわらず、伊達に校内トップ美少女の座に君臨していない。
振り返ってみれば、人生でトップ3に入るほどの激動の一日だった。
しかも、まだ終わっちゃいない――僕は今フルパワーでペダルをぶん回し、外灯に照らされる夜道を自転車で駆け抜けていた。
『部活が終わったら、ジャージを着て三鷹総合スポーツセンターのグラウンドに集合ね。ずっと待っているから』
部室でプロテインを補給しながらスマホをチェックすると、さっそく神園美月からメッセージが届いていた。いきなりの招集で驚きだ。
三鷹総合スポーツセンターは学校近くにある運動施設で、芝生グラウンドが一般公開されている。
そんな場所に僕を呼び出して、彼女はいったい何をするつもりだ?
夜の公園、ナイターが照らす芝生、男女の待ち合わせ……多分、バドミントンだ。
男女が芝生の公園でやる事といったら、まずバドミントンをおいて他にない。妹の愛読する少女マンガでみた。もしくはお花見だが、やや季節が遅い。
惜しむらくは、神園美月が相手では身分違いすぎて恋愛に発展しないであろうこと。僕が平民なら、彼女は女王。本来なら交わるはずもなかった関係である。そもそも好きにならないように釘を刺されているわけで。
とはいえ、部活後に遊ぶなんて実に青春らしい時間の使い方だし、いつかのための予行演習と思えば悪くない。
さすが僕の個人マネージャー。契約を結んだその日にイベント開催とは、敏腕にも程がある。
目的地までは10分もかからなかった。
駐輪場で自転車から飛びおり、荷物を抱えてフルスプリント。
お目当ての人物の姿はすぐに見つかった。ハイブランドのスポーツウェアに身を包み、芝生グラウンドの隅に佇んでいる。
つややかな黒髪を背中に垂らす神園美月の前へ滑りこみ、ジャージの上を脱ぎ捨てながら僕は言った。
「さあ、やろうぜバドミントンっ!」
「なんでバドミントン……? やらないわよ。夜だとシャトルが見づらいでしょ」
「あ、はい……」
じゃあ何をするのか、というもっともな疑問を僕は飲み込んだ。
周囲には、見覚えのある機材やコーンマーカーなどが設置してある。完全にフィジカル測定のセッティングだ。
平日のためか人影は少なく、ここはグラウンドの隅に位置する。それでもちょっと自由に使いすぎじゃない?
「二人で準備したのよ。けっこう大変だったんだから」
すごいでしょ、と豊かな胸を張る神園美月。
僕が『二人』という単語に首を傾げると、彼女は右手のひらで横を指し示す。
つられて視線を動かす。少し離れた場所で、芋っぽいジャージを着た見知らぬ女性がなにやら機材を弄っていた。
「リョウカさん、ちょっとこっちに来て」
呼ばれてやってくる芋ジャージの女性……よく見なくてもわかる、とんでもない美人だった。
黒髪のワンレンボブに、透明感のある綺麗な肌。やや目つきは鋭いものの端麗な顔立ちをしている。加えてすらりと背が高く、まさしく『クールビューティー』と称するにふさわしい。
「紹介するわね。こちら、『吉野涼香』さん」
「こんばんは、吉野涼香です。どうぞよろしく」
キリッとした表情で、いかにも『ハイスペ女性です』といった風情の名乗り。
芋ジャージでさえなければ、港区の高級ホテルでワインでも堪能していそうな雰囲気だ。
こんな大人の魅力あふれる女性を連れてくるなんて、神園美月はいったい何を考えているのか……と僕が訝しげに思っていれば、きちんとした説明があった。
「彼女は、私の親戚なの。永瀬コーチと似たような関係ね。年齢は28歳。大学を卒業してからずっと無職で、困り果てた両親によって我が家へ送りこまれてきた。そして祖父が何度も仕事を斡旋したのだけれど、すべて初日の内に辞めてしまったわ。今では一日の大半をソーシャルゲームに費やす生粋のニートよ」
「ソシャゲを長く続ける秘訣は微課金よ。ほどほどに不自由な方が飽きにくいの。ガチャを引く計画を練っているときが人生で一番充実しているわ」
神園美月の紹介に続いて、吉野さんが口を開く。
とんでもねえ逸材だ……外身と中身にギャップがありすぎて頭がバグる。
さらにツッコんで聞けば、「うちのリビングでソファに寝そべりつつソシャゲに興じるだけの生き物よ」との返答が得られた。
居候のうえ無職なのに、よくひと目のある場所でぐーたらできるな。そのメンタルの強靭さを分けてほしい。
「でも、さすがに『涼香さんの面倒は見きれない』って実家へ返送されかけたの。もちろん彼女は抵抗した。その結果、あきれた母の取りなしもあって私の送迎役に収まったわ」
いい大人が泣いてダダをこねる光景は圧巻だった、と神園美月はどこか遠い目で語る。
今日はソシャゲに課金するためのプリペイドカードを餌に手伝わせているそうだ。一応、対価を支払えば軽作業くらいは付き合ってくれるらしい。
「さて、自己紹介も済んだところで始めましょうか」
「そうだな……って、そうじゃねえ! 僕に何をやらせるつもりだ!」
吉野さんのインパクトが強すぎてつい流されそうになったが、ちょっとお待ちいただきたい。
青春イベントかと期待して来てみれば、現場は明らかにフィジカル測定の構え。騙し討ちにも程がある。
「何って、見ての通りフィジカル測定よ。永瀬コーチにリトライを命じられたでしょう」
「そ、それはそうだけど……やるにしても、学校とかでよかったんじゃない?」
「他の部員にどう説明するつもり? 手抜きでやり直しになった、なんて言って理解されるとでも? うまくごまかしてあげるんだから感謝なさい」
「ぐうぅ……」
僕の心を弄んだことを非難するつもりが、逆に正論パンチを叩き込まれてボコボコにされる。旗色が悪すぎる。けれど、せっかくの機会なので遊んだりしたかった。
諦め悪く、吉野さんに視線で助けを求めてみる。しかし彼女はレジャーシートに座ってスマホを操作しており、目すら合わなかった。あれ、絶対ソシャゲやっているだろ。
「わかったならすぐ動く。あまりバリエーションは多くないとはいえ、それなりの回数をこなしてもらう必要があるからね。ダラダラしていたらグラウンドの照明が消えちゃう」
消灯時間は22時半なので、確かにあまりのんびりはしていられない。何より準備を無駄にするのは心苦しい……というか、もともと僕が原因で手間を取らせてしまっているわけで、ここは謹んで指示に従うべき場面である。
「時間の都合もあるし、種目はアジリティ関連に絞ったわ」
「ずいぶんと力の入ったセッティングだな」
改めて設営ゾーンを眺めてみれば、立派な測定機器が目に入る。
種目は50メートル走以内の短距離走をはじめ、アローヘッドアジリティ、マーカーとポールを使ったドリブルテスト、等々。
個人のセッティングにしてはかなり上等だ。機材や備品は、神園美月のお祖父さまに頼んだら超特急で手配してくれたそうだ。
「じゃあ、まずは短距離からね。そうそう、トレーニングシューズを用意しておいたから足のサイズに合うものを選んで」
ご丁寧に、計測用のシューズまで用意されていた。これもお祖父さまの手配した物らしい。新品なのに、終わったらそのまま頂けるそうだ。
おまけに、サイズ違いで数足用意されている。身長から足の大きさを予測して持ってきてくれたそうなので、自分にピッタリのものを選んで履いた。
ブルジョワジーを感じさせる段取りで、まさに至れり尽くせり。親切にされるのは嬉しいけれど、行き届きすぎで不安になってきた。
「……なあ、なんで僕なんかのためにここまでしてくれるんだ?」
「当然でしょ? 私が兎和くんを見つけたんだから。それに事情があってサッカーから心が離れかけていたところを、こうして少し強引に引っ張り出してしまった。だったら、こちらも全力で向き合わないと申し訳ないじゃない」
今日に関しては永瀬コーチの依頼もあるから気にしないで、と神園美月は笑う。
お世辞でもなんでもなく、僕にはその姿が女神に見えた。家族の他に、かつてここまで親身になってくれた人がいただろうか……考えるまでもなく、否。
自分らしくもなく、期待に応えたい、なんて決意してしまいそうだ。少なくとも、マネジメントに対しては今後も真摯に向き合っていきたいと思った。
「よし、測定頼む……ちょっと本気出す」
「アップは?」
「大丈夫。ここまでフルパワーで来たから、もう体は温まっている」
靴紐をしっかり結び、僕は立ち上がった。
ナイター照明の光を背に受け、すっと影が伸びる。短距離のスタート位置に立ち、何度か深呼吸をする。肺に落ちる酸素から次の季節の気配を感じとる。
相変わらず、神園美月の視線は怖くない。吉野さんは論外。ソシャゲに熱中していて少しもこちらを見ていない。グラウンドも閑散としている。
三日月が昇る今宵、己を縛るものは何もなし――僕は今、ベストコンディション。
「位置について。よーい、ゴー!」
合図に合わせ、なにも考えずただ全力で足を動かす。
規定の試行回数を満たすべくリトライを重ねた。走るたびに心臓の熱が体の隅々まで運ばれていき、パフォーマンスはどんどん向上していく。
それなりの時間をかけて全種目を消化し終わったとき、僕は汗ばんだ体で大きく息を切っていた。
「お疲れさま。素晴らしいパフォーマンスだったわ」
昼に見たのと同じレジャーシートが敷かれていたので、僕は遠慮なく座りこむ。すると神園美月が、ねぎらいの言葉と共に大きなタオルを被せてくれた。
ありがたく汗を拭かせてもらうと、すごくフカフカでとてもいい香りがした。どんな柔軟剤を使えばこうなるのか。我が家のタオルとの違いに驚きが止まらない。
もっとも、驚いていたのは僕だけじゃないが。
「やっぱり、すごいわね!」
「なにが?」
「兎和くんのアジリティよ。ほら、この数値!」
神園美月が隣へ座りこむ。手にはタブレットが収まっており、こちらにも見えるように画面をシェアしてくれた。
計測したばかりの数値がずらりと並んでいる。しかし僕が今最も気になっているのは、肩が触れあいそうなほどの距離の近さ。タオルなんて比じゃないほどいい香りが漂ってきて、思わずドギマギする。
心臓の鼓動がよけい大きくなる……そんな男心にはいっさい触れず、タッチペンを用いて解説が行われた。
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