第九十三話(その2の14の途中まで)
それでオレは、
「す、すまん!
こんなつもりじゃ!」
と、あわてて取りつくろおうとしたんだ。
だが、ヤツの返事は…
「…良く出来ました。
快気祝いに…お返しです!」
「ごふぁ!」
再度の拳だった。
良いだろう……
仕方ない。
そっちがそのつもりなら、こっちだって…!
「そんなに殴られてえなら、お望み通りにしてらやるよ!
オレに失望して、見捨てたくなるまで殴ってやる!」
というわけで、オレは叫びながら、ヤツ目がけて突進した。
幸いにも、さっきのハシバミのパンチは、最初のやつに比べればだいぶ弱かった。
野郎、腕を持ち上げて一丁前に『構え』なんかとっていやがるが、どうやら今はちょっと遠慮が入っているらしいな。
これは、西国にあるという『拳闘術』か?
そういやアイツ、護身用に西国から流れてきた荷役夫のおっちゃんに、そんなの習ってたな。
とはいえ、本気で向き合えば、所詮はケンカひとつしたことがない『インテリ』の拳に過ぎない。
なんだか小刻みにパンチを繰り出してきてるが、こうして防御を固めて突進すれば、痛くもかゆくも…!
しかしこの時、オレはあまりに無知だった。
そして何より、気づくべきだった。
さっきからハシバミは、“右の拳”しか使っていない、ということに。
わずかでも『拳闘術』の知識がある者なら、誰でも知っていることではあるが…『拳闘術』において『右のジャブ』は、相手との距離を測り、牽制をするだけの、いわば“準備段階”に過ぎない。
(だからといって、甘くみていい攻撃でもないが)
それゆえ、むやみに突っ込んだオレを待っていたのは……
「ぶげはぁ!」
当然、狙い澄ました、『左の本命攻撃』(ストレート)だったんだ。
※
※
※
その後は、泥試合だった。
殴り返してはまた殴られ、アイツが『東国』の柔術で投げに入れば、またオレが、土俵際ならぬ船縁で踏ん張っては投げ返す。
そしてついに……
「痛えっつってんだろ、この野郎!
良いだろう!
こっからが、本当の勝負だ!
【北海】の漁師のケンカ殺法 対 東西の武術混合。
どっちが強いか、決着つけよーぜ!」
「望むところです。
コテンパンにしてあげますよ!」
そういった流れにまで、発展してしまったのだ。
この時すでに、そういえば今、アイツを危うく海に投げ落とすところだったことへの恐れ、とか……
そもそもこの【北辺海】に何をしに来たのだったかという理由さえも、いつの間にかオレの頭からは、すっかり消えていたのだった……
※
そして私は、このラムは、困惑するしかなかった。
…これは一体、どういうことなのだろうか?
この人たちは、一体何をやっているのだろうか…?
私が目撃しているのは、間違いなくケンカのはずだ。
親友二人の、悲しいすれ違い。
仲の良い友達が、大きな、国々を動かすような、とても大きな欲望や人々の思惑によって、どうにもならないところへと追い詰められてしまった……
そんな悲劇を、私は見ていたはずだったのだ。
なのに、
それなのに。
私の目の前で繰り広げられていた光景は、どう見てもそんな感じではなかった。
ええと、なんというか……
馬鹿みたいなんですが……
それに何より、驚くべきことはまだ他にあった。
それは、あの二人の表情だ。
あの男たちは、互いに殴り合いながらも、まるでそれが最高の楽しみであるかのように、無邪気に笑っていたのだ。
そんな光景を前に、傍観者でしかない私は、ただただ、困惑するしかなかったのだ……
※
「ハァハァハァハァ…」
「ハァハァハァハァ…」
さんざん殴り合った後、オレたちは疲れきって小舟の中に横たわっていた。
「もういい加減にしませんか?」
「…だな。
もう限界だ。
こんなことなら、最初からお前と一緒に『長老衆』に殴り込めば良かったぜ……
いっそ逆らうヤツは片っ端から殴り倒して、オレたちが…新しい『長老衆』になるか?
それなら、もう誰も文句は言わねえぜ…!」
「さすがにそれは、どうかと思いますよ…」
あまりに破れかぶれな提案に、ハシバミのヤツも、さすがにあきれぎみだった。
まあ、こんなやりとりもいつもの事ではあるんだが。
こうしてアホな会話をしたことで、気持ちが落ち着いて来た。
二人とも、やっといつもの調子を取り戻した感じだ。
と、思えば…
アイツは急に黙り込んだと思ったら、首を伸ばし、キョロキョロとあたりをうかがい始めている。
なんだ?
「いや、今は海賊退治の祝宴で、舟を出すヤツなんてオレら以外にはいないはず…まさか!」
懐から、小型の望遠鏡を取り出す。
案の定、さっきの乱闘でヒビが入っちまってるが、まだ充分に使えるようだ。
助かる。
さて、何がいるのか…って、これは!