第七十一話(55~56の途中まで)
そうやって決意を固めている間に、牛野郎が巻き起こす騒音がようやく止まった。
そして、ソイツがまた口を開いて何を言うかと思えば…
「逃がしたのは、お前だったな。
つぐないはしてもらう」
ソレはなんとも、ありきたりなセリフだった。
まあ、仕方ない。
初めて村のガキ大将になった頃から、いや、オヤジに憧れて漁師を目指すようになったときから、オレはいつも死を覚悟していた。
海の、それも【北海】の暮らしは、あまりに死が身近だ。
漁に出れば板子一枚下は地獄だし、浜にしても冬は凍えるような寒さが襲い、しかも長引く。
だから、この【北海】の漁師は、基本的にいつでも死ぬ覚悟は出来ているんだよ。
そういえば、オヤジがオレに料理人の勉強を勧めるようになったのも、ばあちゃんが、ある冬に病で死んでからだったような気がする。
この【食卓界】で、すきま風が吹き込まない家に住めるのは料理人くらいだからな。
オヤジは、オレにはそうなって欲しくなかったんだろう。
…思えば、つくづく親不孝な人生を送ってきちまったもんだ。
とはいえ、だからといってこんなバカにむざむざくれてやるほど、オレの命も軽くはないんだけどな……!
だから、牛野郎に言ってやることにした。
「お前は、知らないと思うんだよ」
「何のことだ?」
不審がる牛。
コイツは、頭が悪くて短気なのに"分からないこと"が、気になって仕方ないタチだ。
そのことは、さっきの長話でよく分かった。
今も、床においてあったらしいバカデカい鈍器を握りしめながらも、それをまだオレに振り下ろせないままでいる。
傲慢で尊大で、誰も彼をも見下していやがるくせに、その中身は臆病で疑い深い。
そんなヤツだからこそここまで落ちぶれたんだし、だからこそ、こんなふうにちょっと話しかけられたくらいで、注意散漫になるんだ。
「【北海】の漁師は結束が固い。
ガキだからって、ナメてると痛い目にあうぜ」
「フン!
アタマを放って逃げ出した連中が何をするというのだ?
ならば、貴様を人質にして、本物のハシバミを呼び出してやろう。
せいぜい、その"固い結束"とやらで、役に立ってもらおうじゃないか」
牛野郎は、小屋の入り口を背にして立っているので、逆光が目に痛い。
だが、これはいい位置だ。
無理やり従えている部下たちも、すっかりおびえてあちこちに隠れているから、邪魔にはならない。
あと少し、あと少しだけ時間を稼げれば……
「残念だが、オレが言いたいのは、そういうことじゃない。
"固い結束"っていうのは、ちょっと離れたり一時的に撤退したくらいでなくなるようなもんじゃないってことさ」
「なんだ、何が言いたい」
牛野郎の顔に疑惑が浮かぶ。
だが、どうやらまだこっちの意図にまでは気づいちゃいないようだな。
その、中途半端な好奇心と頭の良さが、お前の命取りだ!
「まあ、つまりオレが何を言いたいかって言うと…」
オレの仲間たちが、そしてなによりオレの婚約者が、すごく頼りになるってことさ!
そのとき、牛野郎の背後から、ときの声が響いた!
あわてて振り向いても、もう遅い!
突撃するガキどもの集団が、牛野郎に迫る!
そして更に、牛野郎の背後から…!
「このっ!」
それは、牛野郎が入り口から突撃した囮集団に気を取られた、ちょうどその時!
宙を光が走り、ヤツの頭を重たい衝撃が襲う!
背後から侵入していたナギサが、釣り用の錘を牛野郎に振り下ろしたんだ!
フレイル?だったか?
護身用に常に持ち歩いているだけあって、なかなかの威力だぜ!
キレたときに、それで石を砕いてみせるのは、出来ればやめて欲しいんだが……まあ、こういうときにはすごく役に立つ!
この小屋は、ずいぶんとボロいからな、こっそり入れる抜け穴くらい、いくらでもあったんだろう。
牛野郎が入り口を背にしていて、忍び寄る囮たちに気づかなかったときにはちょっと焦ったが、まあ結果オーライといったところだな。
たまらずよろついた牛野郎は、囮の役割を終えたガキどもに飛びつかれ、しこたま殴られている。
いまや倒れた巨体にはアリみたいガキどもが群がり、更に隣村のヤツらまで、おそるおそる近づこうとしているしまつだ。
後は、オレが今縛られている縄を使って逆に縛り返してしまえば、これで事件解決。
万々歳だな!
これでもう大丈夫だろう!
一安心したところで、妙なヤツに気づく。
あれ、お前だけは、普通に家に逃げ帰ったんじゃなかったのか?
「だ、大丈夫ですかぁ…?」
「あれ、なんでお前も来てんの?
帰ったんじゃないの?
死ぬの?」
「し、死にませんよ!
なんでいきなりそんなこと言われなきゃいけないんですか!?」
「いや、だってさぁ…」
お前、めっちゃ臆病じゃん?
来るとは思わなかったんだよ。
でもまあ、見直したぜ。
流石は、オレの村の人間!
あの飛び込みの試練を乗り越えただけのことはあるってことだな!
「みんながこっちへ来たら、ボク、ひとりぼっちじゃないですか…
そんなの、怖すぎる」
…前言撤回だ。
あのハシバミが、少しでもマシになったと思ったオレが、バカだったぜ。
「あのなぁ…」
そう言った、ちょうどその時だった!
空が陰った。
いや違う。
屋内でそんなことになるワケがない!
小屋の中で、巨大な影が立ち上がったんだ…!