第五十八話(45~46の途中まで)
そういえば、あれも元は異世界のものだったろうか?
あの古本も、料理描写がほとんど無い駄作として、転々と人手に渡っていたもののはずだ。
あれもまた、いっぷう変わった劇の話だった。
なにしろヒトを殺すためにわざわざ剣に毒を塗ったり、昼寝のあいだに耳から流し込んだりしていたのだ。
これほど奇妙な話は、他に聞いたことがない。
毒殺をしたいのなら、『珍しい食べ物がある』とだませば良いだけのことではないか。
現に、この【食卓界】では、年に何人もその手で殺されている。
例の【里】に届いたチラシの何割かにしても、そんな毒殺がらみのスキャンダルや解毒剤の宣伝だった。
どれだけ偉い貴族でも、いや偉ければ偉いほどヒトは好奇心と食欲に負け、珍味に見せかけられた毒料理によって殺されるものなのに。
この世界では、飲食を通さずに毒殺をするなんて、全く非常識な、考えられないことなのだ。
けれど、だからこそ…
あるいはもしかすると、あの話は、本当に異世界から来たのかもしれない。
そのタイトルは、『ポークカツレッツ』あるいは『ソーセージオムレット』だったっけ?
とにかく、父を殺された王子様が、義理の父に復讐しようか悩む話だったことは確かだ。
あの話は、個人的に印象深い要素があったのでよく覚えている。
そう、確か、あれのヒロインは、絶望から入水自殺をしていたはずだ。
いや、狂乱の末の事故死か、ぼかされていたのだったっけ?
でも、周囲の扱いは完全に自殺だったような…?
いや、問題なのはそこではない。
その後は、どうなっていただろうか?
主人公の父は、亡霊として蘇り、復讐を彼に託した気がする。
では、死んだヒロインも、後に亡霊として蘇ったのだろうか?
誰のせいでもない殺人や事故死は、あるいは、誰もが悪い不慮の死は…いったい誰に復讐すれば良いのだろうか?
その恨みはどこへ行くのか…?
そして、私自身は?
今度はどうなるのだろう?
…考えたが、よく分からない。
結局のところ、私は単なる田舎娘だ。
都にいるという、童話などの物語から次々と菓子や料理を思いつくような、そんな立派な料理人などではない。
上品な食卓にふさわしい食材として、教養になりそうなものこそ覚えてきたが…人の感情とかシンリとかのことは、よく分からないのだ。
今の私は、ただ闇の中で迷うだけの、ひとりぼっち。
なんのあても無いまま、途方に暮れているだけだ。
これでも、このラム・スケープシープ・ヤミーミートは、それなりに豊かな家で育ち、たくさんの教育や多くの人からの支援を受けてきたはずだ。
けれど、それでも私は、ただ沈み行きながら、悩み、迷い続けているだけなのだ……
虚しい…
そしてなんだか、お腹まですいてきた。
こんな悪夢の果てですら、お腹が減るとは…
もう、哀しさを通り越して、逆に大笑いしたい気分だ。
せめてここが、その鋭さであらゆる包丁を研ぎ上げるという、あの、【砥石精霊アストレッサの滝】だったら良かったのに……
それなら、私も激しい流れで研ぎ澄まされて清らかになれるかもしれないし、あるいはあっさりとすり潰されて、悩むことなんて無くなるだろうに……
疲れのせいか、そんなたわいもないことを考えてしまう。
箱入り娘だった私の頭の中にあるのは、本で読んだ知識や、こんな神話や物語ばかりだ。
世界の果てまで旅したといっても、あの人についていっただけ。
ほんとうの意味で、私が自分で考え、行動したことなんて、実は一度もなかった気がする…
だからいまや…私の頭の中を占めていたのは、そんな無数の聞いた話、借り物のイメージばかりだった。
そのとき、また何かが見えた気がした。
あれは、アストレッサの滝で磨かれているという、【包丁神ヒムセプト】の【神聖包丁】?
いや、そんなまさか。
そして、私が見つけたのは、これまた奇妙なものだった。
別に、突然現れて驚かされた、というわけではない。
おそらく、それはずっと前からあったのだろうが、単純に見えにくくて気づかなかったのだ。
これもまた泡だ。
でも、ずいぶんと奇妙な泡である。
まず、上半分は明るいが、もう半分は暗い。
このせいで目立たなかったのだろう。
そして時折、その中に鮮明な赤が混じるのだ。
それはまるで、泡自体が血を流しているかのようだった。
何より奇妙なことに、それは、私の頭の少し上に、静かにたたずんでいたのだ。
つまり、これまで見た中で、一番高い位置にある。
もしかすると…これこそが『脱出』のカギなのかもしれない。
私は、わずかな恐れを押し殺し、ゆっくりと手をその奇怪な泡へと近づけていった。




