第五十五話(43の途中まで)
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沈む。
沈んでいく。
どこまでも、どこまでも。
そこは、暗い闇の中だった。
すごく寒い。
だが、耐えられないほどではない。
最初は、すごく息苦しいような気もしたのだが、それもいつしか薄らいでいる。
きっと、もう慣れてしまったのだろう。
地獄がどんなところか、正確に知っているわけではないが、たぶん現世と大して変わりはしないはずだ。
私は、これまでかなりの苦しみを味わってきた。
別に、それが誰よりも上回るものだと自惚れ(うぬぼれ)ているわけではない。
けれど、それでも私が知っている景色は、きっと天国よりも、地獄の方にずっと似ている。
そう思う。
おかしなものだ。
私は、もうとっくに、ただの食べられない肉塊になったはず。
無価値だという正体がさらけ出され、ゴミにふさわしい場所へ落ちていく、そのはずなのだ。
なのに、なぜそんな私には、いまだに思考する力が残されているのだろうか?
墜落は、終わる気配を見せない。
あるいは、この墜落こそが、地獄なのだろうか?
あの邪悪な三角錐に、永遠に切り刻まれるのではなく、死の女神ルウテトに、最悪の毒物料理を食べさせられ続けるのでもなく、ただ単に…落ちるだけ。
神話の類には詳しいつもりだったが、こんな地獄は聞いたことがない。
未来も居場所も無い私には、神々がわざわざ罰を与える資格すら無い。
そういうことなのだろうか?
どこまでも、ただ落ち続けるだけ。
究極の無意味。
悪夢にしても、こんな光景は、あまりに取り止めがなさすぎる。
いや、考えてみれば、それもおかしなことではないかもしれない。
異世界の【地球】ならいざ知らず、私たちの【食卓界】は、その名の通り円板型である。
遠方へ去りゆく船は小さくなるだけだし、基本的に『水平線』とやらには隠れない。
また、天文的な観測でも、世界の形状については証明されている。
そういえば『世界が平たい』ことを『彼』に伝えたとき、尋ねられた疑問が二つあった。
まず一つ目、
『テーブルの端から落ちた海水は、どうなるのか?』
それについては、実際に北の果て【北辺海】に行って観察してはみたが、結局、良く分からなかった。
そこにあったのは氷山と、文字通り何も無い虚空だけだったのだ。
もちろん、『彼』の故郷への帰り道なども、全くありはしなかった。
そして二つ目の疑問だが、こちらは確かめる方法の見当がつかなかった。
『じゃあ、世界の裏側、テーブルの下はどうなってるんだ?』
それを追い求めているヒト自体は、この世界にもたくさんいる。
なぜなら、もし世界に二つの面があって、その両方に生物が存在出来るなら、それは莫大な宝を手に入れる可能性があるということ。
すなわち、世界から手に入れられる美食の量も二倍となることは、火を見るより明らかだからである。
私たち【羊人】にしても、そうした【採集者】たちが、探索の果てに発見したモノのひとつである。
けれど、いくら大きな穴を掘り、あるいは洞窟や海底に潜っても、そうした【世界の下側への道】は決して見つかることは無かった。
よって、その疑問の答えを確かめる術は、他の【世界の果て】へ行って調べなければならないか、あるいは全く存在しないので絶対に見つからないか、そのどちらかでしかありえないだろう。
しかし、もしかすると…これがそうなのだろうか?
この、果てしない縦穴が?
無限に続くゴミ捨て穴、これこそが『世界の下側』であり…地獄なのか?
今のところ、それを確かめる術は無いが、そう考えると、色々なことに納得がいく気がする。
【食卓界】にいるべきでないゴミが、はじき出されてゴミ穴に落ちるのは、極めて当然の論理だからだ。
価値のある/食べることが出来る食べ物や食器は、上。
そうでないものは、下へ捨てられ居場所を無くす。
それは、全てが『食』によって判断される世界で育った私には、当然のように思えるルールだった。
異世界の存在を知らなければ、それ以外の可能性など想像することすらなかっただろう。
やはり、ゴミの私が、こんなところにいるのは、やはり当然なのだ。
…そういえば、このまま沈んでいけば、母さまにもまた会えるのだろうか?
いや違う!
それは、駄目な考えだ。
あまりに後ろ向きで、弱い思考だ。
そうだ、これでは駄目だ。
危うく、また間違えるところだった。
首を振って、自分で自分を否定する。
母様なら、こんな私を許さないはずだ。
【死後の世界】が実在するかどうかはともかくとして、私は、そんな可能性に耐えられない。
そして、けれどあの人なら、『彼』なら、やっぱり私を許すのだろう。
あの島でのように、さっきのように…
そして、思えば、いつもそうだったように。
私は、また、同じことを繰り返すのか?
今度こそ、決断しなければならない。
そうでなければ、あの人に申し訳がない。
私は決めた。
そう、決めていきたい。
今はただ、最後に残された…己自身のちっぽけな自尊心
それを、それだけを支えにして、動くのだ、と。
そのために、私は、私をもっと見直さないといけない。
…しかし、どうにも気力がわいてこない。
なにしろ、文字通り足場が無いのだ。
これでは、どこへもいくことが出来ない。
まあ、そもそも今の私には、どこにも行く場所なんて無いのだけれど。
これが地獄ならば、やっぱり私には一番似つかわしい場所なのかもしれない…
思考が堂々めぐりを始めた、ちょうどその時だった。




