第四十七話(35~36の途中まで)
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そして今に至る。
そうだった。
彼と私の始まりは、そんな唐突なものだったのだ。
柔らかな月光が私たちを優しく照らしている。
あのときと同じ場所、月齢も同じく満月。
けれど、私の身体はあの頃より少し大きくなっている。
これはもう、記憶に刻まれた過去の再現ではない。
夢を舞台とした、現在の会合だ。
兄のときと同じく、またここから対話が始まるのだろう。
今度は…『彼』は、私に一体何を要求するのだろうか。
「いやー、あの時は看病してもらえて本当に助かったぜ。
改めてありがとうな。
よく分からない料理勝負が終わったと思ったら、急に山の中に飛ばされて、三日三晩さまよったあげく、今度は墜落と来たもんだ。
あのままだったら、絶対にお陀仏だったよ」
予想に反して、彼の口から出てきたのは、お気楽な雑談だった。
恨みの言葉でも謝罪や賠償の要求でもない。
そのことに首をかしげながらも、とりあえず私は返答することにした。
「まあ、あれは本当に困りました。
一度ふさいだ扉を開けて兄たちを呼んで、さらにあなたを殺さないように説得しつつ、看病するのは大変でしたよ」
「あのときは、本当にありがとうな。
こっちは突然侵入していきなり倒れたってのに、まさか一ヶ月も看病してくれるとは。
本当に迷惑かけてしまった。
しかも、俺に使ってくれたのは、貴重な薬だったんだろ?何度も聞くけど、本当に良かったのか?」
「そんなこと、全く問題ありません!
私、つまり【心臓】の娘は、予防接種などを色々済ませているので、そこらの病気くらいはなんでもありません。
【里】で一番安全な私が、病人の看病をするのは、むしろ当然と言えましょう。
それに、来客、それも神々の使いの方となれば、一般の【里】人にお世話をさせるのは失礼にあたりますから。
むしろ、あんな薬用食材や看病ぐらいでは足りないくらいです!
神々にお祈りして、あなたを呼び寄せてしまったのは、この私なのですから!」
本当に、あのときこの方が本物の異世界人であることに気がつかなかったら、一体どうなっていたことか!
結局、介抱をしているときに、彼の服の布地や縫製の上質さなどからそのあたりが証明されたのだが、あれは本当に危ないところだった。
実際、彼が【里】で命の危機にさらされたのは、出自が確認出来てからの方が、はるかに多いくらいだ。
あれ?
出自証明が、なんだか逆効果だったような?
…それはともかく、突然倒れた彼の体調は、最悪だった。
彼がかかったのは、この地方独特の流行病だ。
私たち地元の住人は、みな子どもの頃に一度かかって抗体が出来ているので平気なのだが、大人になってからだと、ちょっと面倒だ。
おまけに彼には、長時間歩き回ったことによる疲労と軽い高山病の症状まであったのだ。
それは、明らかに異常だった。
【里】の周辺、特に山頂へと向かう道は残らず見張られている。
代官の兵士の目だけならまだしも、私のまわりに敷かれた【里】の監視網に見つからずに登頂するのは、絶対に不可能だ。
彼はまるで、唐突に天から降り立ったかのようにこの世界に現れ、人目を避けて長期間さまよい続けたあげく、何かに導かれたように崖から転落して、私の小屋を訪れたのだ。
それも、ほぼ五体満足のままで。
普段の言動からは絶対に分からないけれど、彼は間違いなくただ者ではないのだ。
「『神さまの使い』ねぇ…
これも何度も言うけど、どうにもピンと来ないんだが。
確かに俺は、変なヤツとは料理勝負したし、突然この世界に飛ばされもした。
けど、神さまの加護とかあったら、あんなに長く寝込んだりはしないと思うんだけどなぁ…」
「元気になったから良いじゃないですか
きっとすべては神々のお導きなのですよ!」
「そうかなぁ…?」
この謙虚さも、神の使いの証なのだろうか?
それにしても、こんなふうに気軽なおしゃべり出来るのも、旅に出たおかげだろうか。
あの衝撃的な出会いから、この人との関係もずいぶん変わった。
それを何と言い表すべきなのか、それはちょっと分からないけれど。
とにかくまあ、こうして笑いながらおしゃべり出来るようになって、本当に良かった。
思えば、あれから色々大変だった。
兄が、特訓の名目で彼を何度も殺しかけたこともそうだが、実はその彼自身も、かなりのトラブルメーカーだったのだ。
出る必要の無い代官との料理勝負にわざわざ出たり、関所を避けようとして迷ったり、そこで謎のお婆さんに助けられたかと思ったら働かされたり、かと思ったら、そのお婆さんが伝説のスパイスの達人だったり、そのスパイスのせいで彼の身体が縮んだり、世界の外へ出る道を探して海へ出れば、いきなり海賊に捕まったり…
ともかく、言うべきことはたった一つだ。
奇跡は実在する。
それは、確かに証明された。
そして、それを起こす神々の存在も。
ならば、神々が加護を与える伝統の意義も、また確かにあるのだ。
ならば、悲しみなんて、もういらない。
打ち捨てられかけていた【里】の伝統も、母の人生も、決して無駄などではなかったのだ。
たがら、安心して義務を果たすことが出来る。
私たちは、報われる。




