第四十三話(33の途中まで)
それは、宙を流れる、光の粒。
宙を飛び去る透明な輝き。
それは蛍ではないし、ましてや誰かが落とした宝石でもなかった。
涙だ。
幼い私の涙が飛んでいく。
走り去る主人に置き去りにされていく。
そうだ。
あの頃はまだ…私も思い切り泣くことが出来たのだった。
涙を流さなくなったのは、いつからだったろう。
人前で甘えることが出来なくなったのも…
ああ、幼い少女が走っていく。
私が私を置いていく。
*
いつしか私は、さらに頭を膝に押し付け、耳を強くふさいでいた。
もう何も見たくない。
何も聞きたくない。
全てを遮ったとき訪れた闇は、なぜだか深海を思わせた。
れは、海賊が【北辺海の主】に襲われて壊滅したときのことだ。
彼らに捕まっていた私たちは、そのまま海に投げ出され、暗く冷たい水底へと沈んでいった。
…そういえば、そんなこともあったっけ。
こんなことを思い出したのは、あの時の状態が、この先の過去と良く似ていたからだろう。
あのとき…私たちを捉えた海賊が船ごと【北辺海の主】に砕かれたとき、あのまま助けられずに沈んでいたら…
私は、こんなふうになっていたのかもしれない。
そう、私は深く沈み込んでいた。
絶望の淵へと。
そして私は、あの時と同じことをまた思い出す。
深海に降り積もるという雪の話を。
その雪が降るという場所、まだ見たことがない南国の海は、一体どんなところなのだろう?
何もかも希望が失われたというのに、なぜだかどうでもいいことが気になった。
今は、闇しかないのに。
それでも、
それでも、上を見上げたら、光が見えた気がした。
ここは、こんなにも真っ暗なのに。
そうだ、あのときもそうだった。
なぜ、今まで忘れていたのだろうか。
あのときも私は、どん底で…
*
強烈なめまいに襲われて、私は目を大きくまたたいた。
すると、世界が、私の周囲が、また変わっていたのだ。
そう、それはちょうど先ほどのお葬式の後の、その時間だった。
あれは、そう……
*
*
*
あれはそう、母の葬式の直後のことになる。
あの頃、私は荒れていた。
だからといって、大したことが出来たわけでもないが、これでも私はこの【里】一番の貴人【心臓】の娘だ。
本気になってワガママを言えば、大抵のことは叶えることが出来た。
具体的に言うと、引きこもったのだ。
そこは、【里】で一番の堅牢な建物だった。
一番厚い壁、頑丈な錠前、そしてヒト一人なら何年でも余裕で暮らせるだけの物資。
その背後にはこのあたりで一番の切り立った崖を背負い、その姿はまさに鉄壁にして磐石の要塞と言えよう。
つまるところ、私が引きこもったのは、私の一族専用の倉庫だった。
けれど、その頃混乱していた私が気持ちを落ち着けるには、それは十分な環境だった。
なによりここは、はるか昔に初代【心臓】の少女が、自らを神に捧げる儀式を行ったとされるところ。
つまり、その生を終えたとされる場所なのだ。
今の私が過ごすのに、これ以上ふさわしい場所などない。
この小屋は、いわばこの【里】における『聖地』であり、最も私の一族の伝統に縁深い場所なのだ。
…とはいえ、それも遥か昔のこと。
ここも今は、ただの倉庫であり、かなりほこりっぽい。
それに、天井には穴が空いていた。
おかげであんまり暗くはないし、月の光が毎晩差し込むのはすごく気に入ってはいるのだが…それでも、それが老朽化の証であることまでは否定しきれない。
なにより悲しいのは、そういうところこそが、まさに私にふさわしいのかもしれないということだった。
『老朽化した伝統』
確かに、それこそが私に一番ぴったりな言葉なのだろう。
だから、そいつと心中してやろう。
そのときは、確かにそう思っていた。
そう、あの夜までは…




