第四十二話(32~33の途中まで)
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やって来る行列の顔は、暗く影が差していて良く見えなかった。
夜にはまだ少し早いが、闇は着実に迫っている。
それは、私にとって本当に幸いなことだ。
私は、今の【里】の人々の顔を見たくないのだ。
だから、彼女たちの顔を見ることが出来なくて、ほっとしている。
どうしようもなく、安心してしまっているのだ……
父さまはいい。
彼が祭主、つまり【里】の最高責任者である以上、大げさに感情を顔に出すことは、逆に許されない。
【族長】の務めは、儀式を着実に進行させて【里】の秩序を守ることだ。
弱さをさらけ出して共感や同情を誘うような真似は、少なくともこの【羊人の里】の伝統ではあり得ない。
兄も別にいい。
というか、あまり気にしたくない。
なぜ、顔が影に隠れているのに、その滝のような涙が、はっきりと見えるのか、とか。
彼も当然、伝統を受け継ぐべき【血族】の男子継承者であり、父さまの態度を見習うべきなのに、とか。
幼児のように、見苦しくすがりつくその姿が、なんだか今度はとっても気に障ったから。
…だって私には、あんなことは絶対に出来なかった。
今の兄のように、素直に泣きじゃくり、周りのヒトビトにうざったがられるほど、母さまにすがることが出来たのなら……
あるいは私は、今のような陰気な性格にはなっていなかったかもしれない。
なにより、そうしていたなら、周りを気にすることなどなかったろうし、こんなふうに嫌な思いをすることもなかっただろう……
私は、本当にこのときの【里】のヒトビトを見たくはなかった。
母の葬列に並ぶヒトビトの表情など、気にしないままで葬儀の日を過ごすべきだったのだ。
なぜなら…
そこには、笑顔があったから。
もちろん、ずっとそうだ、というわけではない。
ほんのたまに、ほんの一瞬、口の端が歪み、声に喜色がにじむ。
それは、大人同士が向き合う正面から見たのでは、気づくことはないかもしれない程度のものだ。
本当に、ささいな笑みに過ぎない。
本来なら、それに気づく者は、誰もいなかっただろう。
そこにたまたま子供がーー私が居さえしなければ。
それは、仕方がないことだったのかもしれない。
逆に、私が見ていないところでは、母は圧政者であり、【里】のヒトビトを苦しめていたのかもしれない。
そうでなかったと信じたいが、私には分からない。
母の時代が苦痛だったかどうか、その評価と判断を下せるのは、【里】のヒトビトだけだからだ。
それに、今の【里】は随分と変わった。
豊かになったのだ。
これまで、貧しい暮らしを伝統を言い訳にしてなんとかしのいできた里人たちが、突然降って沸いた富と『自由』に喜び、思わず笑みをこぼす。
それが『悪』だというなら、この世に『悪』でないモノなど、一つもありはしないだろう。
あらゆる文化、秩序、そして『正義』の名において、それは許されるべき『幸福』なのだ。
だけど私は…それが本当に嫌だった。
頭では、理屈では分かる。
けれど、心では…納得した思いで目の前の光景を受け止めることが、どうしても出来ないのだ。
そんな私をあざ笑うかのように、行進は続いていた。
血に浸されたような真っ赤な景色の中を、黒い人影たちが喜び進む。
「これからは、この古臭い【里】も変わっていくんだ!」
そこには、希望があり、
「岩塩があれば、なんだって買えるんだぜ!もう、領主や代官にぺこぺこしなくていいんだ!」
夢があり、
「調理器具も食材も、取引が出来るようになってからは、今まで見たことがないようなモノが手に入る。
服なんかも、これまでは気にしたことが無かったが、もう質が良いものがたっぷりある。
破れや穴を気にせずに畑仕事や家畜の世話が出来るのは、本当に良いことだ」
満足と期待に満ち満ちていて、
「これもぜんぶ、マトマトン様のおかげなんだろ?すげえ!
なあ、【族長】が死んだってことは、次はマトマトン様が新しい【族長】になれるんじゃないか!?
そうなれば、俺たち、これからずっと豊かに暮らせるぜ!」
何よりそこには、明日があった。
ずっとずっと、過去の繰り返しだった伝統には、あり得なかったものが。
未知なる展望が、あったのだ。
そして、そんなふうにおしゃべりを続けるヒトビトの身なりは、確かに良くなっていた。
多くの大人たちが、代用品の黒リボンだけでなく真新しい喪服に身を包み、子供たちでさえ、誰もがそれなりに整った服装をしている。
これも、今までの【羊人の里】では、あり得なかったことだ。
鐘一つを手に入れることに長年苦労し、鎧の代わりに、ありったけのボロ切れを寄せ集めるような…そんな貧しい時代は、もう終わったのだ。
けれど、そこには…
「こら!めったなことを言うもんじゃないよ!
けど、そうだねぇ…。
これからなら、本当にもしかしたら、ここから出られるかも!」
古い伝統の居場所など、どこにもなかった。
もちろん、だった独り残された、その継承者の居場所だってあるわけがない。
というか…そんなヒトビトの間には、頼まれたっていたくはなかった。
だめだ、もう、耐えられない…!
あの人が、【北辺島】でそうしたように、私も胃の中のものを全て吐き出そうと、そうしようとした、ちょうどその時!
ほんの少し、光が見えた。




