第四十一話(31~32の途中まで)
もちろん、上手くいくまでには色々あった。
だが、状況は彼に味方した。
あのチラシで分かるように、この【里】の警備は、かなり穴があった。
小規模な贅沢品の密輸などに見せかけて、岩塩の交易ルートを構築することは、それほど難しくはなかっただろう。
何より、岩塩が貴重な富であること、それ自体が幸いしたのだ。
その鉱脈が発見されたとなれば、支配者である代官は、当然その独占を考える。
だが、この【里】の周囲は山地である。
それも、少しばかり標高が高い。
ここで生まれ育った私たちならまだしも、平地住まいのヒトビトが、気楽に来られるようなところでない。
よって、新たに代官の手勢を送り込むのは難しい。
それに、多くのヒトを動かせば、それだけ目立つ。
目立てば、せっかくの富を誰かに横取りされないとも限らない。
そのため、一番鉱脈に近い私たち羊人を労働力として使うのが、代官にとっての最適解だったのだ。
後はもう、なし崩しだった。
代官は当然、塩鉱山に高い税をかけたり武装した配下による監視で富を独占しようとした。
だが実は、この【里】の付近にも、代官が存在を認識していない移動系の少数民族や、流れの【採取人】、山師などもいたのである。
代官が気づいたときには、もう遅かった。
その時には、この【羊人の里】は、小さいながらも十分な富と武装を備えた、独立都市となっていたのである。
まあ、実際に独立するまでには、先程私が指摘した料理人の問題など色々あったのだが、その話は今はやめておこう。
ここで問題となる事柄は、ただ一つ。
それは、もう【里】を守るために、【羊少女の心臓】が、一族の犠牲が必要とされなくなった
ということだ。
そしてもちろん兄は、意気揚々と、その『成果』を【里】の責任者に報告しにいったのだ。
つまりは、私たちの母のところへ。
それが何を意味しているのか、思い至ることが出来ないままで…
分かっている。
あの兄に悪意は無い。
代わりに、想像力や繊細な気づかいも無いのだけど。
そして、
そして…
起こるべきことが、起きてしまったのだ。
*
ああ、鐘の音が聞こえる。
影が差し、光が遮られる。
大地の上を黒いのっぺらぼうが行進し、その双子のような人々が、列を成して大地を歩む。
あの行列がやって来る。
黒いリボンを体に巻いて。
行列にはみんながいる。
父さまも、兄さんも。
見知った顔はみんないる。
これは、【里】の全員が参加を義務付けられた式典なのだ。
けれど…けれどそこには、ただ一人欠けているヒトがいる。
この【里】での式典は、どんなものでも【族長】が取り仕切るのが絶対の掟だ。
それは、父さまではない。
父さまは、あくまで【里】の俗事を采配するだけの役割に過ぎない。
いわば彼は、『雑用係』であり、【里】にとって最も重要な、宗教的な行事を主導することは、基本的にないのである。
いや、なかった、というべきか。
いまや、この式典を仕切っているのは彼だ。
行列の足並みをそろえるためのハンドベルを振っているのも、彼でしかない。
掟には、もちろん例外がある。
父さまが、【族長】の代理人がこういった式典を主導するような例外は…その条件は、ただ一つしかない。
【族長】が式典に出られないとき、それだけだ。
そう、そうなのだ。
【族長】は…母さまはもう、いないのだ。
正確に言えば、母さまは今もここにいる。
けれど彼女は布に包まれ、ヒトに担がれていて、その身体は全く動くことがない。
もう二度と、動かない。
母さまは、亡くなったのだ……
私は、少しだけ顔を上げてその分かりきっていたはずの事実を確認すると、また顔を膝に埋めて泣き始めた。
涙が、止まらない。
私は、ひたすらに泣き続けた。
まるで、涙が悪いもの全てを押し流してくれると信じているかのように……
*
やって来る
やってくる
黒い行列がやってくる。
鐘の音が、足音を導く。
足並み揃えた行進が、大切な荷を抱えてやってくる。
行進を整えるのは、ハンドベル。
それは、粗末な木の枝に小さな鐘をくくりつけただけのもので、家畜を見失わないためにつけるモノにそっくりな音がする。
それも当然だ。
ほとんど同じモノなのだから。
この【食卓界】では、食品に関わらない品物の値段は総じて高価だ。
なにしろ、みんな基本的に買わないし、作りたがらない。
それでも祭りごと、冠婚葬祭に関しては、流石にこの世界のヒトビトも出費を惜しまない。
そういったときも、メインが料理であることまでは変わらないが、こういったハンドベルのような楽器なども、ちゃんと揃えるのだ。
だから、その粗末な、家畜の首につけるものと対して変わらない鐘は、この【里】において数少ない高価な財産だった。
これまでは確かに、そうだったのだ……




