第三十八話(28~29の途中まで)
私には、出来たはずだった。
のぼせ上がった田舎者なんて、いくらでも手の上で転がせたはず。
そんなことなど、容易いはずだったのだ……
けれど、そんな私に、兄は言葉を投げかけてきた。
私が予想もしなかった言葉を。
私が理解出来ない――分かっても決して分かりたくないような、そんな彼自身の見解を。
私の前で、彼は語り続けたのだ。
「まずは、礼を言わせてくれ。ありがとう」
…アリガトウ?
何を言っているか、分からない。
「確かに、我はあまりに急ぎすぎていたのかもしれない。
だが、汝のおかげで、大事なことに気づくことが出来た。
そのことに対して、感謝させてくれ」
なにが、アリガトウなのだ?
今の私と兄は、敵対関係のはず。
肉親であろうと、相容れない仲のはずだ。
「それだけではない。我は、我々【里】の民は、改めて汝らに感謝せねばならない。
【里】を守る役割を代々受け継いできた英雄たちに、その行いを感謝し、その労を十分にねぎらい、そして…」
それに、さっきまでのどもり癖はどうしたのだ?
その無駄に流暢なしゃべり方は、一体何?
「【里】のために【心臓】を捧げさせるなどという犠牲を、一刻も早くやめていただかねばならないのだ」
どもれ。
その変な借り物の言葉使いをとちって、失敗しろ。
「ラムよ、我が妹よ。偉大なる母祖の代行者よ。我々は、もう英雄だけに重荷を背負わせるのはやめたいのだ。」
どもれどもれ。
「汝らは、今まで十分に【里】に尽くしてくれた。もう休んでも良い頃だ」
どもれどもれどもれ。
あなたに、一体私たちの何が分かるというのだ?
「我は、いや、我ら【羊人の里】の民は、これから英雄を守る英雄となろう。」
そのまま舌を噛んでし…は嫌だから、気絶して三日くらい風邪をひいてしまえ。
そして、いらだつ私が、こうなったら噛みつくか頭突きをお見舞いするかして、事態をうやむやにしてしまおうかと迷い出した、ちょうどその時。
兄は、こう言い放ったのだ。
「我は、別に【羊人】族の【里】を壊す気はない。自らの【心臓】を捧げて一族を救った偉大なる母祖たちへの敬意を忘れたこともないし、今すぐに【里】が変わるべきだとも思わない」
「それなら!」
とっさに自分の口を押さえる。
出てきたのが、まるで悲鳴のような金切り声だったからだ。
これではいけない。
こんなはずではない。
私は、【羊人】族の族長の娘にして、【心臓】の継承者たるラムは、こんな相手にぶざまな態度を見せてしまったりはしないはずだ。
常に冷静に、上品に、そして強気で自信たっぷりに振る舞う少女。
偉大なる血族の後継者。
それが、私のはずだ。
それなのに、
そのはずなのに……
そんな私の様子に構わず、マトマトンは静かに話し続けた。
「だが、この【里】には変化が必要だ。
確かに時代は【武将の時代?】から【料理人の時代】へ移り変わっているのかもしれない。
今は【食材】や【家畜】として生きていくのが最善の道なのかもしれない」
「だから…それなら今のままでも…」
そこで、兄は力強く言い切った。
「けれど、だからこそ我らは変わらなければならない。英雄であった母祖の偉業に甘えて惰性で生きる生き方を止めねばならないのだ!」
「で、でも…」
言葉が出なかった。
旅をして見聞を広め、大きく成長したはずのこの私が、まさか見下していたマトマトンなんかに、ここまで追い込まれることになるなんて……
「時代が変わったというのなら、これからだってまた変わるだろう。
我らは、やがて来る新しい時代を生き抜くため、また、そして常に新しく変わり続けなければならない」
夢の中とはいえ、こんな兄を見るのは初めてだ。
いや、むしろ夢だから、なのか?
これが、私の真の望みだとでも?
少なくとも、私はこうした兄の言葉に、だんだんと心を動かされつつあった。
なぜなら、そこには真実があったからだ。
「物資が代官頼みなのが問題であるならば、手に入れるための手立てを他に考えよう。【人間種】だと認められていないのなら、認めさせる手段を見つけよう」
それだけではない。
「全ては、【里】がこれからも残り、幸福な場所であり続けるため。
そして、我ら【羊人】がこの先の時代も生き抜いていくためだ」
母祖たる英雄たちへの崇敬、【里】への思い。
「上手くいくかどうかは分からない。
正直、我も怖い。
己の行動がもとで、かえって我々【羊人】族の立場を悪くしてまうのではないか、そう思うと震えが止まらない」
そして何より…変化への、変わってしまうことへの恐れ。
なんのことはない。
兄も怖かったのだ。
私と同じに。
だからこそ、【里】の外から舞い込んだ怪しげなチラシになどすがり、ならばこそ、【自警団】などというモノまで作った。
変化を望んだ兄と伝統にすがろうとした妹。
一見、真逆に見えた私たち兄妹は、実はとても良く似ていたのだ。
私は、本当に小さく震える大男を見ながら、なんだか妙な納得を覚えていた。
マトマトンが、実は私と変わらないくらい臆病なことも、それでも勇気を振り絞って進んできたことも、ずっと前から知っていた気がするのだ。
だって、私も同じなのだから。
たぶん、そのことに気づいた私は、外から見るとぼうっとしているように見えたのだろうと思う。
兄は、そんな私に優しく語りかけ続けた。
まるで、幼い子供をさとすかのように。




