第二十六話(19の途中まで)
「うん?いや、もちろん問題ないが……」
奇妙な言葉。
それを了承しながらも、"包丁王"の中で疑問が膨らむ。
それで構わないのか?
いや、頼むことは"それだけ"で構わないのか?
もっと他に、緊急で願うべきことがあるんじゃないのか?
というように。
なぜなら……
「それで、吾輩の質問には、いつになったら答えてくれるのかな?」
今、ここには、凄腕で好戦的な料理人、邪苦が待ち構えているのだから
彼の挑戦を受けている以上、少年は絶体絶命の窮地に居る。
そのはずなのだ。
それなのに……。
少年は、やけに呑気だ。
彼には、まるで不安なことなど、なにも無いように見える。
もしや、現状の危険をまだ理解していないのか?
いや、それはあり得ない。
先程、ブラーサームが目撃した少年の姿は、どうみても料理勝負の恐怖に屈していた。
ブラーサームは、一度は都において"包丁王"の二つ名を得た料理人である。
そんな彼が、見間違いなどをするはずがない。
倒れる少年と自信満々の少年、その前後の姿の間に何があったのかは分からない。
だが、少年が一度はあの"神を喰った料理人"の恐ろしさを身にしみて理解したであろうことは、疑う余地がない事実なのだ。
そこまで考えが及んだ都の料理人は、古いシキタリを思い出していた。
この【食卓界】において、邪悪な、横暴な料理人や領主から農・漁民を救うのは、地位がある料理人の務めである。
ならば、いざとなったら"包丁王"である自分がどうにかしなければならないのか…?
ブラーサームは、右腕を失ったばかりにも関わらず、密かに突撃の心構えを固めつつあった.
だが、
「待たせて悪かったな。いますぐ応えるよ」
"包丁王"が、思い悩んでいたその間に、異世界人の少年は、躊躇なく答えを返していた。
「ほう、感心な心がけだな」
「良いのか、少年!?」
"包丁王"の問いかけに、橋本八助は、胸を張って答える。
「安心してくれ。絶対の自信はないけどな、まあ、秘策があるんだ。というわけで、ちょっとあの機械のおっさん…邪苦のところまで運んでくれ。それだけやってくれれば、後は俺だけでなんとかするか」
そして少年は、そのまま前へ進もうとする。
「そ、そうか。ならば良いのだか…」
本人が自信満々なら、それで良いはずだ。
『地位ある料理人の義務』は、それは『料理力』を持たない庶民を守るためのもの。
たとえ未熟であろうとも、料理人を目指すものはその庇護対象とはならない。
だから、これで良い……そのはずだ。
どれだけ敗北が明白であっても、その結果が悲惨に思えても、こうやって見送ることこそが正しい。
結局のところ、この世界では料理をめぐる争いから逃れることは出来ないのだから。
どんな立場にいる何者であろうとも、やがては戦いに巻き込まれ、競争し、傷つき続けることになる。
未熟であろうが修行時間が不足していようが、何も知らない異世界出身者だろうが関係無い。
やがて疲れ果てて……倒れるまで戦い続けるしかない。
なぜなら、それこそが運命なのだから。
ブラーサーム自身だって、そのことに納得していたはずではないか。
都で"包丁王"などと呼ばれ、調子に乗っていた頃には、自分が負けることなど考えもしていなかった。
勝敗は運命の必然であり、敗北者が出るのも仕方がないこと。
勝負の過酷さは、勝者の栄光を飾り立てるためのブーケに過ぎない。
敗北して、すべてを……大切なものを失うのも仕方がないことだ。
だって、勝負は公正なのだから。
……本当に?
それは、全ての人間が同じ条件で戦えるわけではないことぐらいは、分かっている。
人によって、揃える事が出来る道具や食材に調味料、料理修行にかけられる時間や技術を学べる機会などは、生まれや育ちによって大きな差がある。
高級料理にまつわる約束事やそれ作るための技術などは、名店で修行しなければ決して身につけることは出来ないし、そのためには地位のある人物の紹介状が要る。
そして、その紹介状を手に入れるには、既にそういった名店の関係者でなければならないのだ。
料理の学校や家庭教師にしても、それは同じ。
高みへと続く全ての道は、あらかじめ限定されている。
出自、親の地位、財産、所属している派閥、個人的なコネ、あらゆる裏技を使い、他人を蹴落とし、より上位の人間と親密になることが出来たほんの一握りの者だけが、成り上がり、正式な料理人として地位を得る事が出来る。
それは、常に実力だけで勝ち抜いて来たと自負するブラーサームとて、例外ではない。
平等な条件は存在しない。
公正な勝負も、実はありえない。
だが、それでも勝負は『公正』であるということにしておかなければならない。
なぜなら……この【食卓界】において、料理人というのは最も名誉ある地位であり、その存在は社会の基盤ともなっているのだから。
だから、料理人の地位は、『公正』な勝負の上に築かれた、盤石なものであるということにしておかなければならないのだ。
しかし…しかし、それは良いのか?
それで、本当に良いのか?