第十六話(10~11の途中まで)
混乱する少年。
だが、現実は待ってはくれない。
混乱し、動揺する彼に対して、更なる声がかけられた。
「まあそう怖がらなくて良い。『ご同郷』のよしみで、受けてくれないかね?」
言うまでもなく、邪苦の呼びかけだ。
その声を聞いた八助は、気づく。
あれは『お願い』じゃない。『命令』だ。
言葉こそ愛想は良いものの、あの半機械の料理人の目は、笑っていない。
そこには、冷たい殺意と勝負に対する欲望しかない。
しかも、『同郷』ということは、コイツも八助と同じ異世界人、しかも日本人だということだ。
道理で、刺身が上手いわけである。
同じ日本人が関わっていなければ、『これは日本独自の料理なので、みなさんのお口には合わないみたいですね』とか、『勝利は無理でも、特別点で引き分けにしてくれませんか?オリエンタルとかエスニックな評価で』とか、うまい具合に話を収めることも、あるいは可能だったかもしれない。
しかし、日本人同士の勝負となると、それは無理だ。
たとえこの場にいる他の人間が料理勝負の審査員となったとしても、条件は変わらない。
美食がすべてを決めるこの世界において、権力と権威を持つのは、美食を提供できる者、すなわち料理が上手い者である。
この島において、最も料理が上手いのは誰か……そんなことは、語るまでもない。
先程までの料理技能対決によって、この島における権威関係は、とうの昔に決定していたのだ。
だが、八助は、本当に無力なのか?
【北辺島】の人々が語った彼の噂、少年の勝利。
その噂は、確かに真実である。
しかし、八助が【羊人の里】勝利した時の手も、もはや使うことは出来ないのだ。
なぜなら……
(駄菓子はないし、うまみ調味料もあの時に使い切っちまった!)
(それにしたって、勝負のお題が『具が何も見えなず、審査員が味わったことのないスープ』とかいうトンチキな代物でなけりゃ、俺には絶対に勝てなかっただろう……。)
(あの時、恩返しもほぼ成功したし、全て済んだはずだったんだ……それが……それなのに……。)
少年は激しく動揺を続け、愚痴るように思考を巡らせ続けている。
そう、真実は、そんな他愛のないものであった。
異世界人の少年は、料理の実力によってではなく、持ち込んだ品と運によって勝利し、そしてその幸運は二度とは戻らない。
そして、彼に課せられていた義務、八助がやるべきだった恩返しも、もうほとんど終わっていた。
ただ一つの例外を除いて。
異世界に転移したため、異界の病に苦しみ、死にかけていた八助。
そんな彼を助けたのは、一人の少女だった。
【羊人の里】でも特別な扱いを受けていた彼女は、本来隔離され、庇護されているべき存在だったのに……一ヶ月も彼を看病してくれた。
八助が今も生き延びられているのは、間違いなく彼女のおかげである。
だから、彼女を助ける旅を除けば、彼にこの世界でやるべきことは、もう何も残されていない。
だが……だがその恩人、ラムの命がかかった勝負に直面し、少年は……ただ立ちすくんでいた。
つらつらと過去を振り返り、改めて自分の無力さを痛感したが、だからと言ってそれでどうにかなるわけでもない。
八助は、気持ちが悪くなりふらついた。
それでも彼は、その気分の悪さに耐えようと踏ん張り、ひとまず落ち着こうと、正面から目をそらす。
その時、彼の視界になにか妙なものが映った。
なんだか分からなかったが、動揺した少年は、ひとまず意識をそれにそらすことで、なんとか落ち着こうとした。
それは、光っており、凍りついており、その先端は細かく……そう、五つに分かれて天を目指していた。
それは、まるで天を掴もうとする腕のようであり……。
いや、『まるで』ではない。
それは、まさに腕であった。
間違いない。
アレは、先程、【氷晶包丁コルセスカ】を誤った使い方をしたため、無残に崩れ落ちたブラーサームの右手首だ。
それに気づいてしまった少年は……ついに、耐えきれなくなってしまった。
八助は、吐いた。
少年の頭の中で、音が止まり、波音がかき消えた。
視界に映る光景も凍りつき、波さえも一瞬で氷像と化したかのように動きを止める。
空中に飛んだ波しぶきさえ、金剛石のように固まるのを目撃しながら、橋本八助は、静かに崩れ落ちる。
強大な期待をかけられ、自らの無力に打ちひしがれた異世界人の少年は、異世界での過酷な現実を前にして、ついに限界を迎えたのだ。
だがその時、彼は再び奇妙なものを目撃することになる。
それは、異世界に転移した彼でさえ、それまで見たことがなかったようなものであり、予想もしなかった展開で……
そして彼は、【北辺島】における本当の試練について、そして己が背負うことになる運命の、その一端について、ようやく知ることになったのであった。
そう、異世界人、橋本八助の試練は、ここから始まるのだ。




