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2.やかんとジュースとチラシ配布

 私たちは、互いの誕生日とクリスマスに、お店に見に行ってプレゼントを決めることにしている。

 私の誕生日は五日後なので、過ぎてからしか会えそうにない。

 グリーン系の色合いの化粧ポーチを見つけて、ほしいなと思っていた。別に、いつプレゼントしてもらってもいい品物だけど。残念な気持ちは当然ある。


 お店を見て回るきっかけは、出会って最初の十二月に、ひょんなことから純平君の一人暮らしの部屋に、やかんがないことが発覚したことにある。

 小鍋でお湯を沸かしているという。


 彼が、クリスマスプレゼントに特にほしいものはないと言うので、提案した。


「それなら、やかんは?」


 二人で、やかんを見に行った。

 お店の生活用品のコーナーをはしごする。そのうちに、周りの人たちの様子も見えてきた。

 買いに来ているのは、主婦が多い。それから、たまに二人でいるのは……。

 気がついて、急にどきどきした。

 二人でやかんを選んでいるのって、新居に越したばかりの新婚夫婦みたい。


 私と純平君は、五年間ずっと付き合いが続いているけれど、何というか、最初からあまり盛り上がることもなかった気がする。

 意見が違ってもちょっと言い争うかどうか。何しろ純平君が穏やかすぎるから。もう少し平穏でなくてもいいのになあと思う。

 大きないざこざがあってから仲直りするとか。相手に他の異性の影が、とか……あるわけないか、お互いに。


 まるで、いつも凪いでいる海のよう。

 その青い色を黄色やオレンジ色に変えるほどの変化は望まないけど、ときには大きな波のようなうねりがあってもいいのではないかと。

 由加ちゃんには絶対に言わないけど。ない物ねだり、とからかわれそう。


 とにかく、そのときのプレゼント選びには、ちょっとばかりときめきを覚えた。

 新婚みたい……。


 ところが、いざ買うやかんを決めたとき、純平君は尋ねてきた。


「クリスマスプレゼントにやかん、ということは、皐月ちゃんには鍋かフライパンをプレゼントすればいい?」


 天然すぎて、あまりにもムードがない……。

 急に冷めた。勝手にどきどきした自分も自分だけど。



 数日後にやかんのことを訊いてみた。


「えーと、一回か二回は使ったよ」


 普通の口調で言われて、外したなあと実感した。


「お湯を沸かすのに鍋は不便じゃないの。コーヒーを淹れるとか……」


 そこまで言いかけて、やっと自分の間違えに気づく。

 純平君は、お茶やコーヒーを飲む習慣がない。


 出会ったのは、二人とも大学一年生のとき。

 最初のころに、レストランのドリンクバーで、彼はオレンジジュースやアップルジュース、メロンソーダなどを飲むことに気づいた。コーヒーや紅茶じゃないんだ、と意外に思った。


「何だかフルーツ系のジュースばかり飲んでいるけど、コーヒーとかは飲まないの?」


 尋ねると、彼は答えた。

 子どものころによく風邪を引いたこと。そういうとき、母親が『ビタミンCをたくさん摂らないと』と、フルーツやそのジュースをよく買ってきたのだという。


「今でもそういう飲み物は割と飲んでいるよ。糖分の少ないほうがいいけど」

「そうなんだ。一番好きなのは何?」

「宇宙」


 テーブルに突っ伏しそうになる。


「そうじゃなくて、ジュース」

「あ、ごめん。えっと、レモンスカッシュ」


 その答えがどうでもよくなるくらい、宇宙という答えにずっこけた。

 彼は本当に宇宙が大好きな人で、大学院を出て、宇宙の研究をするつもりでいる。


 出会った日にも、宇宙を究明したい、と熱心に話してくれた。


 最初から純平君は、私にならきっと話ができるという気がしたそうだ。

 人と話すのが苦手な方、まして女の子に話しかけるなんてできないと思い込んでいたのに、私にだけは何とかして話をしたいと思ったとか。

 私は私で、理解が追いつかないまま彼の話を聞きつつ、何となく質問したりした。


「ごっち君、宇宙に行ってみたいとか?」


 そんな問いかけから始まって、自分の趣味の話に夢中になってしまう彼が、どういうわけか好ましく感じたのだから、不思議だと思う。


 とにかく、ジュースもビタミンCと言われれば、分からなくもない。一人っ子で病弱だと、両親が気にかけるのもよく分かる。

 しかしながら。


「食べる物も心配されていて、青汁とかよく送ってくるんだよね」


 そう言われたときは、びっくりした。

 野菜不足を考えたにしても、発送するのはどうかと。あの濃い緑の飲料が、実家から箱詰めにされてくるのも何だかなあと思う。


「味が飽きそうだから、オレンジやりんごのジュースを足しているよ」


 普通のことのように、純平君は話した。


 彼は今でも色白で痩せていて、やっぱり弱々しい。私と出会ってからは体重が増えたと言っているけれど、相変わらずひょろひょろしている。

 甘いものが苦手ではないので、太らない体質もあるのかもしれない。


 もっとも、年末に帰省したら、一人暮らしを過度に心配されてしまい、結局親戚の家から大学に通うことになった。それでも青汁は送られてくるらしいが。

 

 インドア派で、机の上にノートを広げて、宇宙のことを考えるのが日課らしい。そんな数式を書いてにまにましている彼の手元に、青汁って……。

 コーヒーが置いてある方が似合うと思うのは、私だけだろうか。


 やかんは、いまだにほぼ新品のまま、実家の自分の部屋に置かれているそうだ。



 ***



 停留所で待ちながら、さまざまに思いは巡ってしまう。

 それにしても、蒸し暑さが堪える。

 爽やかな飲み物がほしいくらい。


 バスはまだ来ない。

 なんの力も湧いてこないので、そのまま座って待つことにする。

 そのうち白髪でやや腰の曲がったおじいさんがやってきたので、座席を詰めた。


 そこへ声がした。


「ね、あとどのくらい残ってる?」

「もう少しだよ。うまくすれば、次の電車で人が来たら配り切れるかも」

「早く終わらないかなあ」


 見ると、大学生らしい男の子が二人、女の子が一人。ダンボール箱がそばにあって、一人がなかから何か取り出している。

 すぐに分かった。チラシを配っているんだな、と。

 私も学生のときはアルバイトでやったことがあるから。


 実は、純平君とは草川(くさかわ)駅でチラシを配っているときに知り合ったのだ。

 向こうは料理店のティッシュを配っていて、私は由加ちゃんと一緒に美容室の割引券のついたチラシを配っていた。

 今でも、その淡いオレンジ色のチラシを覚えているし、彼の宇宙の話もすべて分かったかどうかは別として、よく覚えている。



 遠くから規則正しい走行音が響いてきて、やがて収まった。次の電車が駅へ到着したらしい。


「あっ、来た来た」


 チラシ配布の三人が朗らかに話をしている。

 そんな様子を何げなく眺めてしまう。懐かしいなと思う。


 電車の走り去る音とともに、駅から外へ人が出てきた。

 帰宅する人々の列に、三人は慌ただしくチラシを配り始める。

 そうそう、こんな感じだったな、と記憶を掘り起こす。


 バス停にも人が並び出す。もう少ししたら、バスも来るに違いない。

 やがて、人の流れがまばらになる。

 電車を降りた人たちは、駅の周りからだいぶ散らばったようだ。


 ふと空を見上げると、西の方角に星が一つ見えた。多分、金星。

 雲が途切れている。


 どう見ても、雨は降らない。

 私はそれでも、バス停から動けない。学生の頃は、歩くのに何でもない距離だったのにな。


「人が来なくなったね」


 配っている女の子が声を出した。


「あれ、もうないよ」


 一人の男の子がダンボール箱を覗いて話す。


「えっ、嘘。私あと三枚残ってる」

「俺持っているの、一枚だけだ」

「本当かよ。それじゃ、全部で残り四枚じゃん。やった」


 そのとき、二人続けて人が通った。

 女の子がさっとそちらへ向かい、うまく渡す。


「こっちもあと一枚になったよ」

「よし、あと二枚で終わりだ」


 何だか終了目前で、三人とも活気づいている。楽しそう。


「あっ、来たぞ」


 男の子が慌ててそちらに行く。通りがかりの人は、勢いに押されたのか、あっさり手に取る。


「やった、あと一枚。早く誰か通らないかな」

「あと一人だぞ」


 ますますテンションが上がっている。

 でも、電車はしばらく来ないだろうし、見回してみても、そちらへ向かう人はもういない。


「誰か誰かぁ」


 女の子がぶつぶつと呟く。


 気持ちは分かる。でも、私はこれからバスに乗る予定なんだよ……。

 空は余計に晴れてきたようで、恨めしい。


 雲が流れる。月が見えてきた。

 黄色い満月が雲の合間から光を放っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] ごっちくん……青汁贈られてくるほど心配されてるとは(;'∀') どんだけヒョロヒョロなんや(;'∀')
[良い点] やや天然な発言やズレた会話の返事などを見ていますと、主人公の恋人である純平君は、研究テーマである宇宙の事となると寝食を忘れるタイプの男性のようですね。 そうした夢中になれる物に直向きに情熱…
[一言] 食べ物の話の流れからなにが好きと聞かれても、迷うこと無く「宇宙」と答えるごっち君。やかんが必要ないのがわかるような気もします。 夢中になると、食べることも忘れちゃうタイプなのかな? と。
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