表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やかんと月とビタミンカラー  作者: 石江京子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

1.雨の降らない帰り道

 どうせなら、ざあざあと雨が降っていればいいのに、と思う。


 改札口を出て、空を仰いだ。

 雨は全く降っていない。


 駅の周りの風景は、どこか霞んで見える。

 疲労がたまっているせいかもしれない。それとも、気分的なものなのか。


 私はスマホを取り出し、何度も見たはずの純平(じゅんぺい)君からのメッセージを、もう一度眺める。


『ごめんね。今日は会えなくなった。また連絡する』



 五月ももうすぐ終わり。

 夜を迎えようとしている空には、どんよりとした雲が湧いている。空気は湿った感じがするけれど、雨にはならなさそう。

 鞄のなかの折りたたみ傘が、一層重たく感じる。


 私はスマホを鞄にしまい込むと、一枚のはがきを取り出した。


 結婚式二次会の招待はがきが届いたのは、先週末だった。

 その往復はがきを半分に切り、返信用の欠席に二重線を引いた。『ご出席』を『慶んで出席させていただきます』にして、更に『お二人の晴れ姿を楽しみにしています』と書き添えた。


 今は、そのはがきをポストに入れるだけ。



 ***



 先週土曜日に、由加(ゆか)ちゃんに会った。

 大学の学科が一緒だった関係で、ずっと付き合いのある友人だ。少し前に連絡があって『久しぶりに会いたいね』と話し合い、『食事でも』となった。

 それなのに、なぜか飲みに行くことになってしまった。


皐月(さつき)ちゃんはいいなあ。合う人が早く見つかって。ごっち君とずっと続いてるんだよね」


 その言葉を私が適当に流さなかったのが、原因だ。


「そのごっち君、というの、そろそろ向後(こうご)君に変えてくれない? 私も将来、名字が向後になるかもしれないんだし」


 すると、由加ちゃんは目を瞠って、高い声を出した。


「ええっ、もうそんな話が出てるの?」

「えっ、いや、何というか、可能性の話だって」


 慌てて取り繕おうとするが、遅かった。


 純平君の名字は向後なのだが、友人からは「ごっち」と呼ばれていた。

「こうごっち」と呼んでいたのが、略されてそうなったとのこと。由加ちゃんもそれでずっと呼んでいたのだけど、このときはなぜか引っかかった。


 この場で言うべきではなかったのに。

 ゆとりのない日々を送っていると、余計に疲れを伴う事態が起こったりする。


「ええっ、いいな。いいな。私、もう本当に落ち込んじゃう」

「だから、可能性だって。そんな簡単にできることじゃないよ」


 そう。結婚するってそんな簡単なことじゃない。

 ところがそこで、由加ちゃんが彼氏と別れてしまった、と打ち明けてきたのだ。


「今回は、半年続かなかったんだよねぇ」


 何か違うような気がして、こちらから別れを告げたという。それでも、由加ちゃんの心はすっきりしていないみたい。


「……そうなんだ」


 何となく受け止めるような返事をしたつもりだった。

 それなのに、由加ちゃんは一気に水を飲み干す。


「皐月ちゃんには分からないでしょ」


 むっつりとした表情で言い出したので、飲みに付き合わざるを得なくなってしまった。


 結局、飲み過ぎた由加ちゃんを家の近くまで送った。

 女友だち同士で何をやっているのやら。


 気まずいことがあっても、付き合いが長いので、何かしこりが残るわけではない。

 それでもどこか気が塞いだまま、自宅にたどり着く。すると、ポストに往復はがきが届いていた。

 こんなときに限って、結婚式二次会の招待とは、どうも神経に触る。


 新郎も新婦も、大学時代のサークルの仲間だ。

 新郎は一つ先輩だけど、新婦のみっちゃんは一つ下。みっちゃんは、同じ大学の短大生なので、私より二年早く就職している。


 そうであっても、二十三歳で結婚できるのって、何だか羨ましい。

 こちらは社会人二年生。

 もうすぐ二十四歳になる。


 招待はがきを見て、動揺してしまった理由は、他にもある。

 偶然、二次会の会場が知っている場所と近かったのだ。


草川(くさかわ)駅下車 徒歩十五分、または新草川駅下車 徒歩十二分』


 五年前、私が純平君と出会ったのは、その草川駅だった。



 ***



 雨の降る気配はない。


 北口を出て、右に曲がると古びたポストがある。

 朱肉の色を水で薄めたような色合いで静かに佇んでいる。その開いた口に投函する。

 出席のはがきは吸い込まれて、乾いた音を立てた。


 私は引き返して、家までの道をいつものように徒歩で帰ればいいだけ。

 けれど、電車を降りたときからすでに、歩く気分ではない。


 私の足は、道を戻ることなく進み、そのままバス停へと向かう。


 駅から自宅まで、徒歩二十分ほど。家の近くまで行くバスも出ている。黄緑色をした市営のバスだ。

 学生のときは、一度も乗ったことがなかったけれども。

 社会人になって大雨の日に数回乗った。今日も雨さえ降れば、乗るのに何の気兼ねもないのに。


 ため息をつきながら、結局はバス停の椅子に腰かけた。

 時折、視界の隅を車のライトがよぎる。

 バスは行ってしまったばかりらしい。他に待っている人はいない。


 私はスマホを取り出し、もう一度眺める。


『ごめんね。今日は会えなくなった。また連絡する』


 あらかじめ、純平君から「もしかしたら、水曜日は会えなくなるかも」と連絡をもらっていた。

 せっかくの残業のない日。どうにか彼の都合がついてほしかった。


 私は社会人で、彼は大学院生。お互いに目まぐるしい毎日を送っている。

 私が就職してからは、休日がほとんど合わなくなってしまった。二人の生活が違い過ぎて、このところ交差する時間はわずかだ。

 なかなかゆっくり会えない。



 昨年は、会社に入ったばかりで、覚えることがいっぱいだった。二年目に入って、少しはゆとりができるかと思っていたのに、実際にはそうではない。

 新たな仕事は増えるし、一年目に比べて責任も持たされる。ストレスがかかることばかり。


 三年目、四年目もこんな感じではないかと思うと、先が見えてこない。体だけでなく心も鉛が流し込まれたように重く感じる。


 彼が就職するまでは、まだ長い。

 うちの両親は、二人で暮らす資金も気にしているので、結婚までは程遠そう。純平君って頭はいいけど、外見からして頼りなさそうだしなあ。


 とにかく少しでもお金を貯めよう。そうは思っていても、忙しい生活に消耗している。

 今日のような残業のない日は珍しく、前から会う約束をしていたのに。


 気分はひどく下がっている。

 要するに。

 雨は降らないけれど、家まで歩いて帰る気力がない。


 私の誕生日プレゼントを見に行くという予定も、ちゃんと決めていたのになあ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] すれ違いカップル……切ないわぁ( ノД`)シクシク… 下手をするとそのまま破局になりかねない状況やないですか……どうなるのか、読み進めさせていただきます(;'∀')
[良い点] 環境が変わったカップルの在り方がリアルだなぁと思いました。結婚が頭を掠める年齢になってきたときに、他人の結婚が羨ましく感じるということも。 サラッと書かれた最後の一文に頭を殴られたような気…
[一言] 企画からお邪魔させていただきました。 郵便ポストの「朱肉の色を水で薄めたような色合い」という表現が、とても印象的だったんです。 雨が降り出しそうな夜に、ぽつんと、鮮やかな色ではないけれど、ぼ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ