小学校でかくれんぼを
ネタがありふれている気がしてなりません。
どうかお目こぼしをば。
西日の照りつける職員室で、私は額の汗を拭った。背中に焼き付く日差しが恨めしかった。
太陽が地平に沈もうとも暑さはほとんど変わらない。いつからだろうか。温暖化のせいだろうかと勝手な当たりをつける。
自分の仕事もついでに処したせいでもあるが、同僚に押し付けられた事務仕事が思っていたよりも長引いて、こんな時間になってしまった。頼まれたら拒めない自分の性格が嫌いだ。彼女はきっと、学生時代から付き合っているという彼氏と宜しく過ごすのだろう。叫びたい気分になるが、薄い壁を越えて外に聞こえたらと思うと恥ずかしいし、却って身体も火照り汗をかきそうだから自重する。休日出勤のため、エアコンが止められているのがとても残念だ。
パソコンの電源を落とし、忘れ物が無いか確認したところで、外から聞こえる微かな声に気付いた。子どもの声だ。集中のため、ノイズキャンセルのヘッドホンを装着していたので気が付かなかったのだろう。
部屋の施錠を確かめ、職員用の出入り口のサムターンを回し扉を潜ると、側の壁面に額をくっつけるようにして、子どもが二人、大きな声で秒を数えていた。これほどの声量に気付けなかったのかと、自分の聴覚に呆れた。
幸い、覚えのある生徒だった。
扉の鍵を閉めて、声をかける。
「ユミちゃん、カナちゃん、どうしたの?」
二人とも私の受け持つ2年2組の隣のクラス、2年1組の生徒だった。
「先生!」
「えっとね!」
「かくれんぼ!」
「そう! カナたちね、かくれんぼしてるの!」
私の所属するこの小学校は制服を採用していて、休日だというのに二人とも制服を着用していた。白の襟付きのシャツにサスペンダー付きの紺色のスカート。夏という季節に合わせて、上下ともに丈は短めだ。学校で遊ぶから、わざわざ制服を着て来たのだろうか。
それにしても、かくれんぼとは。
小学生らしい遊びが微笑ましく、私は少し頰を弛めた。
「そうなの。気をつけてね。遅くなっちゃダメよ!」
「はぁい」
「あ、ユミちゃん! もう時間経ったかも!」
カナちゃんが左腕の腕時計を見て言う。小学2年生だから、時計の読み方は習いたての頃だろう。文字盤があった。アナログ時計のようだった。ユミちゃんも自分の手首を覗いた。確証は無いが、多分お揃いだ。
よく観察してみると、髪留めやポケットからはみ出したストラップもお揃いのものとなっている。全て空色と桃色と白色がカラフルでポップに配置されていた。
「そうだね! 行こっか!」
「うん!」
勇んで駆け出す二人の背中に、私は呼びかける。
「校舎に入っちゃダメよ!」
「はぁい!」「はぁい!」
聴いているのかよく分からない返事。もしこれで問題行動があれば、責任を問われるのは休日出勤をしていた私だ。私は今日は出勤していないことになっている。だから、尚更都合が悪い。放っておかず、彼女たちを帰路につかせるまで見張るべきでは無いか。
前に別の教師が戸締りや学校敷地内にいる生徒の確認を怠って教頭に説教を受けていた。他の教師の面前で、だ。自分がと思うととても耐えられない。
咄嗟にそう発想して、私は二人を追った。
「先生も捜すの?」
「先生もオニ?」
「うん。お願い」
二人の目線に合わせて膝を折って手を軽く合わせてみる。小学生がこのジェスチャーを解するかはよく分からないが、言わんとすることは伝わるだろう。
「うん! いいよ!」
「一緒に捜そう!」
「ありがとう!」
話が決まれば、二人は私の手を掴んで駆け出していく。職員用の駐車場の方向だ。昔の教室やボイラー室やゴミ焼却炉など、生徒にはおよそ縁のないエリアに手を引かれる。休日でも、いや、休日だからこそ、出入りの業者の車輌があったりして危険だ。現に、焼却炉から煙が上がっている。今まで何度か休日出勤しているが、使われているところは初めて見た。
こういうところに隠れられると、万一の事故が起きた場合に殊更に厄介だし、調べようと迂闊なことをされても洒落にならない。やはり監督して良かったと胸を撫で下ろした。
さて、適当なところで帰らせよう。
この学校を鳥瞰すると、およそカタカナのロの字の形の校舎と、その周辺部に諸々の施設が渡り廊下やらで繋がれた形をしている。真ん中は中庭で、レンガが敷かれ壁際に植え込みや園芸クラブの花壇があるという設計。東側一面は生徒用昇降口に、西側一面はピロティになっていて通り抜け可能だ。そのまままっすぐ行くと、生徒用の通用口があり、そこは休日でも開放されている。子どもたちはよくそこを抜け道として利用していて、防犯面ではどうかと思うが始終開け放しの運用らしい。
私が仕事をしていた職員室は北側で、職員用駐車場などの生徒に縁のない施設が集中している。
校舎を反時計回りに、私たちはオニとして子どもたちを捜し始めた。
車の下や建物の陰など、小学生が隠れそうなところを覗き見ていく。
しかし、幸運なことに、この辺りに隠れようという強者は居なかったようだった。
まあ、思っていたより隠れ場所が少なかったというのもある。車の下なんて、小学生の小さな身体でも埋めるには腹這いにならないといけずしんどいだろうし、建物の陰になっているところは別の面から見てみると丸見えでとても隠れられそうな気分にはなれない。小学生の目線から言ってもそうだろう。
「どこー!?」
「返事してー!?」
呼んでみる二人に私は苦笑する。
かくれんぼをしているのに「どこ?」と聞かれて律儀に返事する人なんていないだろう。
それでも癖なのか、二人は呼び続けながら探した。
「いないね」
「うん。いない」
ユミちゃんとカナちゃんが確認し合う。
「かくれんぼはどこまでなの?」
隠れるエリアが無制限であれば、捜すのにとんでもなく手間と時間がかかる。
「どこまでって?」
「学校の中だけ? 外にはいないの?」
「うーんとね、学校の中だけだよ」
「そうなのね」
ひとまずは安心と言ったところだろう。
小学二年生がルールをきっちり守るのかと思えば少し怪しい気もするが、一応捜索箇所がはっきりしているのは心強い。
あとは何人でかくれんぼをしているのかだ。ふたりで捜索しているということは、それなりの人数が隠れているのではないか。
「ねえ……」
「「あー! ユウキくん、みっけ!」」
私の言葉は、ユミちゃんとカナちゃんが隠れている子を見つけた歓声にかき消された。
体育館に続く渡り廊下の鉄柱と校舎の間に、身体をフクロウのように細くして息を殺す少年を見つけた。これまた2年1組に籍を置くユウキくんだ。
こちらも、担任する生徒ではないが顔と名前は把握していた。ユウキくんは制服ではなく私服を着ている。黄色いキャラクターもののTシャツにインディゴの短パン。子ども向けの腕時計。スポーティな格好であり、また、典型的な小学生男子の格好だった。
「ちぇっ。見つかっちゃった」
ユウキくんは悔しそうにして、そして私の存在に気付いて「えっ! なんで先生いるの!?」と驚いていた。
「先生もね! オニなんだよ!」
私が答える前に口にされる。
私は「そうなの」と鷹揚に頷いてみせた。
「えー! ずるい!」
ユウキくんは不満そうに頬を膨らすが、私は何もしていない。オニ役としてはひどく怠慢だ。
「ね、お願い」
ユウキくんに対しても手を合わせてみる。
「ダメかしら」と片目を瞑って見せるところまででひとつだ。
ユウキくんは「うーん、まあ……」と戸惑いを露わに頷いてくれた。
「それじゃあ、他の子も一緒に探しましょ」
「ううん。見つかったからもう家に帰る」
「そうなの?」
私は目を丸くしたが、ユミちゃんもカナちゃんも、見つけたユウキくんを一顧だにすることなくピロティの柱の裏側をひとつひとつ確かめている。
どうやらこの子たちの間では、かくれんぼで見つかった子たちは三々五々帰路に着くことになっているようだ。
「そうなの。気をつけてね」
帰ると言っている子を家まで送る義務は無い。
敷地の外にユウキくんを見送って、立ち去ろうとする直前、ふと先程ユミちゃんとカナちゃんに問いかけた質問をかけてみた。
「ねえユウキくん。何人でかくれんぼやってるの?」
「8人だよ!」
ユウキくんは振り返りながら大きな声で教えてくれた。「ありがとう!」と営業用の満面のスマイルで去っていく背中に声を送った。
あと5人も隠れているらしい。
みんな捜し切らないと。
そう思うと憂鬱な気分になったが、乗りかかった舟だと気を改める。
ユミちゃんとカナちゃんはとうに二人目を見つけたらしい。「ノゾミちゃん、見いつけた」とどちらかが無邪気にやっている。声だけでどちらか判断できるほどには、二人とは親しくない。
ノゾミちゃんは、ピロティの柱の陰に隠れていたらしい。
ユミちゃんとカナちゃんの二人と合流する時、ノゾミちゃんとすれ違った。フリルの付いた白のワンピースを着ていた。手にしていたのはスマートフォンで、この年齢から持ち始めるものかと軽く目眩がした。
ユミちゃんとカナちゃんは中庭を粗方見終えたようで、今にも違うところを捜そうとしていた。
「あら、もうここは良いの?」
「うん!」
「大丈夫!」
ユミちゃんとカナちゃんはくるりと背を向けて校舎を外回りに捜そうとしている。
すぐ目の前の茂みがガサゴソ揺れていることに気付いていないらしい。確かめようと近付いて上から腰を曲げ覗く。
サマーパーカーのフードを被った子どもが身体を縮めていた。「見いつけた」とおちゃらけてみる。
「ひゃあ!」
甲高い悲鳴を挙げて驚いてくれたのはミサキちゃんだ。彼女は私のクラスに在籍している子で、それ故、他の子に比べると断然、私は彼女のことをよく知っている。
「な、なんですか!? せ、先生!?」
メガネをかけたおさげの彼女は植え込みから転がり出てきた。手首に巻かれた細身の腕時計はスポーティーなデザイン。背中に緑色のイモムシがくっついている。下は履いていないかと一瞬見紛うようなショートパンツ。おとなしく、臆病である──そんなイメージと異なる姿に、私は大層面食らった。
「ミサキちゃんもかくれんぼしてるんだ」
意外を口に出せば、ミサキちゃんは顔を赤くして俯いた。
「先生、ここに隠れていることは黙っていてください」
「あー、うん。いいけど……」
少し言葉を濁してしまう。
「でも、もう遅いみたいよ」
「え?」
「あー! ミサキちゃん!」
「見つけた!」
ユミちゃんとカナちゃんが駆け寄ってくる。ミサキちゃんは今にも泣き出しそうな表情を須臾の間浮かべた。高々かくれんぼで大袈裟だな、と思った。
「見つかった子は帰るのよね?」
「え?」
「うん!」
「そうだよ!」
「じゃあミサキちゃんも帰るのね。気をつけてね!」
背中を押すようにミサキちゃんを門の外に出す。ついてきたユミちゃんとカナちゃんが、百葉箱の下に隠れていたアキラくんを見つけてはしゃいでいる。どうしてそんな人目につくところに隠れようと思ったのだろうか。アキラくんは学年でも名の知れた間抜けな子だ。理解に苦しむ。ミサキちゃんとまとめてアキラくんも家に帰すことにした。
「気をつけて帰るのよ」
「はーーい」
アキラくんは颯爽と帰っていった。白い服が草の汁で緑に染まっている。親御さんが卒倒しないかと心配になった。
アキラくんが晴れやかに帰っていったのに対して、ミサキちゃんは仏頂面で、悲痛でも悔しがるでもない、私には解し得ない感情を貼り付けていた。
「またね! ミサキちゃん!」
週明けには顔を合わせるのだ。
やはりいつも教室で浮かべているような、練習した満面のスマイルを披露して手を振る。
ミサキちゃんは何か言いたそうにしていたようだが、何も言うことなく踵を返して、ゆっくりとした足取りで家路についていった。
「あとは運動場かなぁ」
「うん。捜してみよう!」
少女たちの無垢な歓声に、柄にも無く心が洗われる。
二人の言う通り、後はもう運動場くらいしか残っていない。
プール横のアスファルトを進んでいく。
授業に使うのか畑があったが、今学期から務めている用務員が勤勉に雑草を抜いて均してくれているから、いったいどこに隠れようというのか。
プールの出入り口は固く施錠されていて、錆びついた門扉に対して鍵だけは新しく、しかも鍵は職員室だ。
大人である私の身長よりも高い門扉をよじ登ったり、鍵をこじ開けたりなんておよそ不可能だろう。
教室の窓の外に張り出した耐震補強の鉄骨の陰を上から覗くけれど、誰も隠れていない。
校舎の中に入っていないとすると、意外なほど選択肢が絞られていた。
そして、運動場も見通しが良い。
勤務用のスニーカーの靴裏に、砂利の感触が伝わってくる。
遊具はどこも閑散としていて、ブランコも鉄棒も雲梯も登り棒にも、人の子ひとり居なかった。
「じゃあどこかしら」
訝しんでみる。
ユミちゃんとカナちゃんも、フェンス沿いに捜して「いた?」「いないね」などと喋り合っている。
一周ぐるりと来て、とうとうスタート地点である職員玄関に戻ってきた。
「ここじゃないものね」
私は確かめるように呟いた。
腕時計を見やると、もう18時になろうとしていた。
小学2年生ならば家に帰って然るべき時間だ。
「6時までに見つけられなかったらね! ユミたち負けちゃうの!」
おずおずと伺いを立てた私に、ユミちゃんは悔しそうに言った。負けず嫌いな一面があるのだなと理解した。
「でももう6時よ」
腕時計を見せると、ユミちゃんは激しく駄々をこねるように首を振った。
「やだ! 捜す!」
「ユミちゃん……」
「ユミちゃん、もう帰ろうよ……」
ぐずつくユミちゃんを制したのはカナちゃんだった。
「カナ、疲れちゃったよ……」
「でも……」
「大丈夫よ。先生がちゃんと捜しておくから」
私は思わずそう口に出してしまった。余計な仕事が増えた、と心の中で私を責める私の声が聞こえる。
ユミちゃんはなおも煮え切らない様子だ。
「……でも……いやだ……」
涙が目じりに光っている。声も震えている。
ああ、面倒だ。
口にこそ決して出さないが、偽りなくそう思った。
途方に暮れる私に対して、カナちゃんは「じゃあもうちょっと頑張ろ!」と切り替えた反応。余程カナちゃんのほうがしっかりしている。なんだかいたたまれない気分になった。
カナちゃんを先頭に、ユミちゃん、私、と連れ立って校舎をもう一周する。
焼却炉から上がっていた煙がいつの間にか消えている。
ここには見切りをつけたのか、泣き止んで嘘みたいに元気になったユミちゃんとカナちゃんはきゃっきゃとはしゃいで校舎の角を曲がっていった。
車はもう私の軽自動車だけになっていた。中古だが、丸みを帯びたフォルムと薄いピンク色がかわいらしく、気に入っているものだ。
戯れに、ボンネットを軽く叩いてみる。
冬場など、ネコが忍び込んでいる可能性があるので、これをやっておかないといけないのだ。
まあ、今は夏場だし、学校に野良猫が入ってきた事例なんて、勤続の長い同僚も言っていなかった。
そう思っていたのだが、「わっ! 何っ!?」とくぐもった声がして目を丸くした。
やあやって、愛車の下から、ショウタくんがもぞもぞとはい出してきた。
「ちょっと、危ないでしょ」
膝を曲げ目線を合わせて軽く叱る。
半袖のTシャツにジーンズ。運動靴という動きやすいファッションに身をくるんで、ショウタくんは「へへへ」と笑った。
「分かってるの? 先生が気づかずに車を出してたら、轢かれていたかもしれないんだよ」
本当に冗談では済まない。
私のクラスの生徒でなかったのなら、通信簿に書く注意事項が一点増えていたところだった。
ショウタくんは私の表情とトーンが真剣そのものだということを理解した様子で、しゅんとなって「ごめんなさい」と俯いた。
ここで泣かれてしまうと、保護者や幹部が色々煩い。
的確に指導をしつつ、生徒の機嫌を取るというのがどれだけ難しいことなのか理解してほしい。
私は表情を緩め、柔らかく微笑んだ。
「次からは気を付けて、絶対にやらないでね」
「……はーい」
私は、話はこれで終わり、と言わんばかりに立ち上がって手をパンパンと叩いた。
「それで、ショウタくんもかくれんぼ?」
「え? うん、そう」
「あら、じゃあ……見いつけた」
悪戯な笑みを浮かべてショウタくんの肩を叩く。
きょとんとするショウタくんに事情をかいつまんで説明する。
「それにしても全然見つからなかった……。ここも見たはずなんだけどね」
一周目の時に車の下は全て捜した。すべからく見つかるはずなのに。
ショウタくんは得意そうに胸を張った。
「動いてたんだ! はじめは教室の外のでっぱりのところで、声が聞こえたからこっちに隠れたんだぜ!」
かくれんぼのルールとしてそれはありなのかと思ったが、見つかったから良しとしよう。
「分かったわ。もう遅いから帰りなさい」
ショウタくんは自分の腕時計を見て「うわっ! ほんとだ! ママに怒られる!」と叫ぶとパタパタ一散に駆け出して行った。「先生またね~」のおきみやげの声だけを残して。
ふう、と一息つく間もなく、「先生~!」と声が近づいてきた。
ユミちゃんとカナちゃんだ。
「ショウタくん、見つけたわよ」
「うん! カナたちもね! 見たよ!」
カナちゃんは明るく、ユミちゃんはやはり悔しそうだった。
自分の手で見つけられなかったからだろうか。
「カナちゃん! 帰ろう!」
「うん! 先生! じゃあカナたちも帰るね!」
「そうね。気を付けてね」
カナちゃんもユミちゃんも、子どもらしい底なしの溌溂さで大きく手を振ってくれる。
手を振り返しながら、私は心のどこかにひっかかりを覚えていた。
念のためもう一度戸締りを確認しようとしたところで、ひっかかりの正体に気が付いた。
「一人足りない」
ユウキくんは「かくれんぼを8人でやっている」と言っていた。
その時点で、オニの二人とユウキくんの合わせて3人がいたから、残りは5人のはずだった。
そして、ミサキちゃん、ノゾミちゃん、アキラくん、ショウタくんの合わせて4人が見つかった。
もう一人は誰だ。どこに隠れている。
警備用機械は異常がないことを示している。
それでも不安は拭えなくて教室全体を見回るが、どの教室にも人の気配がない。
夜の静まり返った校舎を歩く。リノリウムの床に響くゴム靴の音がそこはかとなく気味悪い。非常灯に伸びる自分の影に震える。飼っているカメの水槽をひっかく音がこんなにも怖いとは思わなかった。
校舎を1階から4階まで見て回って、それでも見つからない。
普段と違うところは無かったか。
そういう方向で考えていくとひとつだけ、思い当たる節がある。
「まさか……」
携帯電話の照明を頼りに校舎を出て鍵をかけ、校舎北側、駐車場のほうへと歩いていく。
生徒に縁のない場所。昔の教室やボイラー室やゴミ焼却炉などが点在している。
そのうちのひとつに、ふらふらと近寄る。
ゴミ焼却炉。
有毒なガスが出るとか何とかで、学校では使わないことになったのでは無かったか。
少なくとも、使われているところを見たことがない。
今日を除いて。
祈るような気持ちで閂を外し、焼却炉の重い鉄扉を開ける。
異臭が鼻を突き、煙が目にも襲い掛かる。
涙目になり、目を細めながら、焼却炉の中に上半身を突っ込んでライトで照らす。
真っ暗な炉の中に溶けるような、焦げたシルエットが目の端に入った。
人の形だ。
嘘だ、そう思いながら身を乗り出して……。
ドンっ。
強い力で押されて、ただでさえ前傾していた私は焼却炉の中に叩きつけられた。
頭と背中を強く打つ。
トクトク、と何かが注ぎ込まれている様子だ。臭いが鼻の奥に刺さる。灯油のようだった。
誰かの手が脚に触れる。無理やり脚を折って、焼却炉の中に体を横たえようとしているのが分かった。
薄目を開ける。
人の影が二人分あるのが見えた。
バタン、と重い鉄扉が閉じられた。
うぅ、と呻きながら、慌てて扉を内から外に押し開ける。
しかし、重たいのとうまく力が入らないせいで、中々開かない。
と、不意に扉が片方だけ開いた。火の赤が目に飛び込んできた。その仄明かりに照らされた二人は共に無表情で、そして無言で火を投げ入れてきた。肩越しにくべられた炎が背中で激しく炎上する。
そうだ、ユミちゃんもカナちゃんも、あと一人が見つからないことを知っていた。
だからまだ一人残っているのに、未練もなく帰宅したのだ。
体重を乗せて扉を閉めるユミちゃんと、閂をスライドするカナちゃんの姿を最後に、私は気を失った。
お読みいただきありがとうございました。
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