ボロアパート8
その日の帰り。
今日は一日中仕事が手につかずミスばかりしていた。
もし、あの男がアパートの前で待っていて何か聞かれたらどうしよう?
私が何か悪い事をした訳ではないはず…。
でも、自分の子なのに茜を守れなかった。それは事実だ。正直に言うべきだろうか?
だって、茜はもういないのに私だけが一人のうのうと生きている。
…生きている?
こんな状態で本当に生きていると言えるのだろうか…?
ふと、自分の心に蓋をしていた事に気づく。
私ってなんでここにいるんだっけ?何の為に?…なんで?
頭を殴られたような気がした。
ボゥっと照らす街灯の下、俯いたまま足が動かなくなった。
一度持ってしまった疑問は、自分の中で納得した答えが得られなければいつまでも付き纏う。
…何故?なんで?
気づくと私は回れ右をして家とは逆に向かっていた。
どこでもいい。どこか此処ではない所へ行きたかった。
家にある小さな骨壷
笑顔の写真
一生懸命に書いた絵
お気に入りのぬいぐるみ
いつも座っていた椅子
…まだまだ沢山ある。
あの子がこの世に生きていた証。
あの日から時間の止まった部屋。
どうしてだろう…こんなに帰りたくないのは。
逃げたい。苦しい。もう何もかもやめたい。
忘れたつもりでやはり忘れてなどいなかった。
…段々と早足になる。涙で前が見えない。
側から見たら変な人なんだろうな…と思う。
いやに冷静な自分がいる。
ついに走り出し、何もいないはずなのに後ろを振り返り何かから逃げる。
私の足音だけが響く。
此処がどこなのか、自分が何なのかわからなくなる。
…見知らぬ大きな交差点でようやく止まった。
肩で大きく息をして呼吸を整えながら
「はぁ…はぁっ。何やってんだろ。」
そう呟いた刹那。
…後ろからドンッと押された。
「え?」
予期せぬ事に驚き、抗えぬまま私は道路へ倒れ込んだ。咄嗟に振り返り、後ろを確認する。
……茜がいた。笑っている。
「え?…えっ?なんで…?茜?」
必死で頭を整理するが何がなんだかわからない。
茜が何か言ってる。
「何?なんて言ってるの?茜!」
立ち上がろうと膝をついた時、眩しいライトに目が眩む。
次の瞬間、私は空中へ投げ出されていた。
キキーッ!ドンッ!!ガシャン!…ドサッ。
大きな音に人が集まる。
「おいっ!誰か救急車!!女の人が轢かれたぞ!」
ザワザワする音が少しずつ遠くなる…
「茜…お母さんやっとそばに行けるね。ありがと。」
最後に流した涙は温かかった。
でも茜はなんて言ってた…?
「ママよかったね。…バイバイ!」
真っ黒な目をこちらへ向けて、茜は笑っていた。