4.決意の亡者は本気を見せる
ここは現世。
和井戸テレビの都内スタジオにて、とある野党の政治団体のトップがテレビカメラの前で髪形を決めていた。
業界に限定すればイケメンと有名な若手政治家は、政敵の欠点をあげつらうのが大得意だった。
実際に証拠はなくとも、けなし方・いじり方が面白いということで、テレビに出るたびに人気を博していた。
マスクをした彼はカメラマンの指示を受けながら、角度を決め、ある製品を見せつける練習をしている。
「プロミネンスウイルスにはこれが効きます!」
消毒剤の一種である。
可愛い猫のマークが特徴の、普段はドラッグストアの店頭でもよく見る、一般向け量販品のそれ。
ウイルス騒ぎで品薄になっていたアルコール系消毒剤とは違う成分で、虫刺されにも効くのでアウトドア愛好家が良く使っている。
「有名な学者が、これを(限定された実験器具の上で)直接塗り付けることで、プロミネンスウイルスの不活性化に(世界で5682番目に)成功したという論文を書きました!(なお、医学雑誌の審査には通っていません)」
「「おおー!」」
彼の周りを固める政治関係者と、和井戸テレビの関係者のどよめきが一緒に収録される。
「これさえのどに塗っておけば、プロミネンスウイルスには感染しません! そう、有名な学者が言っております!(間違ってもこの発言は私の責任ではありません)」
政治理念が<正論をかっとばせ>な若手政治家は、少々頭が宜しくなく、彼らの裏を知らない。
彼の友人たちの自宅の倉庫には、猫マークの消毒剤の在庫が、山のように積まれていることを。
更に、猫マークの消毒剤の同成分が入っている、手術用の医療用消毒剤すら、いつでも買い占める準備ができている。
連中からすると、これらが市場からなくなることで、手術時の消毒が出来なくなるかもしれないが、構わない。
希少品は高く売れるのだ。
「明日朝の放送が楽しみですね」
「うちも買い込んでおいたよ。これも一種のインサイダーなのかもな」
「ははは、転売は罪じゃないですから。あまねく人々の手に商品が渡るようにしているだけです。ちょっと手数料を価格に載せますが、我々は善良なマーケッターですから」
彼らにとって一般視聴者はただのカモだ。
無知な上に無知の自覚がない。
だから、自分たちが分かりやすいように面白くかみ砕いて説明しない学者を嫌う。逆に説明が分かりやすければ、その学者の専門など気にしない。生活するだけで精一杯で、疑問を挟む余裕もないからだ。
ゆえにテレビの中の口の上手い有名人から教えられたことが、彼らの知の全てとなる。
たとえデマだったとしても。情報を確認しなくても。「家族の身を守るために」とりあえず行動したことは、全て彼らにとって正義になる。
たとえ医療現場が破綻したとしても。消毒剤の在庫を切らす業者と生産が追い付かないメーカーと、どんなに高額に跳ね上がっても、首をくくって買う覚悟のない医療関係者の方が、悪人となるの。
世間はノリと勢いが全て。
無知な市民の感情の波を操ってこそ、真のマスコミ。
その現実を知っている関係者たちは、ほくそ笑みながらインパクトだけは大きい番組を作り続ける。
ビビットな情報が売りの和井戸テレビ関係者は、昨日まで絶好調だったのだ。
そう、昨日までは。
「なんなのだ、あの放送は!」
クレーム電話が鳴り響く中、和井戸テレビの社長が番組プロデューサーの机を蹴る。
縮こまるプロデューサーを横に、編集部は大混乱だ。
放送時に、収録の時に若手政治家が話さなかったことが足されていた。
しかもなぜか増えた発言の中に、関係者は知っていたが放送するつもりが1ミリもなかった注訳が、すべて盛り込まれていたのだ!
「放送を止めろ!」
「なぜか止められません! 機器の電源すら切れません!」
にこやかに、昨日本人がしゃべっていないことを、テレビ画面の政治家は話している。
『これを限定された実験器具の上で直接塗り付けることで、プロミネンスウイルスの不活性化に世界で5682番目に成功したという論文が存在します。なお、医学雑誌の審査には通っていませんし、WHOも認可していません。ですが、絶対に効果があるはずです! この正論が売りの私が宣伝しているのですから!
しかも身近な薬で絶対に効果があると宣伝すれば、頭の悪い市民の皆さんは疑義などせずに、すぐにドラッグストアで買い占めを行ってくれるでしょう! ありがとうございます、どんどん買ってください! 私の知り合いはみんな在庫しておりますので、値段がはね上って一財産築けると思います!
さらに同成分が使用された医療用医薬品も原料の値段がはね上がりますが、安心して横流しにしてフリマアプリなどで買い占めてください! 法律違反ですがね! どうせ苦しむのは貴方たちが怯えているプロミネンスウイルスとは関係ない、別の疾患を抱えた手術待ちの患者たちですし!
さらに、いざとなれば財源は国が出します! 後で税金を払うことになるのは市民の皆さんですからご安心ください! 税金の名目はいくらでも作れます!
――――あ、和井戸テレビさん。これくらい言っておけば打ち合わせ通りですか? おバカな視聴者をだませる? 良かったです。私への寄付はいつでも受け付けておりますので』
映像が切れると一斉に静かになる編集部。
絶え間ないクレーム電話の着信音だけが響いている。
この放送を皮切りに、日本各地で不思議な現象が起こり始めた。
とある小さな駅のベンチに座る一人の女性。
のどが渇いたと、自動販売機の前でスマホを取り出す。
「あーあ、ようやくプロミネンスをきっかけに一人旅格安プランが増えて良かったわ。なんで世間は彼氏か友達を連れてないと部屋が安くなんないのよ。私は寂しいんじゃなくて単に一人が好きなだっつーの。でもまあこれでゆったりできるし、現地にお金は落とさないと……あれ」
スマホの電子マネーの額を確認する。
「額が増えてる……」
この日、一人旅キャンペーンで静かに旅行に向かう人々の電子マネーの額が桁一つ増える、という事件が相次いだ。
セキュリティの問題が取り沙汰されたが、額が増える分には訴える人が少なく、盛り上がらなかった。
むしろ、同日に損をした銀行を支援する日本銀行内で、保管していた金塊の重量が増えて相殺されてしまった。
警察も奇特な犯罪者として手をこまねいている。
「ひい! スマホに血まみれのおばあちゃんが写ってるー! しかもなんかしゃべってるー!」
『オマエがウイルスを感染させたんだヨ……ゲボッ』
「ひいー!」
電子マネー額に驚いている女性の反対側のホームで、学生が叫んでいる。
全国で、発病傾向があるのに無理を強いて帰省しようとする若者のスマホ画面に、祖父母の吐血死亡映像が写ってUターンを促すという怪奇現象が相次いた。
「ざまあみろ、これは警告だ……ひっ」
騒ぎが起きた駅の近くに住んでいた、とある高齢者。
東京に家族が住んでいる家々を探し、あちらこちらに中傷ビラを貼り付けまわっていた彼の玄関に、全く同じ筆跡の<血文字>が書きつけられるという事件が起きた。
警視庁の鑑定にも回収されたが、血痕は一晩で消えてしまう。
カコーン。
カコーン。
カコーン。
駅がある小さな町のスポーツジム。
密室な更衣室でおしゃべりを止めようとしない中年女性たちの頭に、金タライが落ちてくるという事件も多発した。
ジムを必死に消毒していた運営スタッフからしたら胸がすく出来事ではあったが、ヒートアップする中年女性たちを前に謝るほかなかった。
ただし、このまま裁判の準備になるかと思いきや、証拠は煙のように消えてしまった。
しかも、懲りなかった中年女性たちが、ジム帰り道のファミレスでおしゃべりを盛り上げるたびに金タライが落ちてきたのだ。
しかたなく警察は死んだ目で、すべては昭和のコメディアン集団・ドリフ〇ーズのせいにした。この現象も全国規模で起きた出来事だった。
次の日からは、芸人に対する警察の名誉棄損問題が各局のワイドショーをにぎわすことになりそうだ。
こうしてお盆の最終日に、列島は怪奇現象に包まれたのだ。