3.亡者三箇条
地獄の亡者が、現世のウイルスを倒す?
唖然とする源次郎の後ろから、渡し場地域の現場主任である中年の獄卒が慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと豊川艶之介さん! だめですよ! こんな大きな精霊馬じゃ目立っちゃいますよ! 確かに精霊馬の大きさに規定はありませんでしたよ? でもお盆に帰れない亡者の方に見せつけるような馬はやめてくださいよう! 地獄の空気を読んでもらいたいんですよ!」
「だまらっしゃい! 以前、閻魔様に交渉して滅私奉公改善のための獄卒労使組合設立に協力してあげたのは誰だね!?」
「あなたですけどぉ」
「だったら見逃すのが筋ではないかね! 地獄に尽くした功労者に対する感謝の念はないのかね!」
注意に対し、日本史上戦後最悪のフィクサーと称される彼は、立場の弱い現場主任にキレながら怒鳴り返す。
正しく老害の対応である。
「それに背中に背負っているのって、地獄謹製霊子銃じゃないですか。獄卒が現世の地縛霊を無理やり彼岸に連れていくやつ。亡者がそんなもの持ちださんでください。輪廻前の修行中の亡者がやる仕事じゃありませんって」
取り上げようとする獄卒に抵抗する艶之介。
必死に抱えて叫ぶ。
「うるさい! クソウイルスのおかげでうちの財閥グループは赤字に陥ったんじゃ! わしのグループ会社の子分たちや、可愛い孫やひ孫が経営に悩んでいるのに、ここで長老たるわしが子分たちのために戦わないでどうする!」
「戦っちゃだめですよ! すでに現世を引退しているのですから!」
「いやじゃー!」
「「艶之介さん!」」
「はいはい、亡者三箇条―」
艶之介の体を若い獄卒たちが山なりになって押さえつける。
ついでにこっそりと巨大キュウリジェット機に騎乗しようした美晴も、後ろを取られてしまう。
「老害さん、感情任せのおバカは困るっすよ? 世界は貴方のためにあるわけじゃないんすよー?」
「部長、すみません」
「いいのいいの。地獄に落ちてすら力をつけてしまうような亡者は元々俺の担当だから」
若い獄卒は、地面に引き倒された艶之介を、笑みを浮かべながらのぞき込む。
「頭悪いっすねえ、じいさん。はい、亡者三箇条を詠唱して~」
――――亡者三箇条。
亡者はすでにあの世の住民である。
例外的にお盆・彼岸・枕元に現れることができるが、それには厳格な生者に対するルールが用意されている。
・現世で生者を加害しない
・現世では生者を生かさない
・現世に姿を見せない
彼岸行きチケットを手に入れそびれた浮遊霊や地縛霊は、まれに生者に害を与えることがあるが、それらもやがて獄卒たちが厳罰とともに地獄に連行していくため、問題はない。
しかし、三途の川を渡ってしまえば亡者は厳重なルールで縛られてしまう。
そして生者に対する決まりごとは、地獄のルールの中で何よりも厳しいものなのだ。
美晴は必死に抵抗しながら叫ぶ。
「今ならできる! 今の科学を身に付けた私ならこの霊子ビームでウイルスのRNAを範囲攻撃で完全破壊できるんです!」
「知っているっすか? 天沢美晴さん。ウイルスは現世の生物なんすよ。あれで必死に生きているっす。だから三箇条に超違反っす」
「何年、お盆の度に研究所でクラウドをハッキングして研究を続けたと思っているんですか! 全てはあの悪夢を繰り返さないために!」
「はいはい。亡者が反省ついでに今更何を学んでもいいっすけど、現世で影響を与えちゃダメっすよ。あんたはもう死んでいるっす。生者を冒涜するつもりっすか?」
「そんなつもりは……! ただ、私は子供たちの涙をこれ以上見たくない!」
「だったらさっさと輪廻に入りましょう。あんたの罪は少ない。来世で人を助けてくれっす」
「いやだ! 今、今やらねば!」
「あー、いるんすよ。あんたみたいな亡者。本来なら未練に縛られ地縛霊となって彼岸にすらたどり着けないはずなんすけどねえ」
(だよなあ。艶之介さんに美晴さん、無理だよ。俺たちが今更何をできるっていうんだよ)
連行されていく二人。
『源次郎~!』と助けを求められているが、源次郎は腕を組んで、二人をあきらめ顔で眺めている。
どこまでも器が小さく、小心者で自己中心主義な源次郎は、仲良くなった知り合いだろうが、余計な手助けなどしないのだ。
己れの自分勝手は死んでから骨身にしみている。骨すらないけど。
彼岸でまた孫の馬を待とうかな、と踵を返すと、キュウリの巨大飛行機の足元で止められた子供たちがいた。必死になだめる無縁の姿もある。
近づくと、艶之介の逮捕で出発できない事実に全員ショックを受けていた。
「ひく、ひっく」
「ミカたち、おかあさんにあえないの?」
「おとうさんにあいたい」
「ママ、パパ、おにいちゃん……」
「また来年、再来年があるよ……いつか落ち着くから。そしたらお盆にお馬さんがくるからね」
ミカが再び涙をこぼしながら、無縁にすがっている。
「いつ? いつなの? きょうあえなければ、きっとおかあさんこっちにきちゃう。おかあさん、おいしゃさんなの。ういるすはげんばのいりょうかんけいしゃをまっさきにころすのよ。さっきこっちにきた、まさこせんせいがいっていたの」
「ミカちゃんのお母さんが勤めている病院はどこなの?」
「るのあーるそうごうびょういん……」
源次郎の足が止まる。
彼の妻が、離婚後に本格的に正職員となった病院だった。
無縁がこちらを見ずに呟いた。
「……そうだな。ミカちゃんが世話になった看護師さんも大変な目に遭っているな。榎並のおばちゃんであるか。今、この国で一番重症の患者さんを押し付けられて、病院職員の死亡率が高いことで有名だものな。彼らはよく逃げないな」
「まさこせんせいがいうにはね、それでもたすけられないからひとごろしってせけんにいわれるんだって。せけんはいじめっこばかりなんだって。でも、おかあさんはつよいからぜったいにげないの。えなみのおばちゃんもにげないの。だからきっと、こちらにきちゃう」
優しくミカの髪をすく無縁は、後ろに動けなくなっている男の気配を感じながら、独り言を続けた。
「私がいた山奥の集落も疫病で滅んだ。しゃれこうべだらけの家の軒先の漬物石だった私は、訪れた僧に仏を刻まれ、無縁仏になった」
「風雨にさらされながら、長い間彼ら一人一人が彼岸に向かうのを見守っていた。色々あった。疫病の神様にも会った。彼はいい人だ。病原のウイルスたちが悪いわけではない。彼らだって必死で生きている。人体に共生して助け合っている細菌やウイルスもいるくらいだからな」
「ただ、一番堪えたのは、やはり死人が出はじめた時か。集落内でも患者を悪霊扱いするようになりった。次第に周辺の集落が、私の集落を差別し始めた。国中が、不安と混乱のままに盲者となって、自分以外の誰かを差別しないとやっていられなくなった。本当の地獄とは、あのことを指すのだろう」
「なあ、無知は罪だ。そう思わないか?」
しばらく動かなかった男は、歩みを再開する。
鼻水でぐちゃぐちゃになった幼子の顔を、そっと撫でた。
「ミカちゃん。ちょっと源次郎おじいちゃんに任せてね」
「おじーちゃん、どうするの?」
「……まあ、世の中、ろくでもない大人だからできることがあるんだよ」
本当に、ろくなことしてこなかったからなあ。
源次郎は閻魔大王の裁判所に歩いていった。