1.老害亡者にお盆は来ない
亡者あふれる三途の川岸にて。
榎並源次郎(享年67歳)は呆然と立っていた。
夏なのに。
お盆なのに。
最終日となった本日も、お迎えの精霊馬が来ないのだ!
孫の秋良が作る精霊馬。
割りばしの位置がなぜか頭のてっぺんにだけ刺さった、不格好なキュウリの馬。
這いずるように蠢くあの姿を忘れるはずがない。
なぜ来ない。
孫の這いずる愛よ。
「は。まさか――――」
きゅうりに割りばしを刺せないような事態が、家族に起きているのではないか。
嫌な予感に、ないはずの心臓がバクバクする。
「家族に忘れられたからお盆自体がなくなったとか思わないんすかね?」
毎年渡し場で会う、若くてチャラい獄卒が突っ込みをくれた。
「うちの家族はそんなことしない!」
「ジジイの亡者はみんなそう言うんすよ」
「孫は優しいんだ!」
「その前に、あんたは生前どれだけ家族に優しくしてやったんすか?」
若くてチャラい獄卒の指摘はいつも鋭い。
「……小遣いはやったぞ。教育費もケチっていない」
「会話は? 感謝は? 感情を垂れ流しにして、家族に機嫌を取らせるようなことはなかったっすか?」
「……」
ないはずの胸が痛む。
「それみたことっすか。死んでから反省しても遅いんすよー」
「獄卒よ言いすぎだ。弔ってもらえない人間も世の中にはいっぱいいる。墓があるだけましだろう」
「またまたあ。無縁さんは人間を甘やかしすぎっすよ」
落ち込む源次郎の隣に現れたのは地蔵菩薩。
彼も顔見知りで、お盆の度に顔を合わせていた。
地蔵として修業に入るまでは、現世で小さな集落の無縁仏をやっていたという。
今は賽の河原の担当仏の一人だ。
お盆に帰省する幼い子供たちを引率して、精霊馬と共に現世へ付き合うのも彼の仕事なのだ。
賽の河原は子供の地獄。
親よりも先に死んだ罪により、毎日の義務として石を積み上げさせられる。
しかも積み上げた石を、その都度獄卒に崩され、徒労感に苦しむ日々を送っている。
だけど、お盆は別だ。
年に一度、親や兄弟に会える期待で全員の目がキラキラしている。
孫を思わせる子供たちに相好を崩していた源次郎は、ふと気が付く。
幼子たちの馬も来ていないことに。
「こちらも馬が来ない」
明治の文学青年のような外見をした石肌の御仁が、眉を寄せ、腕を組んで川岸を睨んでいる。
本来、夭折した子供たちお親御さんは、誰よりも早く精霊馬を送ってくる。異常な事態に源次郎は眉を顰める。
ふと、着物の袖を引っ張る小さな手に気がついた。
「じいちゃんも、おうまさんこないの?」
見下ろすと3、4歳くらいの小さな女の子がいた。
大きな瞳で源次郎をじーっと見上げてきた。
「おうまさんがきたら、じいちゃんもおうちにかえるのね?」
「そうだよ」
「みかもね、ままとおばーちゃんとおじーちゃんにね、あいにいくのよ! いっちょね!」
「そうだね、一緒だね」
女の子の名前はミカというらしい。
生まれたころから長らく病院生活を送っており、常に死と隣り合わせで生きてきたという。
思わずほろりとする源次郎。
さらにミカは、自分の祖父によく似ていると言った。
「おじーちゃんはね、おしごとがだいすきでね。おしごとやめるまでいえにぜんぜんいなかったんだって!」
「そうか……」
「みかがしんで、ゆうれいになっておうちにかえったらね。おじーちゃんもおうちかえっているのに、みんなおじーちゃんをみないの。よくかぞくにみせるかおがあるな、だって!」
「……」
「だからね。おうちにいてもいないなんてかわいそうだから、みかがおぼんのときはとくにおじーちゃんのそばにいてあげるの!」
「……それな、ミカちゃん、良い子だね」
ずきずきと痛む、ないはずの胸。
「ほんと、いきているのにゆーれいさんなんて、へんよね!」
「ぐはっ」
ないはずの胃から、大量の吐血が起きた。