淡水湖
うちの池で釣ってみた
ウチの風呂場からの眺めは一面の池である。ウチに隣接している池は、水田くらいの深さしかない小さな池で、池に住む生物はタニシとドジョウくらいなものだろうと思っていた。まさかピラルクが釣れるとは思ってもみなかった。3メートルほどのピラルクが3匹釣れたので、茶吉はそれを三枚におろしてムニエルにしてササ美と夕食を食べていた。そしたらササ美が、「これは商売にすべきよ」と言い出した。鯵を仕入れてきてそれを開いて干して売る茶吉の干物屋商売。だが池で釣ってきたピラルクで干物を作れば仕入れがタダになるではないかと言うわけだ。そりゃ名案だ。という事になり、翌日は朝から夫婦ふたりして風呂場の縁に腰掛けて足をブラブラさせながら池に釣り糸を垂れた。が、いっこうにかからない。水面はしいんと静まりかえり釣竿はピクリともしない。数時間粘ったがピクリともしない。通りかかった田中さんが、「ピラルクは頭のいい魚だからねぇ、邪心がある人間には釣れないんだよ」と言う。それじゃあササ美なんて一生かかっても釣り上げる事など出来ないでは無いか。「その通り。」だそうだ。そうか昨日は簡単に3匹も釣れたのに、今日は助兵衛ゴコロを出したから釣れなくなったというわけか。ピラルクってスゴイ魚だなぁと改めて茶吉は感心し、池の底で息を潜めているそのピラルクたちだが、いったい何匹くらい居るんだろうと気になり始めた。ササ美も好奇心を抑えられずに水着に着替えて来て、水中眼鏡を装着しシュノーケルをくわえ「ちょっと見てくる」と言い残しポチャンと飛び込んだ。しばらくし顔を出したササ美が、「ピラルクなんて1匹もいない」と言う。そしてその代わりに「池の底にトンネルがあって、どこかに繋がっているみたい。行って見てきてもいい?」と言うのだ。そういえば、ネス湖は湖の底からトンネルが海に繋がっていて、ネッシーは海からやって来たんだとどこかの学者が言っていたなぁと茶吉は思い出した。でも海と繋がっているならこの池が淡水なのは変ではないか。ピラルクは淡水魚だ。じゃあいったいどこと繋がるトンネルなんだろう。茶吉も海パンに着替えて来て、ポチャンと池に入って見た。海底に、あったあった穴が。紫色の渦を巻いて水が吸い込まれていく。ブラックホールのように中心は不気味に真っ黒だ。吸い込まれて行ってみたい気もするが、きっとこの穴の出口は中世のヨーロッパで、お姫様が閉じ込められている檻の目の前にポンとでてしまうんだろうなぁと有り有りと想像出来てしまうので、逆にそれは絶対に出来ないと思った。だって転生したとして、茶吉に出来ることと言えば、マヨネーズを作ることとオセロを作ることくらいなもので、転生する用意が整っているとは言えないからだ。コンビニ店員が転生したらコンビニ商品をなんでも召喚出来たり、100円ショップ店員が転生して100均商品をなんでも召喚出来たりして便利がられるという話をよく聞くので、転生するならちゃんと用意してからにしたい。というわけで水面に戻り、水から上がった。そこにはドライスーツを着てアクアラングを身につけたササ美が待ち受けていた。「あったでしょう?穴!どこに繋がってるかちょっと見てくるね」と言う。でもどこに繋がってるかわからないんだよ?時空を超えちゃったらどおする?と、必死で引きとめたが、素直に聞き入れるようなササ美ではない。どおしても行くと言い出したら聞かず、ポチャンと行ってしまった。あ〜あ、行っちゃった。出たとこが過去だったらどおすんだよ。南極とか北極とか宇宙空間だったらどおすんだよ。と最悪の考えがどんどん湧いてきた時に電話が鳴った。出てみると、汚水処理場だそうで、おたくの奥さんが汚水と一緒に流されてきたから引き取りに来てくれ。と言う。車で駆けつけると、処理場の作業員さんが、「時々いるんですよね〜トイレに流されちゃう人が」と言う。汚水にまみれたササ美。臭いが仕方ないそのまま車に乗せて帰宅した。ササ美が言うには、一瞬の出来事で、あれは確かにワープだった。だって感覚さえもが全くなかったんだもの。と言う。だからやってみなよ!人によってワープ先が違うかもしれないもん。試してみてよ!というのだ。そこまで言われたらやってみたいが茶吉が飛ばされた先には誰が迎えに来てくれるのだ。エベレストの山頂とかに出ちゃったら誰が迎えに来れるだろう。不安はあるがでも実験してみたい気持ちの方が勝ち、スマホをジップロックに入れて撮影しながら穴に潜って行ってみる事にした。視聴者のみなさんに、では行ってきますと言って実況中継しながら渦の中に入って行く。と、パッと視界が開け、ピシャッと勢い良く水面に頭から出てみると、そこは、風呂場である。ウチの風呂場だ。ちょっと待てよ。じゃあ2、3メートル移動しただけじゃ無いか!がっくり残念生中継の動画となってしまった。
だが、2、3メートルといえどもワープしたことは確かで、動画の中で茶吉は、「確かにワープ体験をしたし、嫁は某水処理施設まで飛ばされた」と明言したためユーチューブでは話題を呼び再生回数は跳ね上がった。それに伴い、「私も飛ばしてください」というコメントが数多く寄せられて来た。「時空を超えてワープをすると第3の目が開く」とか「人間は脳の10%しか使わずに死んで行く。ワープをすると覚醒して残りの脳が動き出す」とかいう人が出てきて、「いくら払えば飛ばしてくれますか」という問い合わせが殺到した。冒険好きな人間がこんなにいたのか、それとも自分を変えたい願望か、自殺志願者なのか、とにかく大勢に押しかけられても困る。第一、茶吉にはそれぞれの人の着地場所に関して責任が取れない。着地地点の安全が証明されたわけでもなく、はっきり言って危険だし、どこへ出るかは予測が不可能なのだ。事故に遭われたり死なれたりしたら、自殺幇助になりかねない。茶吉が犯罪を問われる。だが、自殺幇助ではなく、旅行代理店としてみんなに旅をアレンジする、という立場なら茶吉も大丈夫そうな気がする。だがみんなには決して軽い気持ちで参加してほしくは無い。考えた挙句、だったらおひとりさま100万円に設定することにした。100万円ポンと払える人ならば、一応はちゃんと責任が取れる本気な人だと思えるから。そしてそのむね発表すると予約が殺到した。世の中には本気な人が多すぎる。というわけで、ドキドキしながらハイ行ってらっしゃいませ〜。ハイ行ってらっしゃいませ〜。この人はどこまでえ行っちゃうんだろうかと思いながらもひっきりなしに送り出し、それに伴い事後報告がどんどん寄せられて来た。統計をとってみると、ほどんどがこの村周辺で、市内の域を出ていないことが分かって来た。最も遠かった報告が八丈島からで、でも伊豆半島の域を出ていない。距離とか場所とかその人のどのような条件がどのように影響しているのかしていないのか、全く分からず、調査したいがどうやったら調査できるのかも全く分からず、そんな状態でいた茶吉に日本政府から電話が来た。 思った通り、調査させて欲しい出来れば池を買い取らせて欲しい。というのだ。調査させて欲しいというのはこちらとしても大歓迎だ。茶吉も独自の調査に限界を感じていたところだ。だが、買い取らさせて欲しい。は、いただけない。買い取られてしまったら、調査結果を知らされることなど死ぬまで無いだろう。UFO情報など国が結果を公開しない極秘調査はたくさんある。だから絶対に池は売るわけにはいかない。そこで「どうぞご自由に勝手に調査してください。一回100万円です」と答えた。すると国はそれでもいい。ということで、ゾロゾロと学者が調査にやってきて水着姿で100万円でポチャンっポチャンっと飛び込んでは結果を統計に取り出した。だが今までに旅立った一般のどのお客さんよりも、今回の学者たちは、距離が短かく、ウチの玄関やウチの冷蔵庫の中などなど、だがウチの敷地から出られた学者はひとりもいなかった。こうなると、逆に遠くへ飛んだ一般のお客さんの方を調査した方が良いということになり、お客さんを追跡調査し根掘り葉掘りプライベートをほじくり調査が進められていった。数年かけた調査の結果、飛ばされる距離は、その人の、産まれてから今までの移動距離に比例するということが分かった。親の転勤に連れまわされた子供時代を送った。とか帰国子女だとか、移動距離がある人ほど池から遠くへ着地するようだ。
だからたくさん旅行している人を連れて来ればいいのだ。だが国際線のパイロットやスチュワーデスに呼びかけてみたものの、忙しく飛び回っている自分に満足しているらしく、自分を変えたいと思っていないようなのだ。日本政府が一生懸命探し回って連れて来たのが男性ジャーナリストで、ロシアの民間宇宙飛行士として宇宙へ行った経験がある85歳で、末期ガンで、最後の仕事としてジャーナリスト生命を賭けて、ピューリッツァー賞を狙うという杉本さんだった。この調査にはマスコミが飛びつき各テレビ局が連日、杉本さんを追いかけ心境をインタビューし報道し日本国中が見守る中、当日を迎えた。茶吉は「では行ってらっしゃいませ〜」と言うだけの役だがずらりと並んだテレビカメラと取材陣のものものしい雰囲気に圧倒された。宇宙まで旅行した距離を考えると、着地地点はたぶん日本国内はありえない。万里の長城やヒマラヤ山脈の山頂やアフリカ大陸だって宇宙空間に出てしまう可能性だってありうる。そう考えて涙ぐむ人もいて、レポーターたちは口々に、「科学の進歩の為、人類の発展の為、杉本さんが旅立ちます!どうかご無事で!どうかどうか神のご加護を!」と白熱して中継して日本国中が見守る中、杉本さんがハラリとガウンを脱ぎ捨てた。ポチャリっと片足づつ池に入っていく杉本さんをカメラがしっかり捉えている。次の瞬間、ウッと胸を押さえパタリと倒れた杉本さん。心臓麻痺で即死であった。