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3 一人で飲むのも好きです

午後10時。今日は、壮介は泊まりの出張で不在、そして花菜は保育園でよほどはしゃいだのか、珍しく美里が寝落ちする前にこてんと寝た。美里のほうは、昨日わりとしっかり寝れたおかげで、眠くなるまでもなくまだ元気だ。そして明日は木曜日、早起きする必要はない。


「うふふふふ……」


思わず声に出して笑ってしまう。月に一度あるかないかの、一人晩酌タイムだ。三人で食べるごはんも、壮介と二人の晩酌も悪くないが、二人の晩酌はわりとタイミングが合わない。壮介が仕事をしている横で晩酌をする気にもならないし、そんなときは美里も呑んだりせずにさっさと寝るか、せいぜい本か携帯を手にマッサージクッションのお世話になる程度。一人で思う様呑めるなんていうタイミングは貴重だった。さっき花菜と一緒に歯磨きしたけれど、そんなの関係ない。また磨けばいいだけだ。


「何飲もうかな。」


冷蔵庫を開けて、ツマミになりそうなものを探す。クリームチーズは常備してある。和によし洋によしの逸材だ。妊娠中や授乳中も、たまにノンアルコールビールにコレで晩酌モドキをしたものだ。今日の在庫はそれから、行きつけの魚屋謹製のいかの塩辛に、カマンベールチーズ、ミルクチョコレート。それに、乾物コーナーにずいぶん前に貰った同僚のヨーロッパ出張土産であるパプリカ味のポテチ、ミックスナッツ、それから花菜のおやつにもなる小魚ピーナツ。


「んー。」


ちょっと悩んで、大きめのグラスに氷とグラス半分までの水を入れ、酒粕焼酎を八分目まで注いだ。クリームチーズを端にちょこんと置いた小皿に鰹節をパック半分あけて、少量の醤油をかける。いわゆるおかかだ。


それからポテチ。ポテチはロング缶だから、1缶全部あけたら絶対カロリーオーバーだろう。それは分かっちゃいるが、止められるかどうかは酔っぱらいの自制心という、金魚すくいのポイより頼りないものにかかっている。


「ん、でもそろそろ賞味期限切れちゃうし。」


誰にともなく言い訳をして、箸を手に席についた。花菜が居るときにこれを開けると、食べきるまでもっともっとと言い続けることが分かりきっている。いつもの少量パックのエビのスナックくらいならまだしも、一歳児にロング缶は渡したくなかった。大人も手伝うにせよ、塩分も油分も多すぎる。


乾杯、と一人ごちて、まずはひと口グラスを煽る。


酒粕焼酎は日本酒の酒造が副産品として作っていることが多く、この焼酎も行きつけのほぼ日本酒専門の酒屋にひっそりと置かれていたものだった。米焼酎のスッキリした味わいと異なり、酒粕特有のコクとフルーティーな風味が生きた、いわば「濃い」仕上がりになっている。それでいて、芋のようなクセはない。美里は芋焼酎も好きだが、そちらはどちらかといえば食中酒として飲む方を好んだ。豚肉をはじめとしたこってり系のおかずとよく合う。


「うん。美味い。」


にやにやと勝手に笑みが浮かび、グラスを目線まで掲げて振ると、カラカラと中で氷が涼しげに音をたてた。結婚したときにお祝いにとペアで貰った琉球グラスの丈夫なコレは、さて誰がくれたものだったか。繊細なワイングラスや金銀で模様が入っているマグカップなども貰ったり揃えたりしたけれど、特に花菜が産まれてからは電子レンジや食洗機が使えないものは出番が少なくなり、酒器に関してはもっぱら最近はコレと、量販店で買った一応脚つきのがっしりしたグラスを酒の種類によって使い分けている。


そんな話をすると、実家の母は時間がないから仕方がないよねぇと言いつつ、風情がない、と悲しそうな顔をするが、全部100均のマグカップで済ませるとかではないのだからそこまで求めないでほしい。まぁ、もともと専業主婦だった上に子供の手が離れて早10数年が過ぎ、小さい子のいる共働きの現状など想像もつかないのだろう。最初のうちは何かにつけて花菜ちゃんも可哀想にとか、もっと◯◯したらとか言うのを真に受けて一通り悩みもした美里だが、最近はそう達観しつつあった。だいたい両親だって、グラスだ皿だインテリアだとこだわりだしたのは美里が10歳ごろ以降だったはずだ。もう20年以上前だけれど。


クリームチーズを箸でほんの少し千切り、おかかを少しまぶして口の中に入れると、和洋の旨味としょっぱさが絶妙にマッチした幸せの味が広がった。酒盗と食べたり、トリュフソルトをかけたりといろいろとアレンジが楽しめるクリームチーズだが、今日は冷蔵庫で対面したときから完全におかかの気分だった。所要時間1分でこのクオリティのツマミは他に類を見ない。もうひと口食べてから焼酎を口に含む。控え目に言って最高。


ふふん、と鼻唄でも歌いたい気分になりつつ、ポテチの缶を開ける。ふわっと濃い旨味を含んだ香りがした。


飲み友達でもある先輩の三上が五日間の日程で行ったヨーロッパ出張で、現地の通訳兼案内役に勧められて食べ、絶対美里が気に入るからと言って個別に買ってきてくれたのがコレだった。三上とは、仕事上はもう七年近く前、ある大きなプロジェクトですれ違うように一月か二月一緒に仕事をしただけの仲だが、何となくウマが合い、全く色っぽくなる気配もないまま何度も二人で飲みに行った。美里が壮介と結婚してからはさすがにサシ飲みは自粛しているが、壮介がいるときに家に招いたり、共通の友人らと飲みにいったり、何だかんだで花菜を妊娠する前は下手したら月イチペースで飲んでいたから、お互いの好みは知り尽くしている。


「さすが、三上さん。」


にやり、と笑みが浮かぶ。さらりとしたパウダーがたっぷりかかったチップスを1枚噛めば、濃い塩分と共に、どちらかといえば酸味の少ないトマトとか、そういう感じのこってりした旨味が口に拡がる。パプリカの味なのかと言われると首をかしげてしまうが、バーベキュー味のように肉を想起させる味付けともまた異なり、こってりなのにほんの少しだけ爽やかだ。いつもの日本のポテチよりツマミ寄りだろう。焼酎も悪くないが、これを中心に酒を合わせるならば……ピルスナー系のビール、またはハイボール。軽くてぐいぐい飲める辛めの酒と合わせるのが良いだろうと思う。


「三上さんめ……」


そこまで思い至って、ちょっと恨めしい気分になる。フランスからドイツへ抜ける高速列車の車中で、その後特に予定がなかった三上が、缶ビールと生ハムのバゲットサンドとコレ、というささやかな晩酌をしたと言っていたことを思い出したのだ。本場パリのバゲットを厚めに切ったやつに生ハムが日本ではあり得ないくらいどっさり入り、カマンベールらしきチーズとしゃきしゃきのレタスとのハーモニー。それに飽きたらご当地ポテチ。もともと余裕のある日程であったこともあり、手元にはタブレットにダウンロードしたミステリー小説や時代小説が何冊分もあったそうで、それを堪能しつつ、少し疲れて目を上げれば、車窓にはフランスからドイツにまたがってどこまでも拡がる田園風景。


『いやー、会社の金ですごい贅沢した気分だったよ。値段は全部で2000円もしてないんだけどな。いいだろ?』


はっはっは、と語る三上に、いいですね、と美里も唾を飲んだものだった。旅行先では、高級レストランもたまには悪くないが、そういうお金をかけない何気ない日常食が美味しいことも多い。むしろ、東京という街では美食という点では世界中のどこのものでも食べられるから、ある意味では旅先で高級レストランに行くのは勿体ないとも言えるかもしれなかった。……まぁ、自腹で行く機会もそうそうないが。


スマホでニュースやコラムなどをぱらぱら見ながら飲んで、ふと気がつけば、酒、ツマミともに既にけっこうな量を口に運んでいる。10時20分。


「一人で飲むと、ペースがね……」


呟いて、グラスに水と酒を追加する。氷は今回はまぁいいだろう。リビングの端にある本棚から、年配の女性作家の軽めのエッセイを取ってきた。最近は読んでもこんな本が多い。三上が列車の中で読んでいたような、数時間かけてじっくり腰を据えて読む本は、花菜が産まれてからこっち、しばらくお預けにしている。今日も大人は美里一人だし、明日のことも考えれば、ほろ酔い程度にとどめておくべきだ。タイムリミットはせいぜいあと30分というところだろう。もう食洗機は回して大分たつから、グラスと食器は手洗い。歯磨きして11時前後には布団に入りたい。


子供のことを気にせず、何時間でも酒や小説に没頭できた子供のいない時代を、切望するように懐かしむ思いはなきにしもあらず、ではある。そう言うと「子供が邪魔だというのか」的な批判が来そうなので大っぴらには言わないが。花菜はたまに腹はたつけど本当に可愛いし、壮介ともうまくやっているし、今の選択を後悔している訳ではない。無論、花菜がいなければいいのに、等と考えたことは一回もない。それでも、それと「花菜の手が離れたら、自分の時間が思う様取れたら」あれもやりたい、これもやりたいといろいろ考えてしまうのは別なんだよなぁ、と、悟ったように自分のことを見ている美里なのであった。なんとなく、就職してから学生時代を懐かしむのに似ている。今はステージが違うから少し抑えているけれど、またあんな風にサークル活動したいなぁ。


「旅、ねぇ。」


しばし没頭していた本からふと目を上げ、そんなことを呟く。ヨーロッパは無理にしても、家族で旅行は悪くない。まだおむつが外れていないから荷物は多いし、食事も配慮が必要だけれど、花菜も列車や旅館は好きなようだし、ふれあい牧場なんかでは一丁前にウサギを愛でていたりする。


「壮介、いつお休みが取れるかな。」


今は出張先でクライアントと飲んでいるか、はたまたホテルにもう戻ってシャワーでも浴びているか。ベンチャー役員ゆえに仕事はハードでも比較的自由の効く立場だから、仕事の様子によってはそれなりにまとまった休みが取れたりする。美里も何だかんだで有給が何日か余っているから、年末までの間に行けるかもしれない。


そろそろ酒もツマミも終わり。ポテチ、やっぱり一缶食べちゃったな、と少し懺悔めいたことを思う。でもまぁ、月に一度あるかないかのちょっとした一人パーティだし、たまにはいいだろう。とはいえ、明日から3日は間食と、揚げ物と炭水化物を少し控えることを心に誓う。出産のせいか年代のせいか、30を過ぎてから、こまめに調整しないと一度定着した体重を戻すのに20代のころよりはるかに節制しないといけなくなった。


(ま、でも20代より楽しい、かな。)


グラスと食器を片付けながら、ほろ酔いの頭でそう結論付ける。大好きな家族がいて、何だかんだで好きな仕事は細々ながら続けていて、キャリアの向上はなくても問題になるほどの中断はなく、周りからはそれなりに評価されているのは給与を鑑みてもまぁ間違いないだろう。20代前半のキャリア形成に必死な時期も、後半の少し余裕が出てきて多少のベテラン感が我ながら鼻につく時期もそれなりに楽しかったが、30代の自分も悪くない。


さて、片付けと歯磨きも終わりだ。エッセイの読みかけ部分に栞を挟み、もとに戻す。とはいえ、何度か読んでいるものだ。次に読む機会が訪れたときにこの栞のところから読むかはわからない。


電気を消し、戸締まりを確認してから寝室へ向かう。薄暗い常夜灯の下で、花菜はすやすやとよく眠っていた。ほっぺを軽くつつき、ぷにぷにした感触を味わう。花菜が夢うつつでううんと少し嫌そうな声を出した。


「あ、ごめんごめん。」


慌てて離す。明日の起床は七時。アラームを確認して、目をつぶった。ワンオペの朝は夜より戦場だ。



「じゃ、おやすみ、花菜。」

お読みいただきありがとうございました。

次話は明日18時です。


応援、評価、感想、ブクマなどいただけますと、作者が狂喜乱舞します(*^^*)


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一人で飲むのは、誰かと飲むのと違った楽しみがありますよね。

一人飲みという意味では、バーや居酒屋で見知らぬ、または顔見知りの相席者やバーテンダーさん相手に飲むのも好きですが、美里のように本を相手に家で一人、というのもたまらない魅力です。

個人的には、重めのミステリーを一気読みするのがおすすめです(笑)

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