コロナ禍特別番外・もし現実世界に美里さんがいたら
まだ前の話が終わってないのに(そして長いこと更新できていないのに)すみません!!
どうしても書きたくなりました。
時間設定的には本編の一年後くらいになりますが、美里さんの世界は現実世界とリンクはしてないので、本編が進んでも美里さんの世界でコロナ禍が発生するかは分かりません。あくまでもif、もし美里さんの世界でコロナショックが起きたらこんな感じかな、という前提で読んでいただければと思います。
「いやいやいや、無理でしょう?!」
四月某日。連絡帳袋に入った保育園からのお知らせにざっと目を通して、美里は思わず悲鳴をあげた。
ざっくり言えば、政府の緊急事態宣言を受けて、面倒を見れる人が全員医療従事者やインフラ関係者である場合を除いては来週から保育園の利用を控えていただきたい、という内容だ。年明けから流行している新型コロナウイルスの影響で、世の中は自粛ムード。保育園でも卒園式も入園式もかなり縮小して行われた、というのは聞いている。花菜は在園児だから行事の関係はあまり気にしておらず、保育園や職場での感染の危険は認識しつつ、仕事を休むわけにもいかないし、と極力手洗いうがいを励行しつついつも通りの生活をしていた、というところだ。土日も遠くへのお出掛けができず、花菜のご不満はけっこう蓄積している。
そんな中、今度は保育園の登園を封じられるとなると、本当に手詰まりである。仕事のほうは可能な限りの人間が在宅勤務にせよ、という上からのお達しで三月半ばから週2回の出勤であり、この先もっと在宅勤務を増やすという話だから、家で仕事ができる環境は整っているものの、花菜がいて仕事になるわけがない。
「ままー、ごはんはー?」
花菜の声で我に返る。三歳も過ぎ、ずいぶん意志疎通ができるようになった。
「あー、うん、食べようね。温めるから待っててね。」
とりあえずは、目の前のミッションである、夕食・お風呂・寝かしつけである。昨年半ばに少し遠くの認可園に移ってからは、駅から直接お迎えに行って一緒に帰宅しており、花菜はご飯の準備の間、遊びながら待ってくれている。
(……ホント、どうしようかなぁ。)
冷凍ご飯をレンジにいれたあとで冷蔵庫から出した鍋を火にかけつつ、内心でため息の止まらない美里であった。
***
翌週からは、本当に花菜が居るなかでの「在宅勤務」が始まった。
壮介の会社も現在ほぼフルリモート。ただ、事務所を放置しておく訳にもいかないため、壮介も含めた役員は交代で出勤している。混雑を避けるため、午後からの出勤であるが、そのぶん帰宅も遅くなることが多い。
美里の方も資料の参照や打ち合わせのため、今のところ週に一回程度は出勤が必要だ。ただ、社内も人が少なく閑散としており、外部とは予定されていた打ち合わせも基本的に無期延期、新規アポイントメントはとれる気配すらなく、フルリモートでも問題はなくなりつつある。
が、それは家で仕事ができれば、の話である。壮介がいる間は交代で花菜の相手をしているが、ワンオペともなると。
「ままー、じゃんけんしよー」
「ままー、みてー。変な顔!」
「ままー、ごほんよんでー」
「ままー、トイレー」
「ままー、みてー!ねー、みーてー!」
「ままー、ままー、」
1分もたたず話しかけてくる花菜へのため息を圧し殺し、なんとかいなしながらメールをチェックする。あぁ、これは返事をしなければとメールソフトの画面に目を凝らすと、
「ままー、なにやってるの?花菜もやりたい!」
いうが早いがPCと美里の間にするりと体を潜り込ませ、キーボードに触ろうとする。
「止めなさいっ!」
あやうく取材先に空メールを送ることになりかけて厳しく叱ると、
「ふ、ふえええ……」
美里の気迫に驚いて花菜の顔が歪み、目から大粒の涙が溢れる。そこからは大泣きまですぐだった。なまじ外にも行けないため、花菜もストレスMAXだ。いつもより、泣く閾値が大幅に低い。
幼子の涙とわんわん泣きわめく声に、罪悪感とイライラが刺激される。花菜だって、外で友達と元気に遊び回りたいに違いないのだ。よくわからないまま親に付き合わされてほぼ自宅軟禁状態では、精神的に参るのは当然である。そうは分かっていても、子供の泣き声は神経にさわる。
でも、できるだけ仕事はしなければ。その焦燥感もまた、美里には止められそうになかった。昼間子供の相手をして、夜子供が寝てから仕事をすればいいと今日ニュースアプリに配信されたコラムに書いてあったが、ストレスのせいか花菜の夜泣きが復活していて、そのぶん、美里のほうも睡眠不足が精神と体調に来はじめており、夜の睡眠は確保したかった。そもそも、時節柄量は減っているとはいえ本来八時間かけてやる仕事であり、八時間ぶんの給料が出ている。子供を仮に八時に寝かせたとして、そこから仕事に八時間かけたらいつ寝ろというのか、そしていつ家事をするのかと美里はコラムに怒りを感じた。そして、そんな責任もない誰かの適当に書いた記事に怒りを覚える自分のイライラ度合いにもうんざりする。
「……今日は、おやつでも作ろうか。」
そこまで考えてうんざりすることもイライラすることも、仕事も子育ても全てが面倒になり、美里は自棄糞気味にそう呟いた。大泣きを経てひっく、ひっくとしゃくりあげながら涙と鼻水をティッシュで拭っていた花菜が、ぱっと顔をあげる。
「おやつ?」
「うん。特に準備もしてないし、大したものはできないけど。」
休日の雨の日などに時間がつぶれるかな、と、粉ふるいなど多少の道具や材料は買ってあった。無塩バターや生クリームなどの賞味期限が比較的短いものは買い置きしてないから、ケーキなどの本格的なおやつはできないが……
「クッキーか、ポップコーンならできるかな。あと、きなこ餅。」
「こっくぽーん?」
うまく舌が回らないらしい。「おしゅくり」=お薬、「えべれーたー」=エレベーターが直って以来、久々に舌足らずな言い回しを聞いたなぁと微笑ましくなり、まだイライラが残っていた美里は少し眉を開く。
「レンジでできるやつ買ってあるから。ふわぁって袋が膨らんで、ポンポンいうの。楽しいよ。」
「やりたい!」
花菜は大興奮だ。目がきらきらしている。ただ、賞味期限がわりと長かったのでなんとなく買ってきたものの、美里はプレーンな塩味のポップコーンはそんなに好きではない。たしか、味は比較的簡単につけられるような記事を見た記憶があり、さっとスマホで検索する。
「あー、これ出来るなぁ。」
思わず声を出す。普通の有塩バター、牛乳、それに砂糖でキャラメル味がつけられるらしい。煮詰め加減の見当がつかないが、今日花菜と食べるぶんには焦げなければ問題ないだろう。
「なにー?」
「ママね、キャラメルポップコーンのほうが好きなの。だから、作ろうかなって。……キャラメルポップコーン、言ってみて?」
「キャラメルこっ……ぽっくこーん。」
なんか違うことには気づいていたらしい。照れ臭そうに笑う、涙のあとが残る花菜の頬をぷにっと摘まみ、美里は立ち上がった。
***
ポップコーンを作るなど、いつぶりだろう。味の方は昔から好きとは言えない方だが、子供の頃にはフライパンの形をしたポップコーン作りキットでたまに作っていたように思う。最初は平べったいそれが、どんどん風船のように膨らんでいくことにワクワクしたものだ。
(ほんとは、花菜にもフライパンで作らせた方が面白いと思うんだけど。)
コーンがポンポン跳ねる感触は、自分で煎ってこそ。少し残念に思いながら花菜を見やると、スタートスイッチを押したことで自分が作ったつもりになっている彼女は、レンジの扉越しに、膨らむ紙袋をじっと見つめていた。
ポン!とひとつが弾けた音がして、花菜はわあっと楽しげな声をあげる。
「まま、ぽんっていったねぇ!」
「そだねー。」
会話するそばから、ぽぽぽぽぽと連続して弾ける音。紙袋はもう膨らみきってこれ以上の変化はないようだが、花菜は食い入るようにレンジの中を見ている。
(こんな体験は、これまでさせてやれなかったなぁ。)
そっと心中で呟く。ポップコーンもずいぶん前に思い付きで買ってきたものだ。いつもは平日はもちろん、土日も外出したり、作りおきをしたりですぐに過ぎ去ってしまう。新型コロナウイルスの流行で、実際に肺炎に罹患した人はもちろん、何もなくても親子ともにストレスを抱え、決して楽な日々ではないけれど、ゆっくりと親子の時間が取れるという点くらいはポジティブに受けとりたい。
ぽぽぽぽぽという連続音がぽん、ぽんと断続的になってきたところで加熱を止め、先に花菜と一緒にはかっておいたバター、牛乳、砂糖をフライパンに入れて火をつける。花菜には少し遠くから見ていてもらいながら煮詰めていき、いい頃合いでいったん火を止める。レンジから出した袋をあけて、パンパンに入っているポップコーンを見せてから、はたと気づいて美里は聞いた。
「全部、味つける?それとも半分くらい?」
「うーん、味があるほうが美味しいんでしょ?」
「ママはそっちの方が好きだよ。」
「味ないのも食べてみたいから、少し残してくれる?」
この子は、いつの間にかそんな言い回しも身に付けたらしい。少し感心しながら、小さな小鉢に味見程度のプレーンのポップコーンを取り分けて、残りをフライパンに投入して再び火をつける。
焦げるのが怖くて、ゆるすぎるかなと思うくらいで火を止めたためか、少ししゃばしゃばしているかもしれない。袋からそのままどばっと入れたせいで、弾けていないコーンが混じっているのを菜箸でフライパンの外に避けながら、けっこうな量の膨らんだコーンを底から掬うように混ぜてソースと絡めると、それでもつやつやと全体が輝いた。
「できたー」
バットなどという気の利いたものはないので、オーブンの天板にクッキングシートを敷き、そこにポップコーンを広げて乾かす。まだ熱いうちにたわしで洗わねばならないのは、鉄のフライパンの宿命だ。
手持ち無沙汰な顔をしている花菜の口に、ふと思い付いて、まだ温かいポップコーンを1つ放り込んだ。……けっこうべとべとしている。
いただきますの前に手を出してはダメ、といつも厳しく言われている花菜は、きょとんとした顔をした。
「食べていいの?」
「お料理した人だけは、味見ができるの。でも、食べていいのはちょっとだけね。」
ニヤリと笑ってそう言ってやると、
「うん!」
ニカッといたずらっ子の顔で笑ってから、もぐもぐと味わい始める。
「どう?」
「美味しい!」
***
牛乳はこぼすと面倒なので、おやつの飲み物も定番は麦茶か水だ。先日ハーブティーを飲んでいたら花菜もー花菜もーと言い出したので試しに飲ませてみたら、案外けろっと美味しいね!等というので、最近ではハーブティーを出すこともある。
今日は、花菜は普通に麦茶。美里は自分用にインスタントコーヒーでコーヒー牛乳を作った。ゆっくりコーヒーが淹れたいところだが、ワンオペのときには基本的にそんな余裕はない。どうにも精神的に疲れてしまったときは、花菜に待ってもらって淹れたりもするけれど。
そういえば、今時はあまりコーヒー牛乳なんて言わないのかな、などとふと考える。シアトル系カフェが市民権を得て以来、イタリア語で呼ぶことが増えた。確か、カフェ・ラテはエスプレッソにフォームドミルクをたっぷり注いだものだから、これとは違うはずだ。あとから調べてみよう。
「どうぞ、召し上がれ。」
カウンターに出していたポップコーンを天板ごとテーブルに下ろし、美里はそう声をかけた。
「いただきます。」
手を合わせて元気にそう唱えて、花菜はさっそく天板に手を伸ばす。けっこうな量があるので、美里も負けじと摘まんで口に入れた。勢いで全部テーブルに出してしまったが、けっこう量があるので、食べたいだけ食べさせてしまったら晩御飯が入らなくなるだろう。
「美味しいね。」
花菜はぱくぱく食べている。確かに、店売りのカリッとしたキャラメルポップコーンとは多少なり異なるが、化学調味料の1つも使っていない素朴な味はなかなかの美味さだ。ただ、美里としては少し甘すぎることと、べたべた感が気になった。次に作るときは少し砂糖を控えめにして、もう少しだけ煮詰めた方がいいだろう。
「うん、美味しいね。」
そう返し、もう1つ摘まむ。やはり、これは癖になる味だ。更に、コーヒーの苦味とまろやかな牛乳の調和が、口の中の甘さをちょうどよく調整している。
「まま、また作りたい。」
「うーん。」
今日は勢いではじめてしまい、ここ30分以上メールも携帯も確認していない。一応わたし仕事中なんだよね、と考えてしまい、少し口ごもった。
でも、こんなにこにこしてくれるならいいんじゃないかなぁ、と、そんな気もするのだ。どうせ、花菜がいたらまともに仕事にはならない。さすがに外出して買い物などしていたらまずいだろうが、最低限、メールや社内SNSの着信さえ注意していれば業務に致命的な支障はないだろう。同僚などに気は引けるが、この生活も長期戦だと言われている。無理をしてももたない。
「……いいよ。」
「ほんと?!」
ぱっと笑顔が輝く。
「ポップコーンまた作ってもいいし、クッキーとか、あぁ、パウンドケーキとかもいいね。ドライフルーツとか入れてね。」
「作ってみたい!」
「また、今度ね。アップルパイならリンゴから作れるよ。」
「うん!」
約束しちゃったからにはもうあとには引けないな、と思いながらも、一方でパウンドケーキやるなら型を買っておかないとな、あとパイシートもあると楽かな、等と少し弾んだ気持ちで考える。
「花菜、味付けしてない方はどう?塩味はついてるはずだよ。」
「あ、忘れてた。……うん、こっちも美味しいよ。でも、こっちの……えっと、こっちのほうがすき。」
「キャラメルポップコーン、ね。」
「キャラメルこっ……ぽっ、キャラメルのほう。」
どうにも舌が回らないのをなんとか誤魔化す花菜に笑顔で頷きながら、美里は花菜の皿にキャラメル味を足してやった。
「さ、あとこれくらいにしておこう。晩御飯が入らなくなっちゃう。」
「ええー、もっと食べたい。」
「また今度ね。パパにも取っておこうよ。」
「うーん……」
「それ食べたら片付け手伝ってくれる?」
「わかった!」
依頼がお手伝いブームの花菜の琴線に触れたらしく、元気な返事である。
(まぁ、片付け終えてPC開いたらまた喧嘩になるだろうけどなぁ……)
そんなことを思いながらも、とにもかくにもこの一時間は親子喧嘩もイライラもなかったことにほっとする。なんとかこの日々をこうやって埋めていくしか、今はないのだろう。少し遠い目になりつつ、でも、辛いだけの日々だったとは思いたくないな、とも思うのだ。あの頃は大変だったけど、楽しい面もあったね、と、振り返って言い合えたらいい。
「ごちそうさまー」
「はい、ごちそうさま。」
少し残ったポップコーンは、壮介が帰ってきたら出してやろう。花菜がこんなに楽しそうだったよ、パパにも食べて欲しがっていたよ、と伝えて。明日の朝、花菜が起きてきたら、壮介には花菜に美味しかったよ、と言って貰おう。
コップに残った麦茶をこぼさないようにシンクに持ってきた花菜を褒めて、美里は簡単に食器を片付けた。さすがに少し仕事をしなければ。機嫌よく積み木で遊び始めた花菜を横目に、PCを開く。穏やかな時間が少しでも長いことを祈りつつ、美里はメールボックスに目を通し始めた。
お読みいただきありがとうございました。
未就学児のいる在宅勤務、なかなか苛烈ですが頑張りましょう……(もうそれしか言えない)
本編の続きのほうは、もうしばらくお待ちください 汗