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スピルトシリーズ

小さな脚本家のクリスマス物語

作者: ほか

 ラロシェルのその年のクリスマスシーズンは盛大でした。パリのデージェル座の引越公演が開かれたのです。

 喝采溢れるカーテンコールの済んだテントからは今も今年は一味違う祝い方をと詰めかけた人々が押し寄せてきます。

 「まだ余韻が覚めないわ」

 熱くなった頬を押さえているのは、町一番のロマンチストの名をほしいままにするプレヌです。

 「そうかい。オレはどっちかって言うと、覚めないのは眠気だな」

 その隣で口元を押さえているのは夫のロジェ。

 ふたりはレストランを営む街で有名な新婚夫婦でした。

 「あぁロミオ。あなたはどうしてロミオなの」

 お芝居にすっかり影響されて、ヒロインの台詞を諳んじている妻を、ロジェはとめる気にもならないようで、しきりに目をつむったり、開いたりを繰り返しています。

 「『壁は恋の翼で軽く飛び越えた』。ねぇそう言ってわたしの手をとって! ロミオみたく」

 仮設劇場の紫のテント前。赤と黄色のレンガの道に、冷ややかな風が吹きます。

 「却下」

 なにごともなかったことにしよう。ロジェはそう思いました。

 「んもう、夢のない人」

 「第一翼なんかなくったって乗り越えられるよ、これ」

 ロジェが足で叩いたレンガの段差は、約四センチメートルでした。プレヌががっくりと寒さに震える肩を落としたとき、病気がちなその身体に自分の上着を被せながらちょっと待ったとロジェが人差し指を口元に当てました。

 テントの裏側からかすかな泣声が聞こえてきたのです。子どもの声のようです。二人は早く助けなくてはという焦りとともに、どこか不思議な心地を味わいました。

 「泣いているのに、まるで自分の泣声を聞かれるのを恐れているみたいな声ね」

 「泣声の主が相当しんどい証拠だ。捜そう」

 紫のテントを辿って行くと、その奥に、小さなの女の子が見つかりました。

 お名前は? おうちはどこ? お父さんとお母さんは? プレヌが何を尋ねても、その子は答えてくれません。とはいえ泣いている子をほうっておくわけにはいかず、夫婦は女の子を家へ連れて帰ることにしました。

 新婚夫婦はレストランを営んでいました。

「今はクリスマスシーズンだから。食べてね」

そう言ってプレヌが差し出したケーキを少女はおずおずと食べました。

 「無理して喋れるようになろうとか思わなくていいから」

 ロジェの声に少女は申し訳なさそうに俯き、だめだめとたしなめられました。

 「クリスマスには子どもは幸せでいるっていう義務があるんだよ」

『子ども』とロジェが口にしたとき妻のプレヌがはっしたように彼を見たのが気になりましたが、少女はもう一口ケーキを口に運びました。

金色に光るレモンが銀の滴に見立てて添えてありました。

少女はそれからすすんでレストランを手伝いました。ロジェ達が調理する様子をじっと見ては完成品を運び、お客様にお辞儀をしました。言葉がない分その仕草はみなさんの目により丁寧に映ったようで、看板娘の座をとられちゃう、とプレヌは笑いました。

少女には部屋が与えられました。夫婦との美味しい夕食が済むと、少女は2階にあるその部屋でゆっくり休むのでした。

ある晩少女が部屋へ引き上げるとプレヌがテーブルの上に十数枚の紙の束を出しました。

 「昨晩様子を見に行ったら、あの子の部屋のテーブルで見つけたの」

それはただの紙ではありません。原稿と呼ばれるものでした。大層な達筆で長い文章が書かれています。物語のようです。

 「素人じゃないな。この文面。まさかあの子」

 「間違いないと思う」

 ロジェとプレヌは少女の正体を悟りました。


 『雪は地上に降る前は天の国にいる。雪は地上でなんの形になろうかと考えていた。地上を見ると、北の国で子供たちが遊んでいるのが楽しそうだった。一番大きな雪だるまになって賞賛されよう。雪は地上に落ちて行った。夏が来てだるまが溶け、子どもたちの関心も薄れると、雪は天の国に戻った。


 東の国での華やかな雪の祭りが目に止まった。よし。あの国で動物か建築物を模る雪になろう。そう決めて雪は地上に降りて行った。やっぱり夏が来て人々が祭りの後片付けを始めるころ、雪は天の国にひっそり帰った。


 天の国では次に生まれようとする他の雪たちがひしめきあっている。その中に雪は埋もれ考えていた。季節が何度廻っても夏が来れば飽きられ忘れられ、雪とほんとうに向き合ってくれる人はいなかった。どんなに大きな建築物や美しい結晶、かわいい雪だるまになってももっと人を惹きつける雪たちが次々に地上に降りてくる。雪の結晶として哲学者の前に降り立ったとき、彼の読んでいる書物に存在理由なる言葉が書かれていたが、雪も自分の存在理由がこの身体と一緒に他の雪たちに埋もれて溶けていくような痛みを感じた。


 雪たちは平安を好む。ところが最後の冬、その雪は平安とほど遠い東南の国へと落ちた。ただの雪として。倒れた少女の頬の上に落ちた。雪は滴となって、地上に落ちて行った。融ける瞬間雪は少女の目に映った快さを見た。

 雪は幸せな雪になった』


「あんなに小さいのによくこんなん書けるな。道理で感性が鋭い優しい子だったわけだ」

手紙すら満足に書けない自分と比べているのか、ロジェは感心しています。こんなに字が得意なら、最初から筆談という手を思いついてやるんだったとも。

「でもおかしいな。あの子の正体がオレ達の思ってるとおりとすると、その人物は口がきけないなんて話は聞いたことない」

その答えをプレヌは浮かぬ顔で明かしました。

「悲しいじゃない。書きたいことがあるのに、人に話したいことはないなんて」

その次の晩、少女は不安な時を過ごしていました。階下から新婚夫婦の言い争う声が聞こえてきたのです。少女の心は混乱しました。

 お母さんとお父さんもそうだった。少女が布団にもぐりながら涙を零していたとき、優しいノックの音がして年配の女性が部屋に入って来ました。レストランの料理長のミランダです。少女はミランダのふくよかな胸に身を埋めました。そして、

 「わたしのせい?」

ここに来て初めて声を発したのでした。

 「ようやく喋ったと思ったら他人の心配かい」

 背中を撫でながらミランダは言いました。

 「いいや。今あのふたりが争ってるのはあんたのこととはこれっぽっちも関係ありゃしないよ。大人になると色々あるのさ」

 ちょっとだけ野太いその声はくっきりと少女の中に入って雪のように融けていきました。

 「あんたみたいによくものを考える子は大人になるにつれて楽になっていくもんさ」

 眠るまで一緒にいてくれたミランダからはレモンの滴の香りがしました。

 

 デージェル座のテントにやってきたロジェとプレヌと差し向かいに座って舞台女優マルグリット・ベルは神妙な顔である原稿を読んでいました。

 「あぁ、なんてことでしょう」

 女優らしく大仰な仕草で絶望を表現すると、隣に腰掛けている演出家ベル氏に言います。

 「私達の娘はちゃんと舞台の上で再現したい物語を持っていたのだったわ。それなのに私達は、観客の望む筋書きを強要していたのよ」

 「思えば最近はより売れる演目をと、僕らには争いが絶えなかった。覚えているかいマルグリット。僕らがまだ売れない一座だった頃、よく家族みんなで小話を作っては演じて楽しんでいたね。脚本家はいつもあの子だった。あの子は昔のように自由に書きたかったんだ」

 夫のベル氏がそう言うと、舞台開始のファンファーレを告げるラッパが高らかに鳴り鳥達が大空へ羽ばたく音がしました。ここは先日訪れた、紫のテントの関係者控室でした。

 「これからはお客様の声に埋もれてお嬢さんの声を聞き逃さないようにしてくださいね」

 プレヌが優しい笑顔を夫婦に向けたとき、少女がミランダに手を引かれ入って来ました。

 「お父さん、お母さん。お芝居ができたの」

 母親は真っ赤な唇を少女の頬に寄せました。

 「今すぐ上演しましょう。あなたの脚本は素晴らしいもの。でもその前に、こちらのご夫婦にお礼を言わなくちゃね」

 少女はロジェとプレヌに向き直り、レストランでしていたような優雅な礼をしました。

 「そろそろ名前教えてくれないか。またうちにケーキ食べ来たとき、呼ぶのに困るから」

 ロジェの問いに少女は答えました。

 「ノエルです。聖夜に幸せを持って来たって意味でもらった名前なの」

 「じゃぁ今日が誕生日! 公演が終わったらみんなでお祝いね」

 プレヌに背中を押されて、ノエルとその家族は、ステージへと向かいました。

 マルグリット演じる主役の雪、ベル氏の豪華な演出、そして小さな大脚本家ノエルの綴った言葉は大好評。まだ銀世界にいるようでぼんやりしていたプレヌは舞台の片付けにかかるベル一家を待ちながら公園で発した夫の言葉をあやうく聞き漏らすところでした。

 「昨晩はきつく反対しすぎた。その、君の身体のことが心配だったんだ」

 冬だというのに珍しく日は高く登り、この次に来る季節すら感じさせました。

 「暖かくなってもう少し元気になったら。そしたら考えよう。オレ達の子どものこと」

 びっくりして向き直ったプレヌの肩から、溶けた雪の一滴が光って零れ落ちました。


~fin~

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