第93話 クライン武王国の解放
「ちっ! 戻ることまでは考えておらんかったわ」
期せずして戦いを終えた左門は走っていた。転移で直接城に乗り込んだために、帰りの手段が自力での帰還しかなかったのである。
ひとまずイゴールの脅威が去った今、別段急ぐ理由はなかったが、一刻も早くストレアたちを抱きしめたかったのだ。そして、怖い目に遭わせたことを謝罪したかった。
大会の方はもう諦めている。
といっても、残っていたのは左門とアヤメ、サラとラシードであったわけだから、まだ見ぬ強者と戦う、という目的は達成不可能なのだ。ある意味、ラシードの正体であったイゴールとの戦いで、すでに達成したと言えなくもない。
ゆえに、棄権あるいは失格となっても、問題なかった。
個人的な目的を抜きにしても、四人中三人が長らく会場を離れていたわけだから、すでに武王祭が決着していたとしても不思議ではないのである。
「痛いのは儂の懐だけか……」
「そんなのは自己責任よ」
左門の呟きに、隣を走るリリアンが厳しい言葉を返す。まったくの正論だけに、ぐうの音も出なかった。が、不測の事態こそが、負けの原因であるからどうしようもない。
「だがまあ、儂がいくら金を持っておったところで有用には遣えんわ。なればこの国の復興にでも回した方がよかろう」
「強がり言っちゃって」
「強がりなどではないわ。儂は本当にそう思って……」
「見えてきたわよ」
リリアンはわざとらしく言葉を重ね、左門の声をかき消すと、前方を指さした。
そこに見えたのはまさしく目指す闘技場だ。ところが、問題が一つ。
「これは……どうすべきかの?」
武王祭は王都インビュラを挙げての祭である。王城近くは催しもないため、人の数は少なかったが、街の中心であり、武王祭開催の地たる闘技場に近づけば近づくほど、人の密度は増していくのだ。
それこそ、闘技場前の広場は人が多すぎて通れないほどであった。
左門たちの前に立ちはだかったのもまさしくそれである。
「視界の内なら転移できなくもないけど、闇雲跳んでも仕方ないわ」
一度転移したはいいものの、身動きが取れなくなった、では笑い話にもならない。
「ううむ……」
走りながら唸っていると、不意に己を呼ぶ声が聴こえてくる。その正体は姿を確認せずともわかった。
「サモンさん! こっちです」
人込みから少し離れたところで、ストレアたちが手招きしているではないか。左門は蜜の匂いにつられた蝶のごとく、引き寄せられた。
「危ない目に遭わせてすまなんだ……」
左門が言うと、ストレアたちは一斉に首を横に振る。
「サモン様のせいなどではありませんわ」
「サモンどのが戦っている間のことなどどうしようもない」
「それに、自分たちはみんな無事でしたから」
実際、左門に非がないのは確かだ。しかし、心情は別だった。仕方がない、と許容していては本当にいざというとき、取り返しがつかないことになりかねないのだ。
「いや、一歩間違えばみな奴の毒牙にかかっておったのだ。そう考えるだけで己自身に腹が立つわ」
四人が許しても己自身が許せない。左門はそういう男だった。
「もういいわよ。サモンが後悔してるのはよくわかったから。それ以上言ってると、その子たちの方が逆に責任感じちゃうわよ」
「そんなことは……」
言いかけ、左門はストレアたちの表情を覗き見る。
どこか不安げな表情。それはまさしく、リリアンの言葉通りだった。
「ううむ。済まぬ。儂もこれ以上は言わぬ。ただ、もう二度とあのような目には遭わせぬと誓おう」
その言葉に四人の表情にに笑顔が戻る。
闘技場から聴こえていた歓声が突如として悲鳴に変わったのはその時であった。
耳をつんざくような悲鳴。
人で溢れかえった闘技場前の広場の空気凍りついた。
一体何が起こったというのか。それを正確に理解している者はこの場に一人としていなかった。
「一体なんですの!」
「わかりませんが、闘技場の中で何かがあったのでは……」
一瞬の思考ののち、左門はある可能性に思い至る。
(確か闘技場にはくらいん王とやらがきておったはず……)
ラシードが漏らしたことが本当であれば、本物の王はすでに亡く、眷属が成り代わっているだけのはず。だとすれば、中で何が起こっているのか、想像するのは難しいことではなかった。
「るふぃなと棗どのたちはまだ中におるのか?」
「わたしたちも中には入れませんでしたから、確かなことはわかりません。けど、動いていないと思います」
「そうか。なれば――」
「ワタシの出番ね」
リリアンであれば、中にいるはずの棗とコンタクトが取れるはずだ。そして、ルフィナの力があれば、あるいはこの人混みを無視して闘技場の中へ入れるかもしれなかった。
「ナツメ! 今どこ? 何があったの?」
やや急ぎ気味にまくしたてると、すぐに答えが返ってきたらしい。
「そう。わかったわ。みんな闘技場の外にいるから、フィーナに言ってワタシたちを中へ……」
とそこまで言ったところで、接続が途絶えたらしい。リリアンは眉根を寄せて首を振った。
「やはりくらいん王とやらの仕業か?」
「そうみたい。王と兵が優勝者に異議を唱えてそのまま暴動になったって言ってたわ。今は無事だった出場者とナツメたちが抑えているみたいだけど、多勢に無勢よ」
「儂らは加勢できそうか?」
「待ってなさい……ほらきた」
リリアンが言うとほぼ同時、見覚えのある光が左門たちを包み込む。棗の報せを受けたルフィナの仕業であろう。
精霊術による転移は、そこに精霊さえ存在していれば発動できる。近くの精霊を飛ばし、目とすることで、正確な位置を確認し、離れた位置から転移させることも理論上可能なのだ。
ただ、ルフィナほどの術者でもなければ、精霊を自在に操ることはできないのだが。ともあれ、戦場に踏み込むことはできそうである。
「転移したらすぐに戦場よ。集中しなさい」
「はい」
ストレア、ラピス、アリエス、アヤメが異口同音に答え、その瞬間視界が揺らいだ。転移の兆候である。
左門たちがまとめて転移したのは闘技場武舞台のほぼ中央だった。状況を把握するため、素早く首を振る。
(ち、思ったよりも数が多いの……)
武舞台上はまさしく乱戦状態であった。
傀儡と化した兵たちが殺到し、武王祭出場者たちと戦いを繰り広げている。その中に棗とルフィナの姿もあった。それだけではない。
己の武に自信のある者たちは観客席から武舞台へ降り、戦いへと加わっているのだ。あるいは棗とルフィナのあとを追ったのかもしれない。
そのおかげか、武舞台上の戦いはなんとか均衡を保っている。
問題があるとすれば、それはむしろ観客席の方であった。
「何よあれ! 全然避難が進んでないじゃない!」
リリアンが焦りを見せるのも無理はない。観衆たちは各々が恐怖によって悲鳴を上げてながら、出入り口付近へ殺到しているものの、数が減っている様子がないのだ。
その背後には傀儡の兵が迫っていた。大虐殺がはじまってしまうのも時間の問題である。
「もしかして、外が詰まって身動きがてとれないのではないか」
おそらく、ラピスの言う通りであろう。
闘技場の外の広場は足の踏み場もないほどの大混雑であった。現在闘技場の中で何が起こっているか、把握している者などいないわけだから、異変を察知して場所を空けることもできない。観客たちはまさしく閉じ込められたわけだ。
「すとれあどの、ありえすどのは武舞台上の支援を」
「はい!」
「らぴすどの、あやめどのは観客を守りつつ、背後に迫る敵の処理を」
「はい!」
左門からの指示を聴き、四人が一斉に散る。
「儂は敵の頭を叩く。りりあんどの。ついて参れ!」
「了解よ」
傀儡の兵たちを操っているのはクライン王に成り代わったイゴールの眷属で間違いない。正確に言うならば、ラシードがイゴールの力を遣って作り出した眷属なのだが、左門にとってはどちらでもよかった。いずれにしても倒すだけである。
左門はすぐさま観客席に上がると、武舞台を見渡せる位置でふんぞり返っていた男のもとへ走った。無論、邪魔となった傀儡は瞬く間に斬り捨てている。
「おぬしが偽のくらいん王か」
「偽だと。貴様何者だ」」
「何者であろうがおぬしには関係なかろう。どうせここで死ぬのだ。ああ、助けは来ぬぞ。いごおるはもうこの国にはおらぬでな」
「なっ、なぜ主の名を……」
ラシードが造った眷属もその主はイゴールであるらしい。まさしくラシードは裸の王様だったわけだ。
「つまらぬ話はこれくらいでよかろう。この国の民を苦しめたこと、後悔しながら死んでいけ」
「ぬかせっ! 貴様ごときにイゴール様の右腕たる私が倒せるものか!」
イゴールと対峙してなお、左門が生きていることの意味を理解していなかった。眷属が誇る超再生を過信していたのである。
生まれながらに超硬の防御や超速の再生能力を持つ者は総じて防御を軽視する傾向にあった。普通ならば致命傷になるような一撃を受けても、問題にならないからなのだが、その過信は裏目に出た。
「死ねぇぇぇ!!」
「隙だらけじゃ。三度殺しても釣りがくるわ」
左門は退屈そうに呟くと、聖剣となったリリアンを手に取り、すれ違いざま、偽クライン王を両断する。
上半身と下半身が分断され、上半身は血をまき散らしながら観客席を転がり落ちた。
「え……」
しかも再生する気配はない。ただの剣士相手と侮っていただけに、偽クライン王は焦った。
「阿呆か、おぬしは。ただの剣士がいごおると邂逅して生きておるはずもあるまい」
「きゅ……救世主……か……」
「左様。地獄の閻魔に詫びて参れ」
そう言って左門は転がり落ちた上半身の前に立ち、とどめをさした。すると、残された下半身も同時に灰と化し、この世から消え去る。
その瞬間、傀儡となった兵たちの動きも停止。糸の切れた操り人形のごとく崩れ落ちた。
兵たちはすでに命亡き抜け殻である。
操者を失ってしまっては何の役にも立たないのだ。
「終わったか」
「そうみたいね」
この地を実質的に支配していた魔人イゴールは去り、その眷属は排除した。クライン某国は数多くのものを失ったものの、解放されたのだ。
武王祭の結果、次期国王も決まっている。
となれば、あとは刻をかけ、国を立て直していくしかない。それは左門がすべきことではなかった。
「まあ、浮くも沈むも民たちの胸先三寸だの」
少しの時間差を経て、闘技場が沸いた。クライン王の打倒と、己らの生存を喜んでのことだ。武舞台上で戦っていた者たちも、くたびれたように腰をおろしている。
そんな光景を観客席の高所で一望しながら、左門はこの国の未来に思いを馳せるのだった。
 




