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異世界浪人見参!  作者: 福永慶太
第1章 侍降臨編
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第8話 大河の渡し

 明けて翌朝。

 左門は日が昇る前に目を覚ました。90年近く朝稽古を続けてきたせいか、とにかう目覚めが早いのだ。

 昨晩はどんな顔でストレアと顔を合わせればいいか、と悩みながら湯に浸かっていたものの、風呂から出てみれば、ストレアは床の上で眠りについていたのである。

 度重なる魔物との戦闘に長距離の移動。それだけ疲れていた、ということだろう。

 左門としてはほっとしたような、残念なような複雑な心持ちであった。

 ただ、床の上に寝かせておくのはあまりにかわいそうだったので、そのまま抱えてベッドに移し、己は床に座して、壁に寄りかかるような格好で眠りについたのである。


「さて……」


 左門はぽつりと呟くとそのまま立ち上がり、窓から外の様子を覗いた。

 眼下に広がるのは石造りの重厚な町並みである。正直なところ、江戸よりもずっと立派であった。これならば火事に怯える必要もないだろう。

 ただ、夜明け前ということもあって、人の姿はない。

 このまましばらく外を眺めていてもいいのだが、やはり身体を動かさないと変な感じがする。左門はそれが我慢ならなくなって、太刀を引っ掴んで部屋を出た。

 向かったのは中庭である。

 そこに井戸があったことも昨晩のうちに確認済みだった。


「うむ。良い朝だ」


 外に出ると、大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。朝の澄んだ空気が左門の肺を満たした。それを幾度か繰り返したのち、諸肌脱ぎになって太刀を抜き、上段に構えて振り下ろす。

 切っ先が見えぬほどの速さで振るわれた太刀は地面スレスレでぴたりと停止する。そこから太刀を振り上げ、再び上段へ。

 一つ一つの動きが極限まで洗練されていた。約100年かけて研ぎ澄ました動きである。


「ふっ! ふっ!」


 何度太刀を振り下ろしたであろうか。気づけば、薄暗闇であった空に日が昇り始めていた。


「ふぅ……。もうこんな刻限か」


 手を止め、額から滴る汗を拭う。

 ちょうどそのとき、背後から己を窺う気配を感じた。


「早いんですね。それに朝から稽古なんて……」

「日課なのでな。やらぬと落ち着かぬのだ」

「じゃあ、明日からはぜひわたしも誘ってください!」

「う、うむ……」


 ストレアは期待に目を輝かせている。まさか朝稽古一つにここまで食いついてくるとは思わなかったのである。

 左門は初めて弟子を取ったときのことを思い出した。


(いや、まさかな……)


 おなごと無縁であった生前の過ちはまさに弟子を取ったところから始まったような気がしてならなかったのだ。

 弟子が弟子を呼び、気づけば3000人以上の門弟を抱え、おなごに愛を囁く暇もなくなってしまったのである。

 同じ轍を踏んでいるのではないか、そんな不安が左門の胸の裡に芽生えた。


(まあ、勘違いであることを祈るかの。幸いにしてすとれあどのはおなごじゃ……)


 左門はそんなことをつらつらと考えながら、井戸端で汗を洗い流す。何を考えたところで、なるようにしかならないのだ。考えるだけムダである。

 その後、二人は別料金を払って朝餉を食し、支度を整えてから宿を出た。

 町へ出ると、早朝とは違い多くの人が行き交っている。

 通りの左右には屋台や露店が開店の準備に取り掛かっていた。


「それにしても馬車が多いの。商人たちがえうぜびあから脱出しておるとか申しておったか」


 その中でも目に留まるのが馬車である。昨日耳にしたように多くの行商人たちが女王国から避難しているのだ。幸いにして、左門たちとは向かう方向が逆ではあるが。


「はい。わたしたちが目指しているエウゼビア女王国とそのお隣のライトネール帝国が緊張状態らしいですね」

「大丈夫なのか?」


 商人たちがこぞって逃げ出すほどであるのに、ストレアはあっけらかんとしている。

 これから向かおうとしている国が他国と交戦しようかというのに呑気なものであった。


「ええ。女王国と帝国は昔から仲が悪いんですよ。緊張状態と言っても、きっと今回も局地的な小競り合いに違いありません。王都は平和なものですよ、きっと」


 ストレアの記憶にある限りでも数回、両国の間で局地的な紛争があったらしい。そのどれもが各地へ波及することなく終結していた。


「ではなぜ商人たちが?」


 商人は利に敏い。たとえ多少の危険があったとしても、そこに利があるならば見逃すはずもなかった。戦争ともなればなおさらである。

 普段以上にものが必要になるのだから当然だった。


「見てもらえば納得してもらえると思うんですけど、逃げてきているのはみんな男性なんですよ」


 言われた左門はそれとなく周囲の馬車を窺う。


「確かに。男ばかりだな」

「実はですね。女尊男卑がエウゼビアの国是なんですけど、例外があって、それが商人なんです。じゃないと、まともな商売ができませんから。でも、戦時特例が認められると、商人特権が剥奪されるんです。そうなると、男性の持ち物が接収されても文句言えませんから逃げ出すんですよ」

「なるほどの。毎度のことだが詳しいな」


 左門は無意識のうちのストレアの頭を撫でていた。もふもふの耳の感触が気持ちいい。


「里では外のことが知りたくて、よく本を読んでいたので。役に立ってよかったです。えへへ……」


 ストレアも褒められたのが嬉しくて、はにかんだような笑みを浮かべた。


「ところで儂、連れていかれやせんかの?」

「大丈夫だと思いますけど……。もし不安なら、わたしの奴隷ってことにしておきます? そうすれば少なくともわたしの意思に反して連れて行かれることはないはずですけど」

「むむっ! すとれあどのはやはり儂を奴隷に……」

「フリですよ! フリ!」


 必死に否定するストレア。左門とて本気になどしていない。ただからかっただけである。


「ははははは! 冗談じゃ」

「もう! 意地悪です!」


 ストレアは真っ赤になって頬を膨らませた。


「あ、でも奴隷じゃなくて、わたしの旦那様でも大丈夫ですよ」

「な、突然何を……」

「左門さんたら慌てちゃって。お返しですっ」


 悪戯っぽく微笑むストレア。左門にはその表情が何よりも美しく見えた。

 そんなやり取りもありつつ、町の中心を貫く通りを歩いていると、視線の先に大河が見えてくる。

 この大河こそが、アストラ=ヴィズ都市同盟とエウゼビア女王国を隔てる国境なのだ。

 岸に立っても対岸が視認でいないほどの幅を誇る。流れる水の量も多く、とても日ノ本ではお目にかかれない規模であった。

 しかし、見える範囲に橋はない。


「まさかこれを歩いて渡るのか?」


 真っ先に左門の脳裏を過ったのは大井川の渡しである。


「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」


 とも言われるように、東海道でも最大の難所であった。といっても、箱根の山越えのように、肉体的なきつさではない。

 大井川を越えるには川越人足に肩車されるか、蓮台という梯子のような乗り物で運んでもらうしかなかったのである。

 もちろん、人足は徒歩であるから、増水すれば川止めとなり、ただ黙って水が引くのを待たねばならなかった。

 それが越すに越されぬ大井川の真相である。


「そんなわけないじゃないですか。すごく深いらしいですよ?」

「それを聴いて安心したわい」

「あそこに列がありますよね? あそこから渡し船に乗るんです」


 なるほど、それならば楽なものだ。

 渡しの船はそれほど大きなものではなかった。もちろん、定員はそう多くない。さすがに一艘だけということはないだろうが、長蛇の列が出来上がっていた。

 二人はその最後尾に並ぶ。

 手持無沙汰になって周囲を見回すと、並んでいる者たちのほとんどがおなごであった。中には腕に覚えがありそうな女偉丈夫も混じっている。ストレアの耳打ちによれば、多くが冒険者であるらしい。エウゼビアの志願兵として一旗揚げる気のようだ。

 特に気になったのはやや浅黒い肌の美しい女だった。

 まるで、よく切れる太刀のような鋭さが感じられる。


「ああ。あれはアマゾネスという種族ですね。女性のみの種族で、戦闘に秀でています。それに好戦的で、強い男性を連れ去って……」


 そこまで言うと、ストレアは顔を赤くして押し黙ってしまった。まあ、なんとなくその先は予想できたので、余計なことは言わなかった。

 ちなみにアマゾネスも亜人の例外である。女性の個体しかいないため、人族の男と交わっても生まれてくるのは必ずアマゾネスであった。

 やや気まずい空気が流れる中、タイミングよく順番が回ってきた。


「ようやく我らの番のようだの」

「あ、船に乗るとき、ギルドカードを見せてください」

「うむ。承知した」


 ストレアの言う通り、ギルドカードを提示し、桟橋から船に乗り込む。

 予想していたよりもずっと小さな船だ。さすがに猪牙船よりは大きいが、大河の川幅との比率で言えば、猪牙船の方が大きく見えるから不思議である。


「どうしてこんなに小さな船を使っておるのだ?」


 気になった左門は船の前方に陣取ったのち、船頭に尋ねた。


「見ての通りの大河ですからね、増水すると手に負えないんでさぁ。いくら大型の船でも増水すれば流されちまうってんで、あえて小さい船にしてやす。まあ、言葉はよくねぇが、使い捨てってとこでさぁ」

「確かに、この大河が増水すると思うと空恐ろしいな」


 こうした何気ないやり取りが廻国修行の旅を思い起こさせる。あのときもこうして現地の者と言葉を交わしたものだ。

 ややあって船に定員が乗り込むと、ゆっくりと大河へ漕ぎだした。段々と岸が遠く離れていく。

「素晴らしい景色だ……」


 左門が声を漏らしたのも無理はない。大河の中腹までくると、両岸が見えなくなり、世俗から隔離されたような幽玄な光景が広がる。さらには水面に日の光が反射して幻想的な景色を作り出していた。

 何とも雄大な景色だ。

 ただし、それを心から楽しめたのも、短い間のことであった。背中にただならぬ気配を感じたのである。

 原因は最後に乗ってきた外套の女であった。

 フードを目深にかぶっており、顔は確認できないが、明らかに胸が膨らんでいる。あれで男ということはあるまい。


「サモンさん……どこ見てるんですか……。そりゃあ、わたしのじゃ満足できないかもしれなですけど……」


 左門の視線に気づいたストレアが、己の胸元に目を落としながら言った。どうやら平坦な胸を気にしている様子である。が、完全なる勘違いだ。


「違うわい」

「え?」

「あの外套の女から後ろ暗い気配を感じてな。恨みや復讐、そういう類のものかの。気づいておるのは儂わけのようじゃが。まあ、儂らには関係あるまい」

「だといいですね」


 あの女とは偶然同じ船に乗り合っただけ。それ以上の縁がないことを祈るばかりであった。


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