第4話 少女の名前
「法術ですか? いいですよ。簡単にご説明しますね」
「すまぬな」
「いえいえ。ええと……法術のことを話すには、まず精霊術と魔術について話さないといけませんね――」
面倒なことだろうに、少女は笑みを浮かべながら、熱心に話してくれた。これも人の良さが成せることであろう。
曰く、精霊術とは耳長族――エルフと妖精族のみが遣える術で、周囲に存在する精霊の力を借り、様々な現象を起こすもの。自分自身の力を行使するわけではないので、属性の縛りがなく、満遍なく遣えるのが特徴であり、魔力切れを起こす心配もないらしい。
ただし、精霊のいない場所では遣えないという欠点がある。
次は魔術だ。そもそも魔術は精霊術を遣えない耳長族と妖精族以外の種族によって編み出された術である。精霊術と同じく火、水、風、土、光、闇の六属性があるのだが、術者の適性のある属性しか扱うことができない。
身体の裡に秘めた魔力を操り、長年の研究によって最適化された「言霊」をカギとして行使する。術者の保有する魔力量によって効果が大きく上下し、使用回数も変わってくるため、才能に依存。コツを掴めば誰にでも遣えるものの、それが役に立つ水準に達するかどうかは別問題だった。
「そして最後が法術ですね。法術は精霊術が遣えず、魔術も水準以下の人に残された最後の希望です。魔力の保有量に関係なく、意思の力で現象を起こすんです。ただ、防御や支援、軽い回復はできますが、攻撃には向いていません。精霊術や魔術よりも汎用性が高いんですけど、逆に俗人的な法術も存在します。それが、ギルドカードにも遣われているような術ですね。そういった術は固有法術と呼ばれています。術者が限られていますから、とっても貴重なんですよ」
左門の持つ常識とはあまりにもかけ離れすぎていて、すべてを解するには及ばなかったが、なるほど不思議な力が存在することだけは理解できた。
理解が正しければ、およそほとんどの者が何かしらの不思議な力を行使できる、ということだ。ある意味それは脅威と言えた。
「ところでお嬢ちゃんはどれかしらを?」
「はい。わたしの場合、猫人族ですし、魔術適性が低かったので、法術を少し。一応、火属性の適性はあるんですが、わたしにはこれが限界だったんです」
そう言って少女はおもむろに人差し指を立てると、「キャンドルファイア」と呟く。
すると、立てた指の先に小さな火が灯った。
「おおっ! これはたまげた」
「そんな……」
「すごいな、お嬢ちゃん」
興奮した左門が手を叩く。少女は照れたような笑みを浮かべ、火を消した。褒められたのが嬉しかったのである。
「『キャンドルファイア』というのがカギとなる言霊です。わたしの魔力保有量は凄く少ないので、この程度の炎を灯すのが精一杯なので、薪に火をつけるくらいしか用途がないんです」
自嘲気味な笑みを浮かべながら説明する少女。だが、左門から見れば立派な術である。
「いやいや。それだけでもできれば様々に活用できよう」
廻国修行の旅は基本的に野宿だった。雨が降った翌日などは火を起こすのも一苦労だったのだ。火打石があるため、乾いた木片があれば火を起こすことができるのだが、湿っているとそうもいかない。
この少女ならば、そんな苦労とは無縁であろう。それだけでもうらやましかった。とはいえ、年頃の少女がそうそう野宿をするとも思えないが。
「わたしはこれくらいしかできませんが、才能のある人はもっとすごいんですよ。それこそ一撃で魔物を焼き払っちゃうんですから」
「そうか。そんな術があるとは……侮れんな」
左門とて不可思議な術を遣う武芸者と太刀を交えたことがあった。ただあれは油と火打石を遣った手妻だったわけだが。ともあれ、種も仕掛けもなく火を起こす、というのは驚愕に値することだ。
すでに術者と手合わせすることを考えている辺り、生粋の戦闘狂であると言えよう。さすがに剣の腕一つで生きてきただけのことはある。
「でもでも、法術の方はもうちょっと得意なんですよ」
「それも見せてもらえるのかえ?」
「いいですよ。ちょっとだけ待ってくださいね」
少女は得意げに言うと、両手を組んで小さく呟く。同時に、少女の身体が淡く光った。ギルドカードを作ったときと似たような光である。
「これが身体強化の法術です。こんな風に――」
瞬間、少女が風のごとき速度で左門の背後へ移動した。左門であれば追いきれないほどの速さではないが、素人であれば見失うだろう。
「こちらも強力じゃの。これではお嬢ちゃんとは呼べまい」
「あの……そういえばお名前……」
「ふむ。これは失念しておったの。儂は左門。遠藤左門。浪人じゃ」
押し売りのごとく助けた上、肉やギルドの登録料までおごってもらいながら、未だに少女の名すら知らず、己も名乗っていなかったのだ。
逆もまた然りである。
「エンドーさんですね」
「いや、名で呼んでくれて構わぬ。左門でよい」
「お名前が家名の後ろに来るんですか?」
「うむ。そうじゃ」
「わかりました。サモンさんですね。それおと、ローニンというのは……」
「主を持たぬ侍の総称じゃな。まあ、主を持たぬ時点で厳密には侍ではないがの」
左門の言う通りである。主を持たぬ侍は侍ではなかった。腰に刀を差しているのは、仕官先を探すのに必要であろう、と単に見逃されているだけのことなのだ。
その証拠に、浪人を管轄しているのは目付や徒目付ではなく、庶民と同じ町奉行所だった。
町道場の主とて同じである。社会的な信用に差はあれど、主なくば浪人なのだ。
左門の場合、若くして武者修行の旅に出た時点で、実家との縁は切れていた。勘当されたのだ。そのときから浪人であり、町道場を構え、門弟を得たとしても変わらない。
ただ、剣客としての剣名が轟いていたり、無視できぬほどの隆盛を誇る道場の主であれば、仕官の話もくるものだ。
代表格で言えば、北辰一刀流の千葉周作辺りであろうか。
一方の左門はそのことごとくを断っていたし、縁を切ったはずの実家からもすり寄ってきて、辟易したものである。
「サムライ……ですか。あっ、そういえば確か東大陸にサモンさんと似たような服装の一族がいると聴いたことがあります!」
そうなのか。それは左門も驚いた。屋台の店主が言っていたのもあながち的外れではなかった、ということだ。
(一度そやつらに会ってみたいの)
思い至ったのがよほど嬉しかったのか、ぴょこぴょこと跳ねる耳が可愛らしかった。
「まあ、侍と言っても、今や有名無実と化しておるがな。それよりも名を聴かせてもらえるかの」
「あ、はい。わたしはストレア……ストレイズです。ストレアが名前、ストレイズが家名です」
「すとれあどのだな。承知した」
「そういえば、サモンさんはどうして中央大陸に?」
気づいたらここにいた、というだけで、目的などあるはずもない。しかし、それをそのまま言ったところでややこしくなるだけだろう。
「ううむ。強いて言えば修行……かの」
「あんなに強いのに、です?」
「剣の道に果てなどないでな。極めたと思った先が必ずあるものよ。実際、魔術や法術を遣う者と手合わせしてみたいしの。すとれあどのこそ、追われておるようだが……」
左門が問うと、ストレアは笑みを引っ込め、俯いて黙り込んでしまった。
(マズイの……。下手を打ってしまったかの……)
こんな幼気な少女が屈強な男どもに追い回されるなど、深い事情があるに決まっているのだ。それは他人に聴かせるべきではないことも往々にしてある。左門は胸の裡で己の浅慮を恥じた。
「いや、言いたくなければよいのだ。人にはそれぞれ事情と言うものがある。儂とてすべてを明かしたわけではないしの」
慌ててフォローする左門。しかしストレアは意を決したように顔を上げ、口を開いた。
「別に隠すようなことじゃないんです。言ったらサモンさんを巻き込んでしまうような気がして……」
「構わぬよ。儂も追手を痛めつけておるでな。まったくの無関係というわけでもあるまい」
それを聴いたストレアは礼を言うと、己の事情を語り出す。
「あの人たちはわたしの暮らしていた、猫人族の里の人たちなんです。おそらく、実家が用意したのでしょう。目的はわたしを連れ戻すことです」
「危害を加えようというわけではないのだな」
「はい。わたしが抵抗すれば多少、手荒なことは許されていると思いますが」
追手の男たちが凶悪な目つきをしていたので、ストレアの美貌に目を付けた人買いや女衒だと思っていたが、どうやら想像とは異なる事情があるらしい。
「なれば素直に戻ったほうが……」
「絶対に嫌です!」
それはストレアが初めて見せる強い意志であった。目も据わっている。これを覆すのは並大抵のことではないだろう。
「そうか。いらぬことを申したな。すまぬ。儂は何も言わん」
「わたしこそごめんなさいです。突然大きな声を」
結局のところ、個人の問題なのである。左門が何を言ったところで、ストレアが翻意しなければ事態は変わらない。それによって利益を得るのも、不利益をこうむるのもストレア自身。であれば、他者が浅い考えで口を出すものではなかった。
「いや。儂の考えが甘かったのだ。それですとれあどの、国境を越えると申しておったように記憶しておるが、これからどこへ向かうつもりかの?」
「エウゼビア女王国に入ろうと思ってます。あそこなら遣い手の追手を出すのも難しいでしょうから」
「えうぜびあじょおうこく……とな?」
またまたわからない単語である。左門は首を傾げた。
「サモンさんたら、あんなに強いのに不思議な人ですね」
どうやらストレアは左門の無知を好意的に捉えてくれたらしく、可笑しそうに笑みを漏らしている。左門はほっと胸をなで下ろした。
「なにぶん来たばかりでな。そこらの子供より無知かもしれぬ」
かもしれぬ、どころの騒ぎではない。確実に子供よりも無知だった。が、そこら辺は矜持であろう。まさか齢100を超えた精神を持つ己が、童より無知など口が裂けても言えなかっただ。もはや意地である。
「やっぱり面白い人ですね。じゃあ、せっかくですからもう少しお話しましょうか」
ストレアは上品に微笑み、ギルドの壁に貼ってある地図の方へ移動した。