第24話 エウゼビアの王族
左門とストレアの心が真の意味で通じ合った翌日。左門たちは昼前に女王と謁見することになった。
昨晩、夕食の際にラピスから伝えられたのだ。
女王陛下への謁見はナンバーズ固有の権限であるため、基本的に断られることはない。許可が必要なのは左門とストレアを連れて行くためだ。
「儂からも話がある」
謁見ののち、ブラガを発って猫人族の里を目指す、と伝えたのもこのときである。
「そうか……」
「もとより当てのない旅であったが、せねばならぬことができた」
それが一体何であるか、詳細まではラピスもわからなかったが、猫人族の里ということは、少なくともストレアが関係しているのは明白だ。
ラピスは懸命に己の感情を押し殺して言った。
「もっとゆっくりできると思っていたのだが……。残念だ」
「なあに、今生の別れというわけでもあるまい」
「必ず会いに来ます!」
「約束だぞ」
そんなやり取りがあってから一夜が明けたわけだ。
三人は事前に示し合わせるでもなく、早朝から庭に集まった。ラピスとしてもこれが左門とともにできる、最後の朝稽古だと思うと、自然と気合が入る。
ただ、この日は素振りだけに留まらなかった。
ある程度刻が過ぎ、十分に身体が温まると、左門はストレアとラピスに立ち合い稽古を命じたのである。
ブラガまでの旅路では、中庭での稽古であったために、十分な場所が確保できなかったが、この屋敷の庭は広い上、完全なるラピスの私有地だ。誰に構うことなく動き回ることができた。
結果は言うまでもなくラピスの勝利である。得物も模造の細剣だ。とはいえ、ストレアも善戦した。仮にもラピスはエウゼビアの最高戦力の一角である。
そのラピスと善戦できるのだから、ストレアとて相当のものだ。あるいは、このままストレアがラピスと同じ年まで左門の指導を仰げば、上回ってしまうかもしれない。
躍動する二人に感化されたように、左門からは鋭い指導の声が飛んだものである。
これまでになく充実した稽古を終えると、屋敷の内風呂で身を清め、朝餉を食してからしばらくしたのち、王城へと向かう。
そしてまさに今、三人の姿は玉座の間にあった。
敷き詰められた赤い絨毯に、冗談だと思えるほど高い天井。さらには過度の装飾に彩られた玉座。
どれも左門やストレアには見慣れないものである。
その玉座に一人の女性が浅く腰かけていた。エウゼビア女王国女王である。
臣下であるラピスはもちろんのこと、左門とストレアもそれを真似て膝をつき、首を垂れていた。朝餉ののち、屋敷であれこれと作法を教え込まれたのだ。
ちなみに、左門の腰の両刀は玉座の間に入る前に衛兵に預けてある。当初、脇差だけは固辞しようとしたのだが、許可されることはなかった。それが決まりであるらしい。
江戸城とは勝手が違うようである。といっても、左門は登城したことはなかったが。
郷に入っては郷に従え、の精神で旅を続けてきた左門である。ここは素直に諦めた。
「顔を上げてください」
女王の声に従って、顔を上げる。
視線の先に映ったのは輝くような銀色の髪を持つ美しい女性であった。どうやらこの女性が女王であるらしい。かなり若く見えるが、年頃の娘を持つ身である。年齢はそれなりのはずだった。
その横には別の女性が二人控えていた。これについては事前にラピスから説明を受けている。
一人は目つきの鋭い赤髪の女。歳は還暦くらいだろうか。老齢の領域に足を踏み入れているものの、文官特有の怜悧さが感じられる。こちらが宰相のエレノアだろう。
もう一方はストレアよりも少し年上と思える女だった。髪の色から顔の造りまで女王によく似ていて美しい。言わずもがな、女王の娘――王女アリエスであった。
(随分と睨まれておるな……)
それも、憎い者を見る目ではない。何か汚いものを見下すような目だ。
聴いていた通り、筋金入りの男嫌いのようである。そのせいで、後宮入りする男が一人もおらず、王家の血筋が案じられているとか。まあ、左門にはまるで関係のない話であった。
「わたくしがエウゼビア女王国女王、アリシア・ヴァン・エウゼビアです。サモン……でしたか。ラズリ卿を救っていただいたこと、この国を代表して感謝いたします」
女王はじっと左門の方へ視線を向けて言った。さすがにこれは訂正せねばなるまい。
「御側の方に申し上げまする。らぴすどのを助けたのはそれがしではなく、こちらのすとれあにございまする」
左門にしては恐ろしく慇懃な態度だ。ラピスに釘を刺されたので、目一杯畏まってやった。
江戸において将軍への目通りが許されるのは大名と旗本だけである。直臣であっても御家人は目通りできないし、大名や旗本の家臣――つまり陪臣は論外であった。
とはいえ、どんな決まりにも例外は存在するもの。
その際、将軍と直接話すことのできない者は将軍の近くに侍る者に話しかける体裁をとるのだ。まさに「御側の方」に申し上げるのである。
ただし、アリシアにそこまでのことがわかるはずもない。言葉は直接返ってきた。
「それは失礼を。ストレア……でしたね。感謝を」
「い、いえ、そんな。わたしはなんかにはもったいないお言葉です」
「そのようなことはありませんよ。ラズリ卿はナンバーズの中でも一番の若手。次代を担う騎士です。わたくしが女王を退き、代が変わった暁には、ナンバーズ1として指名され、ここにいるアリエスの治世を守る盾となることでしょう」
まさかラピスがここまで評価されているとは。左門もストレアも、意外感が勝ってついついラピスの方を見てしまう。
「いや、決まっているわけでは……」
「ラズリ卿。あなたはもっと自信と自覚をお持ちなさい」
「はっ! 申し訳ございません」
何と言うべきか。こうして怒られているラピスの方がしっくりくる。そんなことを思うのは左門だけであろうが。
「お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」
「はぁ……」
アリシアが笑いかけると、左門はあいまいな態度で応じた。
「陛下……」
そろそろお暇いただこうかと考えていると、今度はエレノアがアリシアに耳打ちをする。
「本当によいのですか?」
「責任は私が」
内容までは聴き取れなかったが、何やら雲行きがおかしい。左門はそれを肌で感じ取っていた。
「あなた方をここに招いたのは、礼を申し上げるためだけではありません。そのお力をわが国にお貸しいただけないかと考えたからなのです」
やはりそう来たか、と左門は思った。ある意味、予想の範疇である。が、ラピスには聴かされていなかったらしく、抗議の声を上げようとする。
「陛下?」
「ラズリ卿は黙っておれ!」
「しかし!」
機先を制され、納得がいかない様子のラピス。騙された、とでも言いたげな表情だった。
「小僧。国境へ赴き、手柄を上げてこい。そうさな、帝国の将軍首でも挙げてくればラズリ卿の夫としてくれよう」
エレノア程度に小僧呼ばわりされる筋合いはない。それ以前に、命令する権限などエレノアにはないのだ。
「何を申すかと思えば、らぴすどのの意思は無視か。よほど戦力が足りぬと見える。意外に切羽詰まっておるのか? この国は」
無礼には無礼を、である。もはや敬意を払う気もなかった。
「知ったような口を利くんじゃないよ」
「話にならぬな。らぴすどのの面子を潰すようで悪いが、失礼させてもらう。すとれあどの、参るぞ」
そう言って左門はストレアの手を引いて、この場を去ろうとする。すると、エレノアは合図をするように右手を挙げた。それと同時に衛兵が殺到する。
「エレノア様!」
ラピスが抗議の声を上げるが、まるで聴いていない。
「逃げられると思うなよ、小僧が」
「サモンさん……」
ストレアは心配そうな声を上げ、左門の手を強く握った。
「案ずるな」
たちまち周囲を囲まれる。その外側では未だラピスがエレノアに対し、何か言っているようだが、まったく響いていないようだ。少なくとも、ラピスの企み出なかったことは、左門にとって救いであった。
「エレノア……何もそこまですることは……」
「陛下、こやつは男ですぞ。甘い顔を見せてはなりません」
というか、女王の企みでもないらしい。エレノアの独断なのだろう。
「そうですわ。男なんて汚らわしいケダモノ。それが妾の前に姿を見せるなんて……」
それまで黙っていたアリエスもエレノアに同調した。王族の言葉は重い。
衛兵たちがじりじりと包囲を狭めてきた。
(これは致し方あるまいな)
このまま無抵抗で捕まってやる義理はない。
「らぴすどの。突破させてもらうぞ」
「すまぬ。私のせいだ。サモンどのの好きなようにしてほしい」
「ラピス! あなたはどちらの味方ですの!」
「うっ……」
アリエスに責められると返す言葉もない。それがラピスの立場である。助力は望めなかった。
それに、逃げるにしても、まずは太刀を取り戻さねばなるまい。何せ太刀も脇差もあれしかないのだ。くれてやるには惜しすぎた。ただし、どこにあるかわからない。
そこで左門はとある策を思いつく。
「すとれあどの。自分の身は守れるか?」
「大丈夫……だと思います」
ストレアの腕前は、旅を通して相当に上がっている。左門の指導がよかった、と言えばそれまでだが、ストレア自身の努力もなかなかのものだった。いずれにしても、衛兵程度がどうにかできるほどやわではない。
「儂は少し行って参るでな。なに、すとれあどのならばこの程度どうということあるまい」
左門は軽く笑いかけると、まるで散歩にでも行くような気軽さで、衛兵の包囲に飛び込んだ。
「まかり通る!」
衛兵たちと左門とでは、たとえ太刀を遣わずとも、腕前に天と地ほどの開きがある。左門はすさまじい速度で衛兵をねじ伏せていった。
「たった二人を相手に何を手こずっている!」
狼狽したエレノアが叫ぶ。いくら優秀な文官であっても、所詮は文官。武に関しては素人なのだ。左門と衛兵の間に横たわる、埋めようのない「差」を理解できていなかった。
そうしているうちに、包囲の一角が崩れる。
瞬間、左門が跳躍した。
包囲を飛び越え、その後方にいたアリエスの背後へ回る。アリシアの方を狙わなかったのは、この事態を望んでいなかったであろうアリシアへの心遣いだ。
「お、男! 嫌っ! 汚らわしい!」
「動くな!」
嫌がるアリエスを無視し、懐から取り出した短刀を突きつける。別にここまでやる必要はないのだが、見た目にわかりやすくしたのだ。
効果は絶大だった。
衛兵たちの動きが一斉に泊まる。
「儂の太刀と脇差を持って参れ」
「なっ!」
「早く!」
そのうちに、包囲を抜けたストレアも合流した。
「こんなことしちゃって大丈夫なんですか?」
「わからぬが、先に手を出して参ったのはあちらじゃ」
左門はそう言いながらアリシアの方へ視線を向ける。
「アリエスを無事に返していただけるならば、不問にしましょう」
「だそうじゃ」
エレノアとアリエスはさておき、どちらに非があったのか理解しているらしい。
「ちっ」
エレノアは顔を歪めて舌打ちをすると、衛兵に左門の要求を呑むよう命じる。間もなく、太刀と脇差が届けられた。
左門はそれを己の腰に差す。
「儂らはこのまま王城を去る。無論、それまで王女の身柄は預からせてもらうが」
「嫌っ! 離しなさい! 殺しますわよ!」
なおも喚き散らすアリエスを、左門は無視した。
そしてそのまま玉座の間を抜けようとしたとき、凄まじい爆音が鳴り響く。
「貴様ら! 何をした!」
エレノアが叫ぶ。ただ、残念ながら左門も一体何が起こったのか把握していなかった。外で何か異変が起こっていることは間違いない。
どちらにせよ、外へ出なければならないのだ。
左門はアリエスを担ぎ上げると、走り出した。
「すとれあどの、今のうちに王城を抜ける」
「はい!」
「嫌ぁぁぁ!」
相も変わらず、アリエスの叫びは無視されるのだった。