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異世界浪人見参!  作者: 福永慶太
第1章 侍降臨編
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第1話 長寿の特典

「うっ……」


 意識が覚醒する。己の死を自覚したのちの目覚め。

 なんとも不思議な気分であった。


(ううむ。死んだと思ったんじゃが……)


 それにしては肉体的な感覚が残っている。

 死ねば身体は土に還り、魂だけの存在として冥府に渡るものだと思っていたが、勘違いだったのかもしれない。でなければ三途の川は自力で渡れ、ということか。

 いずれにしても死ぬのは初めてのことである。わからぬことは冥府の案内人にでも聴けばいい。

 そんなことを考えながら、左門はゆっくと目を見開いた。


「これは……」


 視界の先には想像と異なる光景が広がっている。まず目に入ったのは蒼い空と白い雲。

 背中には柔らかな草の感触があった。どうやら芝生の上に寝転がっていたらしい。

 穏やかに吹く風に乗って緑の匂いが運ばれてくる。

 左門は半身を起こすと、首を振って周囲の様子を窺った。


(見覚えないな)


 幾度となく廻国修行を繰り返し、日ノ本中を旅した左門である。さすがに薩摩領内には入ったことがなかったが、それ以外はほぼ制覇していると言ってよかった。

 それでも記憶の中の光景とは結び付かない。

 少なくとも初見であることは間違いなかろう。

 近くには草原と森が広がっている。やや遠くには町のようなものも見えた。さらに視線を動かすと、遥か向こうに巨大な山脈が鎮座している。

 控えめに言っても、雄大な光景だった。


(ここが極楽浄土か、あるいは地獄か……)


 生前の行いから考えれば地獄行きであるように思える。尋常の勝負という枠組みの中とはいえ、両の指では足りぬほどに人を斬っているのだ。だが、眼前に広がる光景は地獄というにはあまりに美しかった。

 それに、地獄の閻魔とやらにも会った記憶はない。悪人の巣窟たる地獄を統べているというから、よほどの手練れであるはずだ。


「手合わせ願おうかと思っておったが、そうもいかぬか」


 ぽつんと呟く左門。ここまでくるとはっきり言って狂人である。人生のほとんどを剣に捧げるというのはそういうことなのだ。と、そこで左門はある事実に気づいた。


「む。声が枯れておらぬ」


 さすがに105年も生きれば、身体中の至るところにがたがくるというもの。そうでなくとも左門の場合、常人より遥に酷使しているのだ。

 身体の節々は痛むし、関節が硬くなって肩も上げづらい。

 いかに鍛えているといっても限界があった。人の身体はそこまで頑丈にできていないのだ。

 それが特に顕著だったのは喉である。喉は鍛えることができない上、来る日も来る日も弟子を相手に声を張り上げていたのだ。潰れて当然だった。その低くしわがれた声にこそ、威厳のようなものが感じられる、とも言えるのだが。

 ところが、である。

 耳に飛び込んできた己の声は記憶にあるよりも高く、透き通っていた。違和を感じるのも無理はない。不思議に思って喉に手を当てる。


「ん?」


 喉だけではない。肌の感触もおかしかった。己の肌はもっと乾燥していたし、なにより皺だらけであったはずだ。

 視線を落として腕を確認する。


「おおっ!」


 若い。その一言に尽きた。乾燥して剥がれ落ちそうだった皮膚の面影はなく、みずみずしく張りのある肌が己を包んでいる。左門はなんだか嬉しくなって小躍りするように飛び跳ねた。膝に負荷をかけてもまったく痛まない。

 それどころか、しっかりと地面を捉え、己の想像以上の反発を見せる。久しくなかった感触だ。

 剣聖だの武神だのと崇められたところで、老いによる衰えには抗えない。豊富な経験によって裏打ちされた老練な技術によって「若さ」をねじ伏せていただけである。

 それが当たり前のようにできるからこその称号とも言えた。

 何十年ぶりだろうか。身体の奥底から無限に力が湧き出てくる感覚。まるで青年の頃に戻ったかのようであった。

 左門はしばし若返った身体を堪能するように走り回ると、急に思い出したかのように立ち止まり、腰の太刀を鞘ごと抜きいて眼前で三寸ほど白刃を覗かせる。

 鈍い銀色の刀身が陽の光を受けて反射した。


「ほう……」


 刀身に映ったのは若き日の己の顔である。もう疑いの余地はなかった。若返っている。

 不思議、としか言いようのない現象だが関係ない。

 老いた己の記憶と若い頃の身体。この二つが組み合わされば怖いものなどなかった。


「はははは!死んでみるのも悪くないわ!」


 上機嫌に笑いながら太刀を戻す。すると、突然頭の中に声が響いてきた。


『ぱんぱかぱーん!』

「何奴!」


 警戒心を露にし、腰の太刀に手をかける左門。内包した剣気を高めながら辺りを睥睨する。

 しかし、人の姿もなければ、その気配も感じられない。殺気を放ってもまるで反応がなかった。たださわやかな風が吹き抜けるばかりである。


『僕の声を届けてるだけだから、そこに実体はないよ。そんなに警戒しなくても大丈夫』

 再び頭の中で声がする。相手の言葉が真実かどうかはさておき、実体がないのは確かだ。声が届く距離にいながらにして、左門の警戒網を突破するなど不可能。だとすれば、本当にこの場にはいないのだろう。


「お主は何者じゃ」

『んーとね、神様……みたいなものかな。まあそんなことはどうでもいいんだけど、これも僕のお仕事だから。それじゃあ気を取り直して』


 ぱんぱかぱーん。


 気の抜けるような擬音のファンファーレ。

 その意味を理解していない左門からすれば雑音でしかなかったが、口を挟めば先に進まなくなる。「神のようなもの」を自称するこの声がどんな意図を持って接触してきたのか、興味があるのだ。

 左門は芝生の上に腰を下ろし、頭に直接響く声に耳を傾けた。


『100年以上生きた特典でーす! おめでとう! あなたは人生やり直しの機会を得ました!』

「やり直し・・・…とな?」

『はい、そうでーす。一回の生、一つの肉体で100年以上生きた人間には死後に特典が与えられるんだよ。それが、人生やり直しの機会。もっとも、元いた世界では死んでるからねー。違う世界で生きてもらうことになるけど』

「なぜじゃ」

『なぜってそりゃ、死んだはずの人が何ごともなかったかのように闊歩してたら不気味だし、怖いでしょ?』

「ううむ。確かに」

 ごもっともである。死んだ者は生き返らない。左門にとって、不変の真理だった。

 しかしながら、元いた世界とか、違う世界とかさっぱりである。かろうじて理解できたのは、己が間違いなく死んだということと、この声の主かもくしはそれに近い存在によって若返ったということだけだった。

 どうせ考えたところでわからぬだろう。左門は考えるのをやめた。元より文の道は早々に諦めた身の上である。そうでなければどこぞの養子や婿養子くらいにはなれたに違いあるまい。


(どうでもよいか。そんなことは)


 重要なのは己の人生はまだ終わっていないということだ。この声を信じるならば、ここでもう一度新たな人生を送れるのだから。願ってもないことである。


「それは重畳。長生きしてみるものじゃの」

『あれ? 驚かないの?』

「驚いておるとも。目玉が飛び出そうじゃ」

『本当に? ってゆーか君、面白いね。食って掛かってくるかと思ってたんだけど。ま、いっか。適応が早いならそれに越したことはないわけだし。ええと、僕たちは基本干渉しません。生前に遣り残したことをするもよし、世界を救って英雄になるもよし。ご自由にどうぞ』


 突然口調が変わったのは、それが型通りの決まり文句だからであろう。

 それにしても面白い。まさか死んだあとにこれほどの驚きが待っていようとは露ほどにも思っていなかった。


「自由……か」

『そだね。そんなに固く考えることもないよ。江戸にいたときよりほんのちょっとだけ身が軽くなったと思えばいい。その辺は世界を見て回りながら決めればいいんじゃないかな』


 急ぐことはない、ということか。

 人生は長いようで短い。

 それが左門の感覚だった。105年も生きた末の感覚であるから、説得力もある。ただし、時の流れが速く感じられるようになるのは老いてからのこと。若さを手に入れた今となっては無縁のであった。


(遣り残したことか……)


 いかに105年生きようと、すべてを満足いくまで遣り尽くした、とは言えない。剣の道は未だ半ばなのである。だが、それよりも胸の裡で強く脈動していることがあった。

 まさに「ヤリ」残したことである。

 この身体でもう一度生きることができるならばそれも夢ではあるまい。

 気づけば老いに負け、ついぞ果たすことのできなかった念願。


「とりあえず、おなごというのを抱いてみたいの」

『いやいや、105年も生きておいて筆おろしもまだなの?』

「仕方あるまい。剣の修行にかまけておったら、いつの間にか一物が反応しなくなっておったのだ」


 何とも情けない告白である。でっかいため息が脳裏に響いた。


『やぱっぱり面白いよ、君。まだまだ相手していたいけど、僕も忙しいから。とまあ、こんなところで失礼するよ。一応、しばらくは気にかけておくけど、基本は干渉しない。いいね?』

「うむ。承知した。感謝いたす。かたじけない」


 左門が礼を述べると、声はそれきり聴こえなくなった。


「摩訶不思議なこともあるものだの」


 一言で済ませるには不可思議すぎる。だが事実、こうしてここで若返っているのだから受け入れるしかあるまい。

 第二の人生の始まりである。

 となれば、まずは人のいる場所へ動くのが常道であろう。生きるには食わねばならないし、食うには金が要るのだ。金は人が集まるところにあるものである。

 旅そのものは手慣れたもの。廻国修行のような禁欲的な生活を送る必要もない。胸には希望が溢れている。


「よし!」


 左門はそう言いながら両の頬を張って気合を入れ、草原の向こうに見える町へ歩き出した。


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