第18話 剣鬼の左門
助けなきゃ!
頭で考えるよりも早く、勝手に身体が動いていました。
ラピスさんが動いたときから嫌な予感はしていたのです。
敵は変異種。それも、ランク3の魔物の変異種ですから、とてつもない強さのはずです。
もちろん、ラピスさんはナンバーズですから、とても強いのは理解しています。
それでも、このくらいで終わるはずがない、と思ってしまいました。
なぜでしょう。勘、としか言いようがありません。
ただ、ちょっと前のわたしだったら、反応することもできなかったはずです。心では危ない、と思っても、実際に身体を動かして助けに行くことはできなかった、と思うのです。
左門さんに出会ってからわたしは変わりました。
少しは強くなった、という自覚もあります。きっと、身体が自然と反応したのはサモンさんの薫陶を受けておるおかげでしょう。どれだけ感謝しても足りないくらいです。
そして何より、身体強化の法術を全開にしたまま待機していたのが幸いしました。
サモンさんのことですから、こういうことまで見越して指示したのかもしれませんね。それにしては、珍しく命令口調でしたから、わたしの勘違いかもしれませんが。
だとすれば、わたしの行動はサモンさんの望んだものとは違うかもしれません。でも、見てみぬフリなんてできるはずないじゃないですか。
こうしている今も変異種の凶刃がラピスさんに迫っているのです。
(届いて!)
わたしは念じました。いつの間にかサモンさんを追い抜き、変異種に肉薄しています。いつの間にこんなに早く動けるようになったのでしょうか。びっくりしました。
でも、そのおかげで何とか間に合いそうです。
ラピスさんに向かって振り下ろされた剣の腹――側面に思いっきり蹴りを叩き込んでやりました。
確かな手応え……足応えかな? を感じます。剣が折れ、ラピスさんに切っ先が届くことはありませんでした。
(よかった……)
心の底からそう思います。何せ、ラピスさんはナンバーズですから、こんなところで死んでしまってはいけないのです。
わたしの中に充足感のようなものが満ちていくのがわかりました。
自分自身の限界を超えるような加速をしたからでしょうか。急速に身体の力が抜けていくような気がします。
(あ……れ……?)
ふと視線の先に映ったラピスさんが何かを叫んでいました。でも、なぜか聴こえません。
なんですか? 大丈夫ですよ。ラピスさんも早く逃げてください。
そんなことを考えながら着地します。
もちろんわたしもすぐに変異種から距離をとるつもりでした。けれど、着地と同時に膝ががくり、と落ちてしまったのです。
やっぱり、力が抜けていくのは気のせいなんかじゃありません。
どうしよう。
そう思ったときには手遅れでした。わたしの目にはもう直前まで迫っている変異種の剣が見えていたのです。あ、手が四本もあるのを忘れていました。失敗です。
そこでわたしは初めてラピスさんが何を叫んでいたのか理解しました。
(わたし、死んじゃうのかな……。助けて。サモンさん……)
勝手なお願いであることは重々承知です。けど、やっぱり怖い。わたしは心の中で何度もサモンさんの名前を呼びました。
○
変異種の剣がストレアの身体を斬り裂いた。胸の中央辺りを袈裟懸けにばっさりである。
傷口が開き、真っ赤な血がストレアの身体を汚す。まるで刻が止まってしまったかのような一瞬。左門はその光景を黙って見ていることしかできなかった。
身命を賭してストレアを守ると言ったのは誰だ。自分自身ではないか。何のなぜ己はストレアが斬られているというのに何もできずにここにいるのか。
フザケルナ……。
左門はぶちギレた。強く握り締めた拳からは血が滴っている。が、まったく痛みを感じていなかった。
叫ぶわけでもなく、全速力で突進するわけでもない。静かな怒りであった。
左門はまるで散歩にでもいくかのような気軽さで変異種の間合いに入る。変異種が雄たけびを上げた。
「黙れ」
明確な殺意――。
鋭い眼光に睨まれた変異種が動きを止める。左門の身体から迸る殺気と剣気が変異種を射竦めたのだ。
信じられない光景である。
左門はそのまま悠然と変異種の前を歩き、ストレアとラピスを回収した。
「誰か回復の法術を遣える者はおらんか!」
「私がやる」
「私がやります」
真っ先に応えたのはラピスとエカテリーナだ。
「なればすとれあどののことを任す。なんとしても――」
「任せておけ。だが、あの変異種は……」
「言われずともわしが斬る。誰も邪魔をするな」
手を出そうにも、冒険者たちでは戦いについていくことすらできないのだ。ただ、背筋が凍るような思いで、左門のほうを見つめている。
言葉を発する者はいない。
強者のみに許された圧倒的な重圧。弱者は口を開くことすら容易にはできなかった。
怒りの矛先が向けられているのは変異種ではない。自分自身へ向けられたものだった。
この事態を招いたのは、ラピスたちの面子を立ててやる、という判断の誤りである。余計な気など回さずに叩き斬っておけば、ストレアが傷つくことはなかったのだ。
風に舞った木の葉が左門の身体に振れる前に弾けた。
混ざり合った覇気と剣気が左門の周囲を覆っている。近寄り難い。
あるいは左門の背後に鬼神でも幻視できるかもしれなかった。
左門にとってストレアはそれだけ特別な存在なのだ。斬られたのがストレアでなければここまで感情がかき乱されることはなかったであろう。
まだ出会ってから10日も経っていない。が、そんなことは関係ない。
「落とし前はつけさせてもらう」
瞬間、左門の身体が音もなく消えた。その直後、変異種が超音波のような悲鳴を上げる。
「ゲェェェェェ!」
同時にグロテスクな緑色の血液を撒き散らしながら、ぼとりと腕が落ちた。
ラピスもエカテリーナもストレアの回復を続けつつも、信じられぬものを見たような、唖然とした表情を浮かべている。
強すぎる。
もはやそれしか言葉が出てこなかった。
変異種と互角に打ち合っていた姿すら、力のすべてではなかったのだ。驚愕などとうの昔に通り過ぎていた。
左門と変異種。狩る者と狩られる者の立場は瞬時に逆転していた。
変異種が突如として背中を見せ、逃走の姿勢に入る。突き動かすのは本能的な恐怖だ。
本来、魔物に感情などというものはない。
好戦的な本能に従い、力の差など顧みず、突っ込んでくる。しかしながら、変異種は違った。
感情にも似た知性を持っているのである。それも変異種の強さを支える一つの要素なのだが、ことこの場面においてはマイナスの要素でしかない。
なまじ知性があるだけに恐怖を感じるのだ。
「逃がすと思うたか。おぬしはすとれあどのを傷つけた。それだけで万死に値する」
容赦、というものを知らぬ眼が変異種を射抜く。
一瞬のうちに変異種の背後へ回り込み、退路すらも断ってしまった。
逃げることすらままならない。
それが変異種の現実であった。だが、変異種とてこのまま黙って狩られる気などない。
かくなる上は、玉砕覚悟の特攻しかなかった。
「ゴォォォォォ!」
自身を奮い立たせるかのような咆哮。
変異種の装甲が再び燃えるような赤に変化した。同時に、失われたはずの腕が再生。円を描くようにして、左門の周囲を超速で動き始めた。その姿を視認することすら難しい速度である。
並の冒険者であれば己が斬られたことすらわからず死んでいくだろう。
左門は手にした太刀を納めると、左手で鞘を掴み、右手で柔らかく柄を握って腰を落とした。居合の姿勢である。
さらには目を閉じ、自ら視界を閉ざした。
「グォォォォ!」
思わず耳を覆いたくなるような大音量。おそらくは左門の集中を乱すことが狙いであろう。ただし、左門は微動だにせぬまま、変異種の仕掛けを待っていた。
しばしの空白が訪れる。しかし、それも長くは続かない。
変異種の奥の手は長時間遣い続けることができないのだ。畢竟、不利を承知で仕掛けるしかなかった。
半ばやけくそとも思えるような叫びを上げながら、変異種が突っ込む。
その刹那、左門の目がかっと見開かれた。
背後から迫る一撃を紙一重で躱し、抜刀。変異種の腕を斬り飛ばした。続けて、返す刀で反対側の腕も切り落とす。
まだ止まらない。
さらには左手で脇差を抜き放ち、間近に迫っていた三本目の剣を弾き飛ばす。そして、見もせずに最後の一本を躱す。
左門は無造作に太刀を振るい、肩口から二本の腕を切り落とした。
残されたのは、すべての腕を失い無防備となった変異種だ。
変異種が悲鳴にも似た叫びを上げ、素早く反転した。もう逃げるしか手立てがなかったのである。いつの間にか装甲の色も鈍い銀に戻っていた。
「秘剣、鎌鼬――」
左門の口から呟きが漏れる。
直後、変異種の首がぼとり、と落ち、膝から崩れて地面に転がった。
その光景を誰もが唖然とした表情で見つめていた。まるで刻が止まったかのようである。
左門は流れるような動きで血振りをくれ、太刀を鞘に納めた。静寂を取り戻した森に鍔鳴りの音が響く。
それが再び刻を進めるきっかけとなった。
冒険者たちの歓喜が爆発する。
命が助かったこと、変異種を一人で倒すような化け物がいたこと。
様々な感情の発露であった。
ところが、左門はまるで興味を示さない。一目散にストレアのもとへ駆けた。
「サモンさん、すごかったです」
幸いにして、ストレアは意識を取り戻している。ラピスとエカテリーナの法術が作用した結果であろう。
「傷は痛まぬか」
「もう平気です」
わずかに笑みを浮かべて答えるストレア。
「すまない。私たちの腕が未熟なせいで身体に傷が残ってしまった。それほど目立つものではないと思うが、年頃の少女の身体に……」
と謝罪を口にしたのはラピスであった。悔しそうな表情を浮かべ、頭を下げている。
とはいえ、致命傷とも思えるような傷だったのだ。こうして生きているのが不思議に思えるほどである。
ラピスとエカテリーナの尽力がなければストレアの命の灯火は間違いなく消えていた。それを思えば、責める気になどならない。
「案ずるな。すとれあどのは儂が貰うゆえ……な」
「へ?」
戸惑うストレアを余所に、左門は躊躇なく抱きしめた。
ストレアの顔がゆでだこのごとく、真っ赤に染まる。
それを見たエカテリーナは呆れたような表情で首を振った。ラピスはなぜか頬を染めながら、複雑そうな表情である。ただし、それに気づいていたのはエカテリーナだけだった。
結局のところ、遅かれ早かれこうなっていたのだ。
出陣前、左門が決意したのはこのことだったのだから。