第17話 変異種の力
時は少し遡る。
左門とストレアは城門前に集まった冒険者たちの最後尾に陣取っていた。別段、理由があってのことではない。ただ単純に、到着した時間が遅かっただけのことである。
というか、他の冒険者たちが早かったのだ。盛り上がった自己犠牲のヒロイズムがそうさせたのだろう。
死の可能性が高い戦いに身を投じるなど狂気の沙汰である。まともな精神状態で臨めるようなものではないのだ。この異様なまでの昂揚はその一端であると言えた。
そんな中、冒険者たちの隊列の前に二人の女性騎士が姿を見せる。
左門の視線はその騎士に釘付けになった。
(ううむ。初めて会ったような気がせんのはなぜじゃ……)
不思議に思って首をかしげる。すると、羽織の袖がくいくいと引かれた。引っ張っているのはもちろんストレアである。
「いかがいたした?」
「まさか、あのときの女性がナンバーズの一員だったなんて思いもしませんでしたね」
言いながら目を輝かせるストレア。ナンバーズという存在への憧れが垣間見える表情であった。が、問題はそこではない。
ストレアの語り口からして、一緒にどこかで遭遇しているはずなのだ。左門は何とか思い出そうと記憶を掘り返してみたが、結局諦めた。
「あのとき……。いつであったかの?」
「忘れちゃったんですか? メルンですよ、メルン。ほら、逆上した冒険者を軽くいなしてたじゃないですか」
そこまで言われて思い出した。確かにそんな記憶がある。きっ、と睨みつけられて、戦々恐々としたものだ。確か、ラピス様と呼ばれていたはずである。
「おお。覚えておる。覚えておるぞ」
「本当かなぁ……」
あれはこの大陸に降り立ってから2日目の朝のこと。まだ何もかもが手探りであった。覚えるべきことも数多あったため、覚えていなかったとしても不思議ではない。
それよりも気になるのは、物知りなストレアがナンバーズという、エウゼビアでもっとも有名な騎士の名を知らなかったことだ。
「むしろ、めるんで見かけたときにすとれあどのは気づかなかったのか?」
「わたしの読んだ本には『ラズリ卿』としか書いてなかったんですよ。もちろん挿絵はありましたけど、なんかちょっと雰囲気違うなって思います」
それならば納得である。その本がエウゼビアで書かれたものならば、多少の美化か誇張も加わっているだろう。何せ国の最高戦力なのだ。
そんな偶然に驚きつつも、冒険者の一団はラピスの副官――エカテリーナの指示によって隊列を組み直し、変異種がいるという森へ足を踏み入れていた。
森はしんと静まり返っている。その静けさが逆に不気味であった。
さらにおかしなことに、ここに至るまで一匹たりとも魔物に遭遇していないのだ。通常であれば2、3度の遭遇があってもよさそうなものだが、その気配もなかった。
「こんなことがあるものかのう……」
ここまでの旅で培った経験が、異常な事態であることを告げている。
基本的に魔物というのは山や森、廃坑など人の手の入りづらい場所に住み着く傾向にあった。草原や平野であっても、森に近い方が遭遇率は高いのだ。
現在地は黒龍山脈の裾野に広がる森の外縁部。まるで姿を見せないのは不自然言うほかなかった。
魔物については、まるで詳しくない左門であるが、魔物を動物であると仮定するとその限りではない。
野生の獣が本来いるべき場所からまとめていなくなる、というのはあり得ないことではなかった。可能性は二通りだ。
すべての個体が狩られてしまったか、あるいは縄張りを放棄せざる得ないほど上位の存在が現れたか、である。
前者はあり得ない。なぜならば、レイリアの騎士団の主力が町を離れている今、狩る者がいないのだ。冒険者も多少は狩っているだろうが、大規模な掃討作戦を展開したわけではないから、狩り尽くすことなど不可能である。
(だとすれば……)
可能性は後者に絞られる。それはつまり、変異種が近いということだ。
左門の予測は当たっていた。ほどなくして先頭から叫び声が上がったのである。
「出やがった! 変異種だ!」
その声によって、冒険者たちに緊張が走った。だが、すぐさまエカテリーナの指示が飛ぶ。
「狼狽えるな! 予定通りだ! 陣形を変えろ!」
エカテリーナが指示したのは、変異種に対し、冒険者たちが三角形を作るような形だった。いわゆる魚鱗の陣である。
変異種に近い三角形の先端部分にはいかにも屈強そうな男たちが配置されていた。全員がランク3である。手には大きな体を隠すほどの両手盾を装備していた。
冒険者たちがすべきは変異種の討伐ではないのだ。果たすべきはあくまで足止めであり、ラピスが万全の一撃を放つまで守り通すことにあった。そのための装備である。
ランク3だけあって、その辺りの判断は正しかった。
実のところ、左門もこの最前列に志願したのだが、ランク2だということを告げると、「死に急ぐことはねぇ」とか「まだ若いんだ」などと肩を叩かれたのである。
(おぬしらの倍は生きておるわ)
左門は胸の裡で吐き捨てた。しかしながら見た目は17、8歳なのだ。左門が105年を生きた身であることなど余人が知る由もない。何せまだストレアにも言っていないのだ。
言ったところで一笑に付されるに決まっていた。
そんなわけで左門は最前列から外され、中衛と相成ったのである。そのせいもあって、変異種との戦闘が始まった今でも、その姿を視界に捉えてはいなかった。
前衛の男たちが盾を構え、変異種に突撃していく。後衛の女たちは各々遠距離から魔術を放って牽制する。
それぞれが動いたことで、やや隊列が膨らみ、前方への視界が開けた。
左門は目を凝らして前方を睨みつける。
(あやつか……)
視線の先に映ったのは分厚い銀色の装甲、四本の腕に、腕と一体化した四本の剣を持つ異形の魔物であった。
元来、ソードダンサーに腕は二本しかない。もちろん、剣も二本である。ソードケルベロスが三つの頭を持つように、この変異種も似たような変異を遂げたのであろう。
しかしながら、特筆すべきは腕と剣の数ではない。その身から放出されている濃密な剣気であった。
「強い……」
左門の口から自然と声が漏れる。
これまでに遭遇したどんな魔物よりも強い。それどころか、この大陸に降り立ってから出会ったすべてのものの中でも一番であろう。それだけの重圧を放っていた。
無論、ラピスでも分が悪い。左門にはそれが理解できた。
「あれはまずいの。すとれあどのは決して前へ出るな。法術も全開にして、警戒を怠るでないぞ」
「はい!」
ストレアが間髪入れずに応える。左門から手ほどきを受けるようになって以降、身体強化の法術を禁止されていたが、久しぶりの解禁であった。
前へ出るな、と言っておきながら、それでも法術を展開させていく辺り、変異種の強力さが窺えるというものだろう。
そんな中、後衛から放たれた魔術が変異種へ迫る。中距離からも雨のように矢が放たれた。同時に前衛が変異種から距離を取る。
爆発。そして突風。
冒険者たちによる最大限の攻撃だ。
倒せないまでも、膝をつかせることくらいはできたのではないか。
そんな淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。
放たれた魔術は上の二本の剣に、降り注ぐ矢は下の二本の剣によって斬り裂かれ、あるいは弾かれてしまったのだ。何一つとしてまるで通じていない。
しかも、遠距離攻撃後の空白を狙われ、前衛の男たちとの距離を詰められてしまう。
「グォォォォォォ!」
変異種が咆哮を上げる。無造作に振るわれた四本の剣が大盾を捉え、前衛の男たちを身体ごと吹っ飛ばした。ある者は地面を転がり、ある者は木の幹に叩きつけられる。
致命傷とまではいかないものの、もう一度立ち上がって盾を構えることは適うまい。
それでも背後からはエカテリーナの声が飛んでいる。
「立て! 立って盾を構えろ!」
陣形の最後尾ではすでにラピスが準備に入っているのだ。
魔術と法術の二重詠唱。ラピスがナンバーズたる所以である。身体を酷使するため、長時間の使用は不可能だが、一点突破の火力としては申し分なかった。
ただし、ひとたび詠唱に入れば中断することはできないのだ。否、中断はできる。が、その効用は霧散してしまうのである。
こうして変異種と対峙し、戦端を開いてしまった以上、全員で逃げ切るのは不可能だった。少なくとも三分の一以上が命を落とすことになるだろう。
その上で、レイリアまでも危険に晒すことになる。
退路はない。再び二重詠唱を最初からこなす猶予をつくることもできない。
であればこそ、この一撃にすべてを賭け、変異種を打倒すしかないのだ。つらい判断ではあるが、エカテリーナの言葉は決っして間違っていなかった。
誤算があるとすれば、予想以上に変異種が強力であったことか。
ランク3は全員が戦闘不能。残るはランク2以下の中衛と後衛だけだ。しかも、後衛の魔術も弓矢による掃射も効かないときている。
変異種の狙いがラピスに切り替わった。
(ちっ。このままでは保たんか!)
もはや隊列など何の意味も持たない。左門は中衛にストレアを残し、最前線へ躍り出た。
「おぬしの相手は儂じゃ」
迷うことなく腰の太刀を抜き放つ。瞬間、凄まじい剣気が迸った。周囲に猛烈な重圧がのしかかる。これに驚いたのは中衛、あるいは後衛の冒険者たちであった。身が竦み動けなくなってしまったのだ。何が起こったのか、それを理解する者はほとんどいなかった。
ただストレアだけが、左門の無事を祈っている。
「貴様! 何をしている! 死ぬぞ!」
エカテリーナが叫ぶ。ただでさえ減ってしまった戦力を無駄に減らすわけにはいかない。
そんな思いからでた声であっただろうが、その認識はすぐに改められることになる。
「はぁっ!」
裂帛の気合と共に地面を蹴って変異種に接近、そのまま互角に斬り結んで見せたのだ。左門の実力を理解するにはそれだけで十分だった。
「ええい、他の者は下がれ! その者の邪魔をするな!」
エカテリーナは優秀である。すぐさま己の認識を改め、的確な指示を飛ばす。
このまま左門と変異種が拮抗した状態を保てば、ラピスの一撃が間に合うのだ。当初の作戦とは大幅な変更を強いられることになるが、重要なのは得られる結果。
手段を選ぶつもりなどなかった。
一方の左門は高速で繰り広げられる紙一重の斬り合いの中、変異種の実力をほぼ正確に把握していた。
傍から見れば、互角の戦いであり、両者ともに決め手に欠いている、という印象だ。ところが、事実は違っていた。左門は敢えてこの状況を作り出しているのだ。
正直、倒そうと思えば倒せた。
とはいえ、ここはエウゼビアである。その女王騎士――ナンバーズが恥を忍んでまでギルドを頼ったのだ。
ここで左門が難なく倒してしまうと、面子を潰すことになりかねない。
それがどんな事態を引き起こすか。アモラ村での一件があっただけに、あまり角が立つような事態にはしたくなたったのである。
左門と変異種の拮抗は続いた。
そしてついにラピスが準備を終える。
「そのまま敵を引きつけつつラピス様の正面へ!」
エカテリーナの声が耳に届いた。無茶な指示だが、エカテリーナもできると踏んだのだろう。左門は見事それに応えた。
カウントダウンに合わせ、立ち位置を調整、入れ替わる寸前に蹴りで腕を弾く。
「ただ一本の槍となれ! アクセラレートジャベリン!」
直後、風の魔術と身体強化の法術を同時開放したラピスが砲弾のごとく飛来した。細剣を前方に突き出し、突進する姿は、まるで鍛え上げられた槍のようである。
避けられない。
その場の誰もが勝利を確信した。
ところが、変異種にはまだ奥の手があったらしい。
鈍い銀色であった装甲が燃えるような赤へ変色。そこから蒸気が上がった。
両者が交錯する刹那、変異種は凄まじい速さで細剣を叩き落とし、身体ごとぶつかってラピスの突進を止めたのである。
武器を失い、敵前で丸腰となったラピス。
冒険者たちの脳裏に絶望の二文字が浮かんだ。
「ラピスっ!」
冷静な仮面をかなぐり捨てたエカテリーナが叫ぶ。咄嗟に身体も動き出していたが、いかんせん遠すぎた。
変異種の無慈悲な剣が、無防備なラピスに振り下ろされる。
(しくじった!)
この状況下において、面子だのなんだのにこだわっている場合ではなかった。何かあったら逃げればよかっただけのことなのだ。これは完全に左門の失態であった。
ラピスと入れ替わったために崩れた体勢を立て直し、すぐさま地面を蹴るが、間に合わない。脇差を投げても同じだろう。
「くそっ!」
万策尽きたことを示す叫びが漏れる。
それとほぼ同時に左門の背後から超速で変異種に迫る影があった。