第16話 ラピス・ラズリの戦い
ラピス・ラズリ22歳。エウゼビア女王国女王騎士団所属、第七騎士団団長。ナンバーズ7。それが私という人間を示すすべてだ。
ナンバーズに用意された9つの席のうち、7つまでもが貴族の子女によって占められているが私はその中でも数少ない庶民の出だった。今でこそ、ナンバーズ入りしたことで、貴族となり、爵位まで賜っているが。
実際、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったように思う。否、平坦ではなかったどころの騒ぎではない。とてつもなく厳しかった。
20歳という若さでナンバーズ入りしたのは奇跡としか言いようがない。
ただひたすらに剣の腕を磨き、戦果を挙げ、後ろ盾などないまま、ここまで駆け上がってきたのだから。誇れるものなど、剣の腕くらいしかなかった。
私の目から見ても、ナンバーズの称号を賜る騎士たちは強い。ただ、残念なことに全員が例外なくそうかと言えば、首をかしげざるを得なかった。
ナンバーズの影響力は侯爵ですら無視できないものがあるのだ。従って、それを己の旗下に加えたり、己に与するものが叙任されたりするよう働きかけるのは自明の理と言えた。
つまり、親の七光りや上級貴族のコネによるナンバーズ入りもなくはないのだ。
必ずしもそれが悪だと断ずることはできない。
武の名門として知られる貴族の子女がナンバーズ入りすれば、それだけでその隊の士気は上がるだろうし、国民に対する見栄えがいいのもわかる。
本来ならばナンバーズ入りすべき優秀な人材を副官につければ、大きな問題が起こることはないだろう。
だが、すべてを副官に一任し、馬上でふんぞり返っているのはいただけない。武の才がないのは仕方がないとしても、その上で努力を重ね、最低限部隊の指揮くらいは身につけてほしいものだ。
なぜ私がこんな苦言めいたことをつらつらと思い浮かべているかというと、それこそが、今回の一件の原因一端だからだった。
「ラピス様。失礼します。エカテリーナです」
「入って」
そんなこんなしているうちに、冒険者ギルドへ協力を要請しに行っていたカチューシャが帰ってきたみたいだ。
我ながら彼女には世話になっている。私の疎い部分を的確にサポートしてくれる最高の副官なのだ。しかも、同郷の幼なじみにして、王都の騎士学校の同期。
カチューシャは私の夢を支えると言って、一緒に故郷から旅立ってくれたのだ。これ以上の理解者などいるはずもなかった。
ただ、それだけに毎度きつい部分を任せてしまっているような気がしてならない。
「首尾の方は?」
「問題ありません。予定通りに」
「ご苦労様」
ナンバーズとその副官としてのやり取りはそこまでだった。
もとより幼なじみで、遠慮のない間柄だ。ひとたび公私が切り替われば上司も部下もない。それでも私は謝らずにいられなかった。
「いつもすまない……」
正直、私は不器用だし、世渡りが下手だ。自覚もある。人への頼みごとも得意とは言えなかった。結果的にカチューシャは冒険者たちに、死んでくれと依頼をしに行くことになったのだ。
「ラピスが謝ることじゃないわ。あなただって命を賭けるのだから」
カチューシャは優しく微笑んでそう言った。鉄仮面などと渾名される冷徹さなどそこにはない。22歳の女性の素顔と言えるだろう。これを知るのはごく少数でしかないが。
しかしながら、長い付き合いの私には、カチューシャが笑みの奥に隠した心配や不安が手に取るようにわかった。いや、わかってしまった。
実のところ、私が万全の一撃を放てば変異種を倒せる、というのは真実ではないのだ。正確には、倒せるかもしれない、でしかなかった。
レイリアに私以上の遣い手がいない以上、弱気を見せれば戦いにすらならずに瓦解してしまう可能性が高い。ナンバーズ、という肩書とはそういうものなのだ。
ナンバーズは平時、特定都市の治安維持と魔物の討伐を担っている。
そういう意味で、レイリアの統治を女王陛下より賜っているのは私ではない。ナンバーズ7としての私が賜っているのはメルンの統治なのだ。
メルンは王都からもっとも遠く、余所者も多いため、一番の激務であるらしい。だからこそ、一番年下で、ナンバーズ歴の浅い私が任じられたわけだ。
逆に王都ブラガはナンバーズ1、レイリアはナンバーズ3、ライトネール帝国との国境沿いの砦町エヴォラはナンバー2ととりわけ重要な都市に関しては、着任するナンバーズが決まっている。
とはいえ、ナンバーズ1こそ戦闘力や指揮能力、影響力、忠誠心などあらゆる点において優れた者が女王陛下によって指名されるため、能力主義なのだが、そのほかについてはその限りではなかった。
つまり何が言いたいかというと、レイリアを統治するナンバーズ3は単純にナンバーズ歴が長いだけの古株であり、その間特筆すべき功もない凡人。典型的なコネ貴族なのだ。
エヴォラへ向かうためとはいえ、やたらと早くレイリアを発ったのも焦りの裏返しなのだろうと私はみている。
変異種の件についてもそうだ。
レイリアに残った一部常駐兵によって、変異種の存在を知るに至ったわけだが、どうもナンバーズ3は知っていて放置していたような節があった。
逃げた、と言い換えてもいいかもしれない。エヴォラへの出兵は言い訳となったことだろう。こっちからすればいい迷惑でしかない。
私は自らの兵たちを先行させてしまったことを悔やんだ。部下たちがいれば、違った戦い方も選べただろう。が、ないものねだりをしても仕方がない。それでも、出かかったため息を止めることはできなかった。
「はぁ……」
「緊張しているの?」
「いや、そういうわけでは……」
あまりカチューシャを心配させるわけにはいかない。とっさに否定してみるが、この双肩に命の重みを感じているのは事実だった。私の一撃が通じなければ、成す術なく蹂躙されてしまう。そう考えると、背中に冷たいものが走る。
「そう気負うことはないわ。ラピスでも歯が立たないのならどうしようもない。諦めてここで死にましょう。それとも、レイリアの冒険者の中にあなた以上の遣い手がいることを期待する?」
やっぱりカチューシャは意地悪だ。レイリアを拠点とする冒険者の中に、私以上の遣い手を探すなんて、無理に決まっている。が、それはあくまで付随の冗談に過ぎない。
カチューシャは、私を信じて命を預ける、と言っているのだ。
私は昔からこういう言い回しが嫌いではなかった。カチューシャらしい、と思うのだ。久しぶりに聴いたせいか、力が漲ってくるような気さえする。
「カチューシャのおかげでうまくやれそうだ」
「ならよかったわ」
お堅いくせに暴走しがちな私と冷静でありながら常に私を信じてくれるカチューシャ。いいコンビなのではないか、という自負があった。
さて、ゆっくりしているのはもう終わりだ。戦いの支度を始めなければならない。私は勢いよく立ち上がった。
カチューシャは冒険者ギルドへ出向くため、一足先に準備を済ませているため、着替えるのは私だけ。
手早く服と下着を脱ぎ、生まれたままの姿になる。ここにはカチューシャしかいないので、恥ずかしくもない。
胸にはきつくさらしを撒いて、やや大きくて邪魔なものを押しつぶした。下は真新しいもの替える。一種のゲン担ぎだ。その上に防刃性の高い戦闘服を着こんでいく。
愛用の胸当てを身につけ、足にはグリーヴ、手にはガントレットを装備した。腰には細剣を差す。そして最後にナンバーズのみが着用を許された、王家の紋章入りに上着を羽織る。
比較的軽装なのは、長所である速さを殺さないためだ。
身が引き締まるような思いだった。
これらを身につけることによって私は本当の意味でナンバーズ7ラピス・ラズリとなるのだ。
「よし、行くぞ!」
「はっ!」
ここから先は再び上司と部下の関係に戻る。もう二度とカチューシャと気軽に話ができなんてことがないよう、変異種を屠らなければなるまい。死ぬ気など欠片もなかった。
レイリアの中心に位置する司令部の屋敷を出、冒険者たちと合流すべく城門前へ。
どれだけの者たちが無謀とも言える戦いに手を貸してくれるかと不安だったが、それも杞憂だったらしい。
城門前にはすでに100人近い冒険者たちが待ち構えていた。
「我々の要請に応え、よく集まってくれた。その勇気に敬意を表したい」
「うるせぇ。勇気じゃねぇよ。緊急クエストだ。強制だっての」
「とはいえ、貴君は逃げ出すこともできたはずだ。だが、ここにいる。それがすべてだ」
命を顧みず、死地に飛び込もうという者たちに男も女もない。皆等しく同志なのだ。
私は集まった冒険者たちを見回したのち、再び口を開いた。
「私の名はラピス・ラズリ。女王騎士ナンバーズ7だ」
少し居丈高だっただろうか。ナンバーズ7となって二年近くが経つが、未だに威厳というものがよくわからない。ちらり、とカチューシャの表情を窺う。
お咎めがないので大丈夫なのだろう。
ともあれ、私はここに集まってくれた冒険者たちの屍を踏み越えてでも、変異種を打倒さねばならないのだ。覚悟は決まっていた。
斥候騎士によれば、変異種は街道から少し逸れた森の外れにいるらしい。肩で風を切りながら、悠然とレイリアを目指している、そう報告を受けた。
変異種だけあって、高い知能を有しているはずだから、レイリアを目指すのはある意味で当然なのかもしれない。
より多くの獲物がいる場所へ。ただそれだけのことだ。実際の目的は謎だが、そんなことはどうでもよかった。魔物の事情など斟酌する必要はないのだから。
とにかくまずは変異種を捕捉しなければ話にならない。
森の近くまで移動したところで、エカテリーナの指示によって隊列が組まれる。
冒険者の指揮は早い段階でカチューシャに委譲していた。
私の役目はあくまで変異種を仕留めることだ。それ以外のことのかまけている余裕などあるはずもなかった。
森へ足を踏み入れる。不気味なほど静かだった。耳に届くのは小鳥の囀りと木々が揺れる音だけ。
死地にはほど遠い、長閑な雰囲気だ。
しかしそれも長くは続かなかった。
開けた場所まで辿りついたとき、先頭のから叫び声が響く。
「出やがった! 変異種だ!」