第13話 冒険者のランク
左門たちが執務室まで戻ってくると、館の中は大騒ぎになっていた。そこかしこから声が聴こえてくる。が、幸いにしてこの部屋に人影はなかった。
おそらく、ロミアが引っ掻き回してくれたのだろう。
声がどんどん外へ向かていることから察するに、わざと見つかって、逃げるところを目撃させているように思えた。
「ろみあどのがくれた猶予だ。見つからぬうちに逃げ出そうかの」
「そうですね。もうこんな村に用はありませんし……」
ストレアの声色はどこか刺々しかった。飯屋での一件を未だ根に持っているのだ。左門に対してあの態度にあの行い。ストレアにとっては到底許せることではなかった。
それはそれとして、いくら外に目が集まっているからといって、玄関から出て行くわけにもいくまい。
他の者たちと一緒になって、ロミアを追いかけるフリでもいいが、どこから湧いてきたんだ、という話になっては面倒である。
結局、二人は執務室の窓から館を脱出、そのまま村を発って、街道へ出た。
誰にも姿を見られていないとは限らないが、ひとたび逃げ出してしまえば捕まるようなこともないだろう。
予定よりも少しばかり遅くなってしまったが、王都を目指す旅の再開である。
「それにしてもひどい有様だったの……」
「そうですね……。二度と見たくないです。夢に出て来ちゃうかもしれません」
死体が中途半端に腐敗し、腐った骨付き肉のごとき惨状だったのだ。そんなもの、一回こっきりで十分である。
ただ、あの光景のインパクトが強すぎて、ストレアの瞼の裏に焼きついていた。夢に出てきそうだというのも、冗談ではなく割と本気である。
一方の左門は憤りこそ感じているものの、遺体に対する忌避感はそれほどでもなかった。
慣れ、と言ってしまえばそれまでだが、己が斬ったものを埋葬するときの気分に比べればいくぶんマシなのだ。
「あんなことがまかり通るのか、この国では」
「誰も気にかけないような辺境の領主だからこそ、という点もあると思いますよ。大都市ではさすがに……」
絶対にない、と言い切れない辺りは不安だが、貴族が無茶ばかりしている国というのは早々に滅びるもの。それが長く続いているということは、良識のある貴族も存在することの裏返しなのだ。
しかし、改めて考えると恐ろしい話である。
左門は己があの醜女に囚われてしまったと仮定してみた。
(うむ。間違いなく腹を掻っ捌くの)
少し想像しただけで、背筋が寒くなり、鳥肌が立つ。おぞましい、としか言いようがなかった。
左門はたまらずにストレアの方を見る。
(ううむ……。やはりすとれあどのは別嬪だの。心が洗われるようじゃ……)
視線に気づいたストレアが小首をかしげた。
「ん? どうしました?」
己はいつの間にこんな贅沢な身の上になったのだろうか。左門は改めて己の幸運に感謝した。
こうなると本気で己の身が心配になってくるというものだ。突然、とまでは言わないまでも、何らかの事故によって、人とも思えないような化け物じみた女の奴隷になってしまわないとも限らないのがこの国である。
男である限り、ついて回るリスクだった。
郷に入っては郷に従え、を旨とする左門であるが、そればかりは耐えられそうもない。
「今さらで悪いのじゃが、すとれあどのとめおと、ということにしてくれんかの?」
「あ、はい。いいですよ……って、えっ!」
あんぐりと口を開け、固まってしまうストレア。
「やはり気が変わってしまったかの……」
「いえいえ! そんなことありませんよ! なりましょう! 夫婦!」
「突然すまぬ。儂としてもあのような惨事に巻き込まれるのはごめんこうむりたいでな」
「そうでしょうとも! 任せてください!」
何を任せるというのか。ストレアのテンションがおかしい。言葉は途切れ途切れだし、むやみやたらと声を張っている。
左門は努めて気づかないフリを続けた。
ところが、いつになっても元に戻る様子がない。
意気揚々と鼻歌交じりに魔物を狩り、左門を急かすように街道を往く。
一皮むけた、とでも表現すればいいのだろうか。ストレアの活躍で、討伐クエストも早々に達成してしまった。
あとは今夜宿をとる、ファロという町まで歩くだけである。
ここでもストレアの異変は続いた。
昨日よりも多くの魔物を狩ったというのに、まるで疲れを感じさせないどころか、にやにやしながら今にも飛び跳ねそうなほど、軽快に歩いているのだ。
へとへとになって歩けなくなり、左門におぶさってメルン入りした娘と同じ人物とは思えなかった。
変と言えば変だが、別段困るようなことではない。弟子が成長したと思えば喜ばしいことだ。しかしながら、なんとなく納得がいかないのはその原因を把握しかねているからだろう。
左門は、道中必死に頭を捻ったが、ついぞ正解に辿りつくことはなかった。
それよりも早く、目的地のファロに到着したのだ。
「では早速宿を取りましょう!」
「う、うむ」
ファロ自体はそれほど大きな町ではないものの、メルンから徒歩で王都へ向かう者が最初に宿をとることが多いため、町の規模に対して宿の比率は多い。
しかも、メルンから馬車に乗った者たちはもう先へ進んでいるため、メルンほどに混雑することはないのだ。
そういった事情もあって、宿はすぐに取れた。
エウゼビア女王国に入って、初めて取る宿である。アモラ村の飯屋のように、男は外で寝な、などと言われるのではないかと思ったが、そういうこともなかった。
正確に言えば、その気配はあったのである。
明らかに宿の女主人の視線が冷たかった。
「わたしと左門さんは夫婦です!」
だが、言われるよりも早く、ストレアがそう告げたのである。
すると、女主人は左門について触れることなく宿泊を認めた。ただし、夫婦と言ってしまった手前、部屋は一つである。
これは予想外であった。というよりも、そこまで考えが及んでいなかったのだ。
(失敗したやもしれん。我慢できるかの、儂……)
心は105歳の左門であるが、身体は若い。嬉しいような悲しいような悩みであった。
昨晩もかなり怪しかったことを考えると、不安になったとしても不思議ではない。
疲れ果てたストレアが先に眠っていなかったら、悶々とした一夜を過ごすはめになっていただろう。
ただ、うんともすんとも反応しなかった生前に比べれば贅沢な悩みなのかもしれなかった。
その後、二人は部屋の鍵を受け取ると、部屋に赴いてストレアの荷物を置いたのち、一旦宿から出て冒険者ギルドの出張所へ向かう。朝受けた討伐クエストの達成報告が目的だった。
受付でギルドカードを提出し、認定を受けると、規定の金額がカードにチャージされる。その上、渡したカードが返却される際、ランクが2に昇格したことが伝えられた。
「随分早くないかの? らんくは5までしかないのじゃろ? この調子では王都に着くまでに5になってしまうと思うが……」
「いえ。ご懸念にはおよびません」
左門の呟きに答えたのは、受付嬢である。ストレアが待ってましたと言わんばかりに答えようとしたところ、役目を奪われたのだ。それが悔しかったのか、ぷくりと頬を膨らませている。
ところが、受付嬢の方はどこ吹く風。さらにすらすらと言葉を重ねた。
受付嬢曰く、ランク1からランク2への昇格はすぐだそうだ。
理由は簡単。冒険者ギルドに登録するだけでランク1なわけだから、毎日増えるのだ。必然的に、ランク1用のクエストが取り合いになる。それを防ぐため、いくつかのクエストを達成するとランクに2になれるわけだ。ある意味、ランク1はお試しのようなものだった。
一応、冒険者ギルドとしては、ランク1を初心者、ランク2を中級者、ランク3を上級者、ランク4を一流、ランク5を超一流と規定している。
ランク2から先は結構大変で、いくつものクエストを達成して実績を作り、その上で相応の戦闘力を求められるらしい。
ちなみにランク1と違ってランク2が溢れないのは、死亡率が一番高いのもランク2だからである。
初心者を抜け出した冒険者が調子に乗って己の力を見誤り、命を落とすのだ。
そういう輩はどこにでもいるものだし、よしんば生き残ったとしても、ランク2以上は望めなかった。
冒険者ランクの仕組みについて詳しくなったところで、受付を離れ、今度はクエストボードの方へ移動する。
そこで、討伐系のクエストを4つほど受け、宿に戻った。
左門にとっての試練はここからである。
今日の宿はメルンの宿とは違い、女性用だけ大きな浴場があるらしい。
「わたしだけ大浴場だなんて、申し訳ないです……」
ストレアは耳をぺたんと寝かせながらそう言ったが、左門としては、精神衛生上大浴場に行ってもらった方がいいのだ。
昨日のように布一枚隔てて……という状況は勘弁願いたかった。
さすがにそれをそのまま伝えるわけにはいかなかったが、運よくストレアも大浴場での入浴を決断してくれた。
左門もストレアの入浴の隙に部屋で有料の湯に浸かる。ついでに下帯もしっかり洗濯しておいた。
身体がさっぱりすると、久しぶりの一人きりという状況のせいか、心地の良い微睡に身を任せる。
そうしてしばらくしたのち、ストレアが浴場から戻ってきた。
例によって湯上りのいい匂いがする。
どうしておなごというのは匂い一つで男を惑わすのか。こればかりは修行を重ねても逃れられなかった。
「食堂でご飯が食べられるそうですから、一緒に行きましょうか」
左門の胸の裡などわかるはずもない。ストレアは満面の笑みである。とはいえ、断る理由もないし、腹も減っている。
軽く頷いて階下へ降り、食堂で腹を満たした。
やはり夫婦という設定が効いたのだろうか。アモラ村とは違い、左門にもストレアと同じものが用意され、床で食わされるようなことにもならなかった。
本当に既婚男性には一定の権利が保障されるようだ。
「ちゃんと扱ってもらえてよかったです」
ストレアも満足げである。
そんなこんなで夜が更けた。待ち受けているのは最大の難関である。
あとは就寝するだけなのだが、当然のように寝床が一つしかないのだ。
「すとれあどのが遣うといい。儂は床で十分じゃ」
左門はそう主張したのだが、ストレアは頑としてそれを受け入れようとはしない。
昨晩はストレアが寝てしまったために起きなかった譲り合いだが、こうなることは目に見えていたと言っても過言ではなかった。
こうなると男は弱い。最終的に折れるしかないのだ。
そんなわけで、結局枕を並べて寝ることになった。
「サモンさん。おやすみなさい」
「う、うむ……」
就寝の挨拶を交わしたのちもまるで眠れる気配がない。それどころか逆に目が冴えてきた。布団の中の狭い空間に男惑わすいい匂いが充満している。
さらには艶めかしい吐息と寝言。顔も妙に近い。
振り向けば額がぶつかってしまいそうな距離である。
(落ち着け。無念無想じゃ……)
そのまま胸の裡で念仏を唱え始める左門。その効果があってのことかは定かでないが、いつの間にか眠りに落ちていた。