第12話 領主の横暴
「はっ!」
左門は意識を失った女を半身だけ起こすと、活を入れて意識を回復させた。生前は気を失った門弟を相手によくやったものである。
「う……」
女は呻き声を上げながら、意識を取り戻し、ゆっくりと目を開いた。
「少しは落ち着いたか。あすとんとやらは治療してやった。命に別状はなかろう」
左門が言うと、女は目一杯の速さで首を動かし、アストンの方へ視線を送る。
「すまん。恩に着る……」
「儂は何もしとらん。礼ならばすとれあどのにいたせ」
「感謝する」
視線をストレアの方へ向け、素直に礼を述べる女。もうドス黒い感情には呑み込まれていないようだ。とめどなく放出されていた暗い感情の波も収まっていた。
これならば話し合いも可能だろう。
「それで、何があった? 話してくれるかの」
「承知した」
女は軽く頷き、話し出す。
「オレの名はロミア。見ての通り、竜人族だ。そっちの男はアストン。先刻承知だろうが、アストンはオレの旦那でもある」
ロミアの話は実にシンプルであった。
それなりに名のある画家であったアストンは黒龍山脈から望む風景の絵画を依頼された。それを果たすには、当然黒龍山脈に赴く必要がある。
当初、何の問題もなく進んでいたのだが、あるときアストンは魔物に襲われ、瀕死の傷を負ってしまった。
黒龍山脈は滅多に人が訪れない。
危険な魔物も生息しているし、何より黒龍の巣がある、というのが人々の足を遠ざけていた。中央大陸から西大陸へ出るには、山脈を迂回し、海沿いを行くのが一般的なのだ。
本来ならば助かる見込みはなかった。
ところが、である。
滅多に縄張りから出ることのない竜人族が、この日に限って縄張りの外まで遠出してきていたのだ。目的は狩り。
彼らから逃げるため、魔物たちが殺気立っていたのである。アストンはそれに襲われたのだ。そう考えればこれは必然だったのかもしれない。
とにかく、獲物を追い山脈を駆けていたロミアが瀕死のアストンを発見したのだ。それはまったくの偶然だった。
黒龍山脈にある、竜人族の里へ連れ帰ったのも気まぐれである。
自分だけ成果がないのも腹立たしかったので、獲物の代わりに拾っただけなのだ。
ともあれアストンは里で手厚い治療を受け、奇跡的に一命をとりとめたのである。とはいえ、重傷であることに変わりはない。
アストンはしばらく竜人族の里で世話になることになった。
もちろん、習慣の違いには大いに戸惑ったものの、慣れてしまえばどうということはない。人というのは慣れるのだ。
里に溶け込むのにそう時間はかからなかった。
そして、ある程度傷が治った頃、アストンは恩に報いるため、絵を描くことにしたのである。
送る相手はもちろんロミアだ。何せ、あの場から自分を助けてくれたのはロミアなのだから。
繰り返しになるが、アストンは画家である。それも無名の駆け出しではない。絵画に興味のある者ならば名を聴いたことがある程度には売れているのだ。
完成した絵画を見せられたロミアは一瞬にして引き込まれた。
竜人族自体、あまり芸術への関心がない種族なのだが、関係なかった。
この男を人族の里へ返したくない。
そんな思いがロミアの中に生まれたのである。
そこから先はあっという間だった。アストンはすでに里に受け入れられていたし、ロミアも竜人族としては年頃。種族の違いなど気にすることもなく、誰もが二人を祝福したものだ。
実のところ、アストンも下心があってロミアに絵をプレゼントしたのは内緒である。
こうして、竜人族の里で婚姻を交わした二人。そのままずっと里にいられればよかったのだろうが、アストンには心残りがあった。
依頼されていた絵画の件である。
死にかけたとはいえ、それはアストンの都合だ。納期に関しては緩いものの、このまま放棄するのは画家としての矜持が許さなかった。
そんなわけでアストンは必ず戻る、と約束し、一旦里を出たのだ。
それから半年ほど経って起こったのが今回の件であった。
婚姻に際して、ロミアはアストンに自分の鱗を何枚も重ねてから削り出した指輪を贈っている。
この指輪を砕くことでロミアがアストンの居場所を察知できるのだ。それがあるからこそ、ロミアは里でアストンの帰りを待つことができた。
しかしながら、三日ほど前、ついにアストンの指輪が砕かれる気配を感じ、ここまで乗り込んできたわけだ。
「なるほどの」
話を聴き終えると、左門は大きく頷いた。少なくともロミアが悪人でないことは間違いなさそうだ。
「ということは、そこに転がっておる醜女が領主か」
「そうだ。オレのアストンを監禁してやがった」
ロミアは砕かれた指輪の気配を頼りにここまで来たのである。
押入り、領主を脅し、ここまで案内させ、牢の中で鎖に繋がれ、今にも死にそうなアストンを見てキレた。否、アストンの身に何かあった段階からキレていたわけだから語弊がある。正確には爆発した。
その結果がこれだ。詳しい過程についてはロミアも知らなかった。
「それは一方的に領主様が悪いですね」
と言ったのはアストンの回復を終えたストレアだ。珍しく怒りの感情が見て取れる。頭の上に乗った耳がぴんと逆立っていた。
「この醜女があすとんどのを我がものにしようとしたか。だとすれば、他の遺骸は……」
アストンと同じ境遇の上、ついぞ助けが来なかったのだろう。なんともやりきれない話である。
「その女は絵の依頼者だったんだ……」
「アストン!」
言いながらアストンが牢の中から出てくると、ロミアは歓喜の声を上げ、涙を流して勢いよく抱き着いた。が、やせ細ったアストンが受けきれるはずもなく、二人揃って転倒する。
「痛いよ、ロミア」
口ではそう言うものの、アストンの表情は晴れやかだ。床の上に倒れ込んだまま、ロミアの頭を撫でている。
「画家として評価してもらってると思っていたんだけど、どうやら違ったようだね」
「そんなことはいい! アストンが無事に生きていることが何より大事だろう!」
わんわんと泣きながらロミアが叫んだ。
「よしよし、ロミア。ごめんよ。寂しい思いをさせたね」
アストンは慈しむような表情でしばらくロミアを撫でたのち、左門の方へ視線を向ける。
「他の牢の人たちが死んでいくのはさすがにつらかったよ。昨日まで言葉を交わしていたはずなのに、突然動かなくなるんだ。しかもそれが腐っていく。もう二度と体験したくないね」
「アストン……」
曰く、この醜女は他人の男を捕らえ、いたぶるのが趣味であったらしい。品性下劣ここに極まれり、である。見た目だけでなく、心まで醜いようだ。救いようがなかった。
「せっかくもらった指輪もダメになっちゃったし」
「そんなことはいい。指輪なんてまた作ってやる」
「ありがとう。やっぱり僕はロミアのそばにいるよ。絵なんて竜人族の里でも描けるし、何よりあそこはいいひとばかりだからね」
ストレアは仲睦まじいアストンとロミアのやり取りに目を輝かせている。
「いずれにしても、お主は長い間ろくに飲み食いしておらぬのであろ? 柔らかいものからゆっくり食べるのだぞ。この村の飯屋で男に出す豆なんぞいいかもしれぬな」
笑いながら左門が言うと、ストレアに睨まれてしまった。
「冗談じゃ」
ともあれ、冗談では済まないこともある。
どれほどに救えない外道であったとしても、この醜女がアモラ村の領主であるという事実は動かないのだ。
メイドがあれだけの勢いで助けを求めていたわけだから、そろそろ館に人が入ってきていてもおかしくはないだろう。少なくとも騒ぎにはなっているはずだった。
いかに醜女の所業が許されぬものであったとしても、ロミアが加えた制裁は見逃してもらえないだろう。
今この瞬間に踏み込まれては、まずいのだ。
「ううむ。どうするか……」
「悩むことはない。どうせすべてはオレがやったことだ。強行突破する。その隙に脱出すればいい」
とはいえ、左門もストレアもそこまで薄情ではないし、簡単に割り切ることもできない。
「でも、それだとロミアさんたちが……」
「どうせ竜人族の里からは出ない。だからオレは痛くも痒くもないが」
「儂らの気持ちの問題じゃ。寝覚めが悪かろう」
「それなら心配しなくて平気じゃないかな。ここに捕らえられていた人たちはみんな既婚者だったし、いくら男でもこんな扱いは許されない。ここが露見すれば大きな騒ぎにはできないだろうし、僕らが追われることもなくなるよ。さすがにこの惨状を公にはしたくないだろうからね」
臭いものに蓋、ということか。そういう体質はどこに行っても変わらないらしい。
「まあそういうことならばお主らの言葉に甘えようかの」
「本当にいいんですか?」
「ああ。お前らには世話になったからな。せめてもの礼だと思ってくれ」
そう言ってロミアは満足に動けぬアストンを背負う。
「僕が言うのも何か変だけど、もし黒龍山脈来るようなことがあったら、ぜひ竜人族の里に寄ってね。歓迎するよ」
アストンが言うと、ロミアも大きく頷いた。
「承知した。必ず寄らせてもらおう。では、それまで達者でな」
「お幸せに、です」
「ではな」
ロミアは短く別れを告げると、扉を押し開け、階段を上へと登っていった。
「あまりゆっくりもしておれんでな。儂らも続くとするか」
「はい。ロミアさんたちの厚意を無駄にはできませんからね」
直後、ストレアがキャンドルファイアを発動し、二人も階段を駆け上がるのだった。