第11話 地下の戦い
アモラの領主館は村の最奥――やや小高い丘の上にあった。メイドが来た方角に目を向ければ、それらしい建物が見えていたのだ。左門が逡巡する間もなく走り出したのはそのためだった。
「領主の館が襲われたというのに、やけに静かではないか?」
「確かにそうですね。騒ぎになっている様子もありませんし……」
ストレアは左門のすぐ脇を走りながら、小首をかしげる。
出だしで遅れたストレアであったが、身体強化の法術を遣い、すぐさま左門に追いついたのだ。
「殺気や気配がしてもよさそうなものじゃが。襲撃者の腕があまりに未熟か、あるいは力を振るうまでもないほどか……」
「もしかしたら、まともに戦えるような騎士はみんな国境に送られてしまったのかもしれません。実際、メルンもそうだったみたいですし」
「なるほどの。確かにありそうじゃ」
それは当たっていた。極少数の騎士をだけを残し、精鋭たちはみな一足先に国境へ向かったのだ。アモラ村の領主は女爵であるから、それに見合っただけの兵役を負っているのである。
ただ、左門としては当の本人が領地に残っていることに違和感を覚えるのだ。とはいえ、ここは江戸ではない、と割り切って思考から追い出した。
「ここか。邪魔するぞ」
手入れの行き届いた庭を抜け、館の玄関先に辿りつくなり、左門は躊躇なく扉に手をかけた。
「勝手に入っちゃまずいですよ」
一応、ストレアが制止するも、まるで意味がなかった。どうせ緊急事態である。多少のことは目を瞑ることにした。
重厚な両開きの扉を開け、中へ。ぱっと見たところ、争ったような痕跡や血痕の類は見当たらない。
「やはり静かじゃの……」
「はい。もう逃げちゃったんでしょうか」
「まあ、儂らで議論しても仕方あるまい。適当に見て回るとするかの」
まるで己の家であるかのように、遠慮なく歩き回る左門。逆にストレアは玄関口に立ったままである。
別段、保身を考えている、とかではないのだが、なんとなく躊躇いがあったのだ。これが普通の感覚であろう。
そんな中、左門が何かを発見したようで、しきりにストレアを呼んだ。
「すとれあどの」
「はい?」
呼ばれれば中に入るのもやぶさかではない。結局のところ、きっかけが必要なだけなのだ。
左門が呼んでいたのは二階へと続く半円状の階段の裏側だった。
「メイドさん……ですね」
ストレアの目に映ったのは、尻もちを着いた状態で動けなくなったメイドである。恐怖にひきつったような表彰が印象的であった。
「先ほどから声をかけておるのだがな。一向に返事がないのだ」
「サモンさんを怖がっているだけでは?」
ただでさえ、賊が押入った直後である。見知らぬ男が館を闊歩していれば、恐怖も感じるであろう。
「いや、見つけたときから腰を抜かしておったぞ」
「いや、そういうことじゃないんですけど……」
ストレアは一つため息を吐くと、メイドの方へ視線を向けた。
「あの、わたしたちは館の様子を見に来たんです。あなたの同僚が村まで知らせに走ってくれましたので」
「うむ。儂らは賊ではないぞ。安心いたせ」
「それじゃあ余計に怪しいじゃないですか」
そんな気の抜けるようなやり取りが効いたのか、メイドの震えが止まる。
「あの……本当に賊の仲間では……」
「違います。必要ならやっつけますよ? サモンさんが」
「儂か? んん、まあそうだろうな」
いくらスパルタ指導の左門とはいえ、実力も手の内もわからない相手に弟子をぶつけるほど無謀ではなかった。
「それで賊がどこに行ったかわかります?」
「し、執務室……」
言いながらメイドは一階の奥を指さした。どうやら、領主の執務室は一階であるらしい。
「わかりました。私たちは行きますね」
ストレアは何か腑に落ちないものを感じながらも、メイドの指さした方へ足を踏み出した。
「すとれあどの。何かきになることでも?」
それを察した左門が声をかける。
「執務室が一階、というのがどうにも。普通は二階だと思うんですが……」
「ううむ。確かに。地位ある者というのは、高い場所を好む傾向にあるやもしれぬ。ただまあ、あの女中が偽りを口にする意味もなかよう」
「そうですね。まずは行ってみましょう」
二人は速足に奥へと進んでいく。
しかしながら、ここまで来ても殺気どころか、気配も感じない。どう考えてもおかしかった。
とそのとき、無残にも扉が破壊された部屋が二人の視界に飛び込んでくる。
ここが執務室なのだろう。説明は不要だった。
左門は身振りでストレアを制止すると、腰の太刀に手をかけたまま、執務室へ飛び込む。何者かが襲い掛かってくればすぐさま迎撃できる体勢だ。
ところが、否やはりと言うべきか。
執務室にも人の姿はない。
「逃げた、ということかの……」
呟きながら安全を確認すると、ストレアを手招きする。
「誰もいませんね……」
しかしながら、ここで何かがあったことは確かだろう。それは入り口の扉からして明らかである。
部屋の中は無造作に散らかされているが、窓は閉まっていた。そこから逃げたわけではなさそうである。
「サモンさん。あれ……」
「どうした」
ストレアの声に導かれるようにして視線を向けた先に、異変はあった。
壁際の本棚の脇に、わずかな空間が顔を覗かせていたのである。ちょうど人が通れるくらいの隙間だ。
「隠し通路……ですかね?」
「確かめよう」
左門は躊躇うことなく隙間へ身をねじ込む。
その先に続いていたのは地下へと伸びる階段だった。灯りがないため、先が見えない。どこまで続いているかもわからなかった。
どう考えても意図的に隠してあったものだろう。
「どうです?」
「階段じゃな。ちと暗いが下へ伸びておる」
ストレアの声に応えると、左門は目を閉じてその先の気配を探った。
(わずかだが、殺気が漏れておる……)
左門ほどの手練れが読み違えるはずもない。館を襲った下手人はこの先だ。となれば、危険が待っている。
「どういたす? すとれあどのはここに残るか?」
敵の実力は未知数。もし仮に左門に匹敵するほどの強者であれば、いざというときストレアを守れるとも限らないのだ。
「いえ、わたしも行きます」
ストレアは躊躇うことなく答え、隙間からこちら側へ身を滑り込ませる。ストレアがその気であれば、左門が無理やり止める謂れはなかった。
「このための一階だったんですね」
「そういうことだろうな」
小さく言葉を交わしながら階段を降りていく。本棚の隙間から差し込んでいたわずかな光もやがて途絶え、完全なる暗闇が空間を支配した。
「暗いですね。火、つけましょうか?」
火、とは明りのことだ。魔術が苦手なストレアであるが、火属性の適性はある。小さな明りを指先に灯すことくらいは可能だった。別に放火するわけではない。
「いや、何が待ち受けておるかわからぬ。不意打ちを避けるためにもやめておこう」
灯りは確かに辺りを照らすが、同時に己の居場所を示す目印になるのだ。近くだけを見るために、遠くの者に居場所を教えてしまっては、不可避の不意打ちを受けることになる。
「わかりました。わたしは暗くともそれなりに見えますから、先導しますね」
「頼む」
猫人族のストレアは夜目が利く。左門はストレアに先導を任せ、闇に目を慣らすことに集中した。
どれほど下へ進んだだろうか。
螺旋状の階段をしばらく降りると、不意に悲鳴が聴こえてきた。ストレアの肩がびくり、と跳ねる。
悲鳴は女の声だった。涙と鼻水が混じったような汚い悲鳴である。耳に届くだけで胸の裡を引っかかれたような不快感を覚えた。
続いて別の声がもう一つ。
はっきりとは聴き取れなかったが、こちらは何かを叫んでいるようだ。明らかにキレている。恨みやつらみ、憎しみのような暗い感情が嫌でも感じられる。
左門は震えるストレアの肩をポンと叩くと、身体を入れ替えて前へ出た。
「もう目も慣れた。ここから先は儂が前を行こう」
「お願いします」
そこからさらにしばらく降りると、ついに階段の終着が訪れる。随分な深さだ。
「あそこだな」
「みたいですね……」
終着点の先に広がるわずかな通路。その突き当りには扉があった。そこから光が漏れている。
もちろん、悲鳴と怒声は断続的に聴こえていた。歩を進めるたびに、大きく、はっきり聴こえてくるようになったのも間違いない。その発生源はこの扉の向こう側だ。
「ゆくぞ。覚悟はよいな」
「……はい」
ストレアは一拍置いて、深呼吸をしてから頷く。左門はそれを確認すると、扉を蹴破って中へ飛び込んだ。
一瞬、光で視界が白く染まった。だが、気配は確実に感じている。
扉の先に広がっていたのは異様な空間だった。
やや広い真四角の空間の両面に鉄格子で仕切られた檻、というか牢のようなものがある。その檻の中には半分白骨化した死体が無造作に転がっていた。
そして異臭。人の肉が腐る臭いであろう。
思わず鼻を押さえたくなった。
そんな空間の中央に二人の女の姿がある。一方がもう一方の女を押し倒し、馬乗りになって顔面を殴りつけていた。
片方は外套を身に纏い、フードをかぶっているため、顔を窺い知ることはできなかったが、襲撃者であることは間違いなかろう。
もう片方はよく肥えた巨漢であった。
鼻が潰れ、血が飛び散り、悲惨なことになっているが、まだ息はあるようだ。顔の方はもともと不細工だったと思えるが。
肥満体に無駄に着飾った衣服。こちらが領主であろう。
「よくもオレの旦那を! アストンを!」
外套の女は左門たちの侵入にも意を介さず、ただひたすらに拳を振り下ろしていた。
まるで事情がわからない。
この女を止めた方がよさそうなことは明白だが、果たして本当にそれでよいものか。左門は迷いながら牢の方へ視線を向ける。
「サモンさん。牢の中に男の人が……。まだ生きてます」
「それは真か!」
こうなれば賭けである。
「その男があすとんであろう。放っておいてよいのか。まだ生きておるが、放っておけばじきに死ぬぞ」
反応があった。馬乗りになっていた女がゆっくりと立ち上がり、左門の方へ振り返る。
「なんだてめぇ!」
後ろ姿ではわからなかったが、この外套に雰囲気、間違いない。渡し船で一緒になった女であった。振り向きざま、目深にかぶっていたフードが取れる。
そこから覗いたのは、頭から生えた角とわずかに鱗の残る肌だ。二本ある角の片方は半ばから折れていた。
「亜人か?」
「竜人族です! 初めて見ました」
ぎろり、と竜人族の女が睨む。敵意と殺気を隠そうともしなかった。
「誰だ。オレの邪魔をしに来たのか」
「領主の館が襲われた、と聴いての。様子を見に参ったのじゃ」
「邪魔するならば貴様も殺す!」
噛み合ているようで、わずかに噛み合っていない会話。
「まあまあ、落ち着け。アストンとやらは手当てしてやるゆえ、事情を話してみぬか」
「うるさい! 回復法術も遣えないオレではもうアストンを救えない!」
発狂しかけた女は足元に転がっていた肉団子を蹴り飛ばし、凄まじい殺気を放つ。完全に左門を敵と認識したようだ。
さすがにこれは少し叩いて黙らせねば、話をすることもままなるまい。
「サモンさん?」
「すとれあどのはあすとんとやらに回復の法術を」
「わかりました!」
応えるや否や、ストレアが動き出す。
「少し痛いやもしれぬが我慢いたせよ。お主が蒔いた種だ」
左門が言い終えるよりも早く、竜人族の女は地面を蹴って仕掛けてきた。
「死ねぇぇぇ!」
竜人族の武器はその強靭な肉体と固い皮膚。そして、鉄をも斬り裂くと言われる爪である。
左門は紙一重で女の振るった爪による一撃を躱した。勢い余った爪が石でできた床を軽々と引き裂く。
「なんとでたらめな……」
あの爪は脅威、それを一瞬で理解する。冷静さを失っているものの、動きも早い。それでも左門は体捌きのみで連続攻撃をひらりと躱し、すれ違いざまに拳を叩き込んだ。
しかし、帰ってきたのは巨岩でも叩いたかのような重い感触。
顔はそれほどでもないが、身体の方は鱗の面積が多いらしく、打撃の効果は薄かった。だからと言って、むやみやたらにおなごの顔を殴りつける気にもならない。
別段、この女を罰しようとかいうわけではないのだ。
さすがに太刀を抜くかと思われたが、左門はその素振りさえ見せなかった。
迫りくる爪を最小限の動きで躱し、腕を取って一瞬のうちに関節を破壊する。女の右肩が外され、だらりと下がった。
皮膚は固くとも関節まではその限りではないらしい。
ところが、その程度で止まらなかった。あるいはもはや痛みなど感じぬのかもしれない。極度の興奮状態は痛覚を著しく鈍らせるものだ。
だとすれば、肉体的に動けぬようなダメージを通すしかない。
(できればこれは遣いたくなかったが、致し方あるまい)
竜人族というからには人族よりも丈夫であろう。
左門は初めて自ら前に出た。
「手加減はする。耐えろよ」
女の腕を弾いて爪を無効化し、そのまま懐へ潜り込む。そして、へその辺りに掌底を叩き込んだ。相変わらず返ってくるのは岩を叩いたような感覚。だが関係ない、左門は密着した掌に円運動を加えながら気合を放った。
「はっ!」
その瞬間、女が膝から崩れ落ち、意識を失った。
左門が放ったのはいわゆる発勁であった。直接体内にダメージを与えたのだ。どんなに身体を鍛えたところで、臓物までは鍛えられない。それは亜人でも同じだったのである。
「とりあえず、これで話ができるかの」
ぽつねんと呟きながら、竜人族の女を見下ろす左門であった。