第96話 ライトネールの胎動
「なんじゃと! それは真か?!」
リタからの念話を受け取った左門は驚きのあまり声を上げてしまった。しかしながら、左門自身が念話を使いこなしていないために、リタからの反応はない。
代わりに反応したのはサラであった。
「どうかしたんですか?」
木刀を振る手を止め、不思議そうに首をかしげている。サラには念話が聴こえないわけだから当たり前の反応だ。
「うむ……。りたどのから繋ぎがあってな……」
「もしかして教皇猊下ですか?」
「そうじゃ。どうにも西大陸に魔族が侵攻したらしい。詳しいことはまだわからぬが、いずれにしても儂らが動かねばなるまい。そのための救世主でもあろうしの。仮とはいえ」
本当の意味で魔族を倒せるのは、左門と棗が揃ったときだけである。どう考えてもこのままクライン武王国に留まり続けることはできなかった。
「帰ってきてくれますよね?」
「そのつもりじゃ。屋敷まで普請してもらったのじゃからな」
左門はそれだけ言うと、サラに別れを告げ、王城をあとにして屋敷への帰路を急いだ。本来ならば、同じく王城にいるはずのアリエスとラピスも連れ帰りたかったところだが、二人を探して駆け回るのも手間である。
ために、言伝を頼み、一足先に帰路へ就いたのだ。
その間にも、リタからの念話は続いていた。
曰く、西大陸はすでに殺到した魔族の手によって滅ぼされたらしい。残念ながらその詳細は不明だ。
そもそも左門には西大陸の知識など皆無。屋敷で合流したのちに詳しいことを聴くしかなかった。
「詳細を頼む」
左門は屋敷に戻りなり、共用スペースとなる食堂に顔を出した。すると、案の定居残り組が揃っており、浮かぬ表情で何やら話し合っている。
「サモンもリタの念話を聴いたのね?」
「うむ。西大陸が滅ぼされたと聴いた」
「なら話が早いわ。それで、残りの二人は?」
「一刻も早く戻るべきだと思ってな。言伝だけ頼んでおいた。いずれ戻ってくるじゃろう」
クライン武王国ほど魔族に苦しめられた国はない。対応は早いと思えた。
「今回の件はアリエスさんとラピスさんも当事者みたいなものですからね……」
「どういうことじゃ?」
左門が問うと、棗はやや驚いたような表情を見せたのち、口を開く。
「地理的な話です。西大陸から一番近いのはエウゼビア女王国かアストラ=ヴィズ都市同盟領です。けど、西大陸で一番大きな町はかなり北寄りにありますから、そこを拠点とするとなると次に狙われるのはエウゼビア女王国になるのではないかと」
棗の言うとおりである。さらに付け加えるとするならば、黒龍山脈の裾野に広がる大森林は戦略的価値の低い地域である。アストラ=ヴィズ都市同盟領であるのは確かだが、大きな都市は存在しない。
それに比べて、エウゼビア女王国王都ブラガを落とせば大きな収穫になった。大国の一部であるエウゼビアの陥落は大陸中に大きな影響を与えることは想像に難くない。
「それにしてもまさか西大陸とはな……」
「完全に裏をかかれたわ」
魔族を操っているのは間違いなくイングリットである。その思考が読めなかったことが相当に悔しかったらしく、二柱は唇を噛んだ。
「過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。それよりも、なぜ魔族は西大陸を選んだ? 奇襲を仕掛けるならば直接えうぜびあを狙った方がよかったのではないか?」
王城から屋敷へ戻るさなか、左門が疑問に思っていたことだ。
実際問題として、初手からエウゼビアに魔族が雪崩れ込んでいたならば、相当厄介なことになっていたに違いない。
左門の立場上、女王でも人質に取られてしまえば、打てる手はかなり限られることになるのだ。
「恐らくだけど、橋頭保を作りたかったんじゃないかしら。イングリットが逃げたのは大陸からずっと離れた海の向こう。それこそ世界の果てのその先よ。手駒の魔族を送り込むにしても相当な手間がかかるはず。だからこそ、比較的備えの薄い西大陸に拠点を確保して、頭数を揃えてから中央大陸へ侵攻する。そんなところだと思うけど」
「あるいは、魔物を現地調達しようとしたか、だな。普通の魔物ならば大して役にも立たないが、魔族の手によって変異種となればそれなりの戦力になる」
「え? 変異種の発生って原因は魔族なんですか?」
一般的に変異種の発生は先祖返りだとか、瘴気を大量に浴びることが原因だといわれているが、その真相は定かではないのだ。しかも、ランクの低い魔物にしか発生しないものだと思われていたが、レイリア近郊にソードダンサーの変異種が現れたことで通説もひっくり返されていた。
「ランクの低い魔物であれば自然発生することもあるわ。でも、強力な個体になればなるほど発生しなくなるの。でも、魔族に瘴気を注がれると……。まあ、個体が耐えられないってこともあるから、必ずってわけではないけれど」
変異種の強さ、そして恐ろしさは身をもって体験している。魔族を中心とした戦力に変異種が加わるとなれば苦戦は必至であろう。
不意を突かれた感は否めない。が、今はとにかく状況に対応するしかなかろう。
「ううむ。ここで論じても埒が明かぬな。どうあってもぶらがは守らねばならん。おい、るふぃな。ありえすどのとらぴすどのが戻り次第、ぶらがへ飛ぶぞ」
「はぁぁぁ? テメェェェに命令される覚えはねぇ!」
こんな事態にもルフィナは揺らがない。肝が据わっているというか、ネジが飛んでいるというか、ある意味頼もしくもある。
「はいはいフィーナ、ワタシからお願いするから」
「わかりましたですぅ」
そんなやり取りをしている間にアリエスとラピスが屋敷に戻ってきた。
「サモン様? 屋敷へ戻るように言われましたけれど、一体どうしましたの?」
「私も姫様と同じだが……」
「説明はあとじゃ。今からぶらがへ飛ぶ。そこで話した方がよかろう」
珍しく神妙な面持ちの左門を前に二人は口を噤んで頷いた。嫁たちと左門の信頼関係を鑑みれば聴く必要もない、といったところか。
ともあれ、左門一行はルフィナの力を借りてエウゼビア女王国王都ブラガへと飛んだ。
一行が転移したのは白の目の前だった。
「き、貴様ら何者だ!」
門の警護を担う騎士たちが突然現れた一行に驚きつつも誰何する。ただでさえブラガは緊張状態であろうから、当然の反応だ。
しかし、不審者ではないわけだから慌てる要もない。
「どこを見ている。姫様のご尊顔を忘れたか」
ラピスが言うと、騎士はラピスとアリエスの顔を交互に見たのち、急に背筋を伸ばした。
「し、失礼いたしました! アリエス様、ラピス様! お通りください」
「悪くない対応ですわ。励みなさい」
「はっ!」
騎士は恭しく頭を下げ、一行を見送る。
城はそのままの意味でアリエスの我が家だ。左門たちはアリエスの背に従って女王のもとへ赴いた。その間に現状について軽く説明しておく。
「女王陛下。アリエスですわ」
「アリエス? まさか戻ったのですか? こんなときに……」
「はい。こんな時だからこそですわ。サモン様がいなければどうにもならないですもの」
言いながらアリエスは執務室の扉を開けた。
「どうして……」
驚きで女王の目が点になっている。あまりにタイミングが良すぎる、ということだろう。
「クライン武王国から転移してきましたの。西大陸が魔族に滅ぼされたと聴いたら当然のことですわ」
「まさか……」
と、ここで初めて女王の目がアリエスの背後へ移った。
「陛下。ナンバーズ7ラピス・ラズリ、国の大事にて帰還いたしました」
「ありえすどのとらぴすどのの祖国。救わぬわけにはいくまいよ」
瞬間、女王の表情が緩んだ。
対魔族戦を現有戦力でどう乗り切りか、そればかりを考えていたところに大陸最強の戦力が加わったのだ。しかも、魔族を倒す算段までついたとなれば、多少気が緩むのも仕方あるまい。
「手を貸していただけるのですか?」
「無論じゃ。そのためにここへ参った。儂らは前線に出るが、よいか」
「お願いします。騎士たちだけでは魔族はどうにもなりません。引き受けてくださるならばそれに勝ることは――」
ちょうどそのとき、コンコンと執務室の扉が音を響かせた。
「陛下! 報告です! お目通りを!」
かなり焦っている様子が声色から感じ取れる。魔族に何かしらの動きがあったのかもしれなかった。
「入りなさい」
「はっ! 失礼します!」
執務室に入った途端、伝令の騎士は女王以外の存在に目を見開くが、今はそれどころではなかった。
「報告いたします! ライトネールが、ライトネール帝国が砦町エヴォラへの侵攻を開始したとの報です! ライトネール全戦力が集結していると」
「なんてこと……」
女王は頭を抱えた。
まさに前門の虎、後門の狼状態である。纏まりかけた抗戦案も白紙だ。
「エヴォラには周囲の都市の統治を担うナンバーズを援軍に行かせなさい。ナンバーズ2にはそれまで耐えるように……と」
国境の砦町であるエヴォラの統治防衛を担うのはナンバーズ2である。その実力は数字通りのもの。だが、数の不利は否めない。伝令が届き、援軍が駆けつけるまで保つかどうか、半々といったところだろう。
女王は苦虫をかみつぶしたような表情である。
何せタイミングが悪すぎた。
ライトネールとの緊張状態が続いていたために、つい最近までエヴォラには複数のナンバーズを配置していたのだ。しかし、魔人出現によって両国間で不可侵が取り決められ、ナンバーズを通常配置へ戻していた。
今エヴォラにいるのはナンバーズ2の騎士団だなのだ。
「承知いたしました」
伝令の騎士は女王からの支持を受け取ると、すぐさま走りだす。遠方への通信手段など確立されていない。継ぎ飛脚のように、複数の連携によって距離を埋めるしかないのだ。一刻を争う事態である。もたもたしている暇などなかった。
「ちと待たれよ」
ところが、左門は伝令を引き留める。
騎士にとってみれば、左門は王女たるアリエスの夫。圧倒的女性上位のエウゼビアであっても決して無視できる地位ではないのだ。
「何か……」
「おぬしのお役目を奪うようで悪いが、伝令はよい。対応を決めたのち、儂らの方で何とかしよう。幸い、望む場所へ一瞬で行けるでな。これほど伝令向きの力もあるまいよ」
左門の言葉を受けて、騎士は女王の方へ視線を向ける。従うべきか、とお伺いをたてるかのような視線だ。
「構いません。ここはサモンどのの言う通りにしましょう。下がりなさい」
「はっ」
女王の言葉に対して否はない。
騎士はすぐさま執務室から下がった。
「よかったんですの?」
「うむ。棗どの、るふぃな。すまぬが力を借りるぞ」
ルフィナの精霊術については言わずもがなだが、棗とて同行人数は限定されるものの、転移に近い移動が可能なのだ。
「はい。任せてください」
「テメェェェに――」「フィーナ……」
「はいですぅぅ!」
例によって反抗的な態度のルフィナであったが、リリアンに名を呼ばれると、一瞬にして態度を翻す。
「防衛策についても儂に考えがある。まずは聴いてくれんかの」
左門が言うと、一同はほぼ同時に頷いて耳を傾けるのだった。