序章 人生の後悔
(儂の生もこれで終いか。長いようで短かった……)
遠藤左門は胸の裡でぽつねんと呟いた。御年とって105歳。別段、体調を崩したわけでもないから、寿命と言うより他にあるまい。大往生である。
生まれは宝暦12(1762)年。時の将軍は10代徳川家治であった。ちょうど田沼主殿頭意次が権力を握っていた頃だ。
今となっては幕府も衰退し、討幕の機運さえ高まっている。そう遠くない未来、内乱が起こりそうな気配もあった。250年以上続いた太平の世の終焉。そこに居合わせることができぬのは心残りである。
(とはいえ、寿命ならば仕方あるまい)
思い返せば己の人生はただ剣と共にあった。
生まれは貧乏旗本の三男。継ぐべき家督もない、気ままな身。とはいえ、無駄飯喰らいであるから、肩身は狭い。唯一の楽しみは剣術の稽古であった。
そんなわけで左門は剣術にのめり込んだ。
出稽古に他流試合、果ては廻国修行までこなし、その中で他流派の指導を仰いだり、柔術に手を伸ばしたりもした。
生死を賭けて戦ううちに、足りないと感じたものを補っていったのである。
この太平の世において異端の存在であったと言えよう。
そうして、気づけば門弟3000人を抱える身。老齢に差し掛かってからは剣聖だとか、武神だとか、そんな風に呼ばれていた。それほどの腕前なのである。
仮にあと200年早く生まれていれば、一国一城の主にもなれていただろう。が、太平の世において戦で手柄を立てるなど不可能だった。しかも、これから起こり得る戦にも参加できないのだから、間が悪いとしか言いようがない。
(まあ、悪いことばかりでないか)
左門にとって弟子たちは我が子同然である。最初に取った弟子はとうの昔に亡くなっているが、それでも3000人を超える「息子」たちが次代を担っていく。それこそが、己の生きた証であった。
人生をかけて目指した、「剣の極み」に届くことはなかったが、それなりに満足している。
こうして今も己の死の際に弟子たちが集まり、涙を流してくれているわけだから、悪い人生ではなかった。
ただ、心残りが一つ。
(死ぬまでおなごを抱けんかったのはな……)
なんと左門は齢105にして童貞なのである。剣の道だけに生きてきた弊害だった。
剣の修行にすべてを費やし、色欲は己を堕落させる、と戒めてきたのだ。そして、気づいたときには「アレ」が使い物にならなくなっていた。あのときの衝撃は忘れられない。
(あの頃の儂を引っぱたいてやりたいのう……)
そう願ったところで刻は巻き戻らないのだ。
まさか集まった弟子たちも師が死の際にそんなことを考えているなど思いもしないだろう。
そんなことを考えているうちに、段々と思考に靄がかかっていく。そろそろ迎えが来たのだろうか。
薄く開いていた目がゆっくりと閉じた。
「先生!」
気づいた高弟が誰ともなく叫ぶ。
それが左門にとってこの世で聴いた最期の声であった。