梁山泊
梁山泊
多治見は少し早目に、【JITTE】との約束の二丁目交差点に着いていた。ここからラーメン五六が見える。五時前だと開店間近で、スタッフ達が忙しく動き回っていると思ったが、見ている限り、スタッフの姿も声も無く、店そのものに『活気』すら感じられない。
(今日は定休日じゃないよな)
多治見は張り込む仕草で、街路樹の陰からじっと見ていたが、背後に人の気配を感じて振り向いた。
「どうしたんですか?張り込み中ですか?」
【JITTE】がニコニコしながら話しかけて来た。
「君か。君に物言いを付けようと思っていたけど、その前に腹ごしらえしないか?」
「えっ?もうですか?」
「そこのラーメン屋に入ろう。」
多治見の視線の先を観て「五六」ですね。
「えっ?五六で『ごろく』じゃないの?」
「いいえ。『ごろう』と読みます。」
「知っているのかい?」
「勿論ですよ。新宿の十選に入る人気店ですよ。」
「でもさ、何か閑古鳥が鳴いていそうでね。」
「そう言われて見ると、この時間でスタッフの姿が見えないのは、確かにおかしいですね。」
「君は刑事みたいな事を言うね。」
「一度、言ってみたかったんですよ。」
「じゃ。行くよ。君は僕の知り合いって事で通してね。」
言い終えると、多治見が歩き始めた。後を【JITTE】が追いかける格好になった。
「邪魔するよ。」
多治見が暖簾を捌き店の中へ声を掛けた。
「いらっしゃい!」と店長の五六が返事をした。
「久し振りに来たけど、何か変わったな。」
店の中を見回して五六へ言う。
「……」
五六からは返事が無く、見ると下を向き泣いていた。
「どうかしたのかい?」
「多治見さん。参ったっす。このままじゃ店が潰れちまいますよ。」
【JITTE】を見て、「悪いが、腹ごしらえは出来そうにもないね。先に本業を済ませるよ。」と断りを入れた。
「お連れさんが――。済みません。直ぐに作ります。」
「無理するなよ。それより先に、何が有ったか聞かせてくれないか?」
「古山君。悪いけど暖簾を下げて貰えるかい。それと、入口を閉めて」
いきなり本名を言われ驚いたが、事情を察知して「オーケーボス」と砕けて答え、外へ出て行った。
多治見が店内に唯一有る、四人掛けのテーブルに着くと、五六は水を三杯持って来て、多治見の前に座った。少しして古山も多治見の横の席に着いた。
「一週間ほど前です。二十九日の昼、一時半頃に若いカップルが来て、そこへ二人並んで座りました。」
カウンターの隅の方を指して話し始めた。
「ラーメンと餃子が二つづつとライスを頼まれたので、私がいつも通りに作り、お出ししました。最初は『美味しい』と言いながら食べていたんですが、最後にスープを飲み始めたら、女性のお客さんが悲鳴を上げました。」
ここまで聞いて多治見はピンと来た。
「ゴキブリかい?」
「えっ?多治見さんもネットを観たんですか?」
「いいや。ネットに出ているの?」
【JITTE】を横目で見ると、【JITTE】はすぐさまバッグからノートパソコンを出して調べ始めた。
「はい。ゴキブリがスープの中に浮いている写真と、店の外観の写真が店名と一緒に乗っています。」
「これですね。」と【JITTE】が多治見へその画面を見せた。
「酷いなこれは」
「でもどうして多治見さんはゴキブリだと?」
「昨日、花園辺りのラーメン店が、同じ被害を被ったんだ。去年の暮れから始まったのか。」
「それで、何か要求されたかい?」
「慰謝料と保健所への口止め料を要求されたので、レジから五万円を出して渡しました。」
「何で僕に、直ぐに言わないの」
「年末の忙しい時で、お金を渡せばその場で解決すると思ったので――。スミマセン。」
「で、犯人の特徴は?」
「それが、その辺を歩いている普通の若いカップルとしか……」
「顔に特徴とか、話し方とかは?」
「客商売ですので、覚えはいい方ですが、あの二人に関しては、本当に普通の子達としか、言い様が無いんです。」
「面通ししたら分かるかい?」
「スミマセン。あまり自信が有りません――。」
石田や武本、それに森田が、人相がまちまちだと言っていた理由がわかった。平凡過ぎるのだ。だから犯人は堂々と隣の店へ入って行ける。盲点といえば盲点であった。
「古山君、誰が乗せたか分かるものかな?」
「本庁なら追いかけられるかも知れませんね。」
「五六、被害届け出せるかい?」
「はい。でも口止め料を支払ってしまいましたから……」
「君は悪い事などしていない。詐欺に有ったんだ。明日にでも、被害届けを出して欲しい。必ず警察が捕まえて詐欺を立証するよ。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
「この件、新聞やテレビのニュースにした方が、早く効果が得られるので、店側には良いと思いますが――」
古山が真面目に言う。
「そうしたいけど、今、話題にされると犯人は隠れてしまう。そうしたら別の悪戯を始めるだろう。五六には悪いけど、もう少し我慢して欲しい。」
「はい。多治見さんを信じています。全てお任せします。」
一通り話しが終わると、いつものラーメンを二つ頼んだ。古山は暖簾を出しなおし、ドアを開けた。多治見は署へ電話をした。
「ご苦労様、多治見です。課長をお願いします。」電話に出た吉田へ言う。
「多治見さんですか?」いつもの調子で萩本が電話口に出た。
「二丁目のラーメン屋でも、ゴキブリ詐欺が有りました。明日、被害届けを出すように伝えました。森田君達が日頃からやっている地域警らが、事件の早期発見に繋がりました。」
「そうだな。この勢いで、早期に犯人逮捕と送検をしたいな。」
「はい。森田君達が戻ったら、課長から伝えてください。」
「僕で良いのかい?」
「課長以外に誰がいるのですか?お願いします。」
「わかった。伝えておくよ。それでは、今日は直帰だったな。気を付けて帰ってください。」
「はっ。失礼をいたします。」
ラーメンが出来上がると、多治見はいつもと同じに、背油が大目のラーメンに、ラー油とニンニクを、これぞとばかりに掛けて食べ始めた。
「美味い!」と一言。
続いて古山も一口食べる。
「美味いなぁ」としみじみと呟く。その後は、多治見を真似て、ニンニクを大匙で一杯入れて、ラー油を数滴。そして「やっぱ美味いなぁ」と言いながら、頬張っていた。
「嬉しいです。ありがとうございます。」
五六が半べそで礼を言う。そこへ、二人の女性客が入ってきた。
「いらっしゃい!」
元気の良い五六の声に向かえられ、二人はコの字に作られたカウンターの、多治見達の対面側に座ると、メニューも見ずに「私、醤油で油少な目。麺は普通で、餃子のハーフ」と年上の方がオーダーを言う。するともう一人が「私も同じ」と五六へ伝える。
「ありがとうございます!」明るく元気に応えた。
五六が餃子を焼きながら、時間を見て麺を茹で始めた時に、今度は大柄で坊主頭の男が一人入ってきた。
「いらっしゃい!こちらでいかがです?」と五六がカウンターの真ん中を勧めたが、「こっちの方が良いです」と多治見と並びの端へ座った。
「醤油の大盛りで、油は大目にしてください。それと、餃子とライスを」
「ありがとうございます。麺の固さはどうします?」
「柔らか目で。」
「承知しました。少しお待ちください。」
広い厨房の中を一人で切り盛りを始めた。別の鍋で餃子を焼き始めてから、多治見の前にやってきた。
「旦那は福の神ですよ。この一週間は、めっきりお客さんが減っていたのに」とても嬉しそうに笑った。
二人の女性客のオーダーを出すと、また一人、男が暖簾を掃った。
「いらっしゃい!」と五六が招く。
長身で小太りの中年の男は、カウンターの真ん中に座った。
「えーと――。」
カウンターに置かれたメニューを見ながら、悩んでいると五六が声を掛けた。
「ひょっとして、なが――。白木先生ではないですか?」
店にいる客の全員に緊張が走った。
「えっ?」
「俺です。昔……。十年程前にお世話になった――」
「あー!三四五六!」
「そうです!読み方違うけど、三四五六です。」
多治見が咽て「『五六』じゃないのかい?」と訊いた。
「はい。本当は五六と読みます。」
客達の緊張が解けた。
「その内、七八九十なんて人が出てくるんじゃないか?」
多治見が冗談で言った言葉に、二人の女性客が咽て、多治見を睨んだ。
「では、店の名前も?」
古山は慌てて五六へ質問すると、「店名は『五六』です。」と頭を掻いた。
「新宿で十本の指に入るラーメン屋と聞いていたから、仕事のついでに寄ったのだが、君の店とは知らなかったな。」
【NAGARE】も間を空けずに話しを繋いだ。
「はぁ。十本はどうだか知りませんが、先生のお陰で、真っ当に商いをさせて貰っています。」
「そうか。良かったよ。」
白木と五六の話しに、今度は疑問があっちこっちで湧き始めた。
「ところで先生は何にしますか?」
「そうだな。醤油ラーメンと餃子を貰おうかな。」
「承知しました。少しお待ちください。」
そう応えると、先の客のオーダーを出し始めた。
「葬の――。寺社奉行所の連中は、ラーメンと餃子に目が無いんですよ。その内、【ZANN】が来て、今日の出席者全員がここに揃いますよ。」
【JITTE】が多治見へ小声で言いながら、最後の餃子を口に運ぶ。
「それでここにしたのかい?」
「はい。自分も食べてみたかったし、恐らく皆さんも……」
徒ならぬ多治見の形相に、【JITTE】が後の言葉を、餃子と共に飲み込んだ。
「そんな事で、署から近いここにしたのかい?」
顔は穏やかだが、怒りが篭った目で睨まれ、小さく頷いた。
「あとで話そうと思っていたけど、僕がどんな気持ちでここへ来たのか、君に判るかい?」
【JITTE】は黙って首を横に振った。
「そうだろうね。承知の上であったら、新しい獲物の試し台にしようかと思っていたんだ。」
今度は激しく首を振る。
「ここの支払いは僕が持ちますので、穏便に――。」
「随分と安い命だね。」
多治見はすっと立ち上がると、「ご馳走様。いくらかな?」と五六へ訊いた。
「あっ。ここは僕が――」そう言いながら多治見を見る。
「やっぱり割り勘で。いくらです?」
支払いを済ませ出口まで行くと、一人の女性客が店に入って来た。その客は、入口で店内を一通り見渡すと、今まで多治見達がいた、一番奥のカウンター席へ着いた。
「醤油。油、少なめ。麺固め。それと餃子のハーフ」
「ありがとうございます!」五六がその客に礼を言うと、多治見を改めて見て頭を下げた。
多治見は右手を軽く挙げて「ご馳走さま」と言って店を出た。
「まるで梁山泊だな。」
店を出て、建物の階段を登りながら言った。
「梁山泊ですか、良い響きですね」と答える。
「僕達が葬の――、殺し屋集団だとばれていたら、一網打尽だ。君は僕だけではなく、五六に居る仲間を危険に晒したと分かっているのかい?」
「えっ!その様な気はまったく有りませんでした。ただ、正月なので皆の好物を――と。申し訳ありません。安易でした。」
【JITTE】が自分の無謀さに気付き、心底反省し謝った。
「もし五六に僕達の繋がりがばれたら、五六はどうなる?」
「……」
「仲間に引き入れるか、それが駄目な時は?」
「……。本当に済みませんでした。安易で調子に乗り過ぎていました。」
「こういうのは、今回だけだ。二度目は無いよ。」
多治見の氷の様に冷たい視線が、【JITTE】の心の奥底まで刺さった。
「はい。良く分かっております。『裏切り』に近しい事をしたと、深く反省しております。」
「三階に着いたけど、部屋は?」
「こちらです。」
多治見の前に立ち、先を歩き出した。
「【SABAKI】――」
「分かってくれれば良いさ」
【JITTE】が振り向くと、そこにはいつもの多治見がいた。
「ここです。」
扉の前で止まり、鞄から鍵を出そうとしている【JITTE】へ「中に人の気配がする」と小声で言う。
「そんな筈は、鍵はこのひとつしか有りません。」
そう答えたが静かに中を伺うと、【JITTE】の顔が険しくなった。
「【SABAKI】は離れてください。私の責任で対処します。」
「手伝うよ。」
「いいえ。これは目明し組組頭の仕事ですので。万が一の事がありましたら、階下の皆さんへ、撤収の指示をお願いします。」
今までのふわふわとした【JITTE】ではなく、組頭としての責任と信念が受け取れた。
「わかった。」そう言いながら多治見は一歩退くと、コートの左袖の中へ右手を入れた。
【JITTE】が音を立てずに、鍵を鍵穴へ差し込みゆっくりと回す。鍵が外れたのを確認すると、ノブに手を掛け静かに回し、少し扉を開ける。
全神経を集中させて、中の者の位置を確認する。近くにいないと判断すると、扉をもう少し開けて、部屋の中に滑り込むように入った。
少し時間を置き、多治見は【JITTE】が消えたスペースへ移動して、中の様子を伺い、ノブに手を掛けた。その時、扉が大きく明けられた。
その扉の陰から、顔を出した男の背後へ素早く回り込み、左腕の親指と中指で相手のこめかみを押さえ、ついでに男の視界を掌で覆い塞ぐ、そして獲物をうなじの盆の窪に押し付けた。
「声を出すな。扉をゆっくりと閉めるんだ。」
捕らえられた男はゆっくりと頷き、扉のノブに手を伸ばす。
「【SABAKI】申し訳ない。」
【JITTE】が慌てて声を掛ける。
「そいつは私の部下の【MEBOSHI】です。」
緊張が一気に解け、多治見が深く長い溜息を吐いた。
「どういうこと?」やっとの思いで問う。
「すっ、済みません。皆さんが集まる前に、部屋を暖めて、お茶の支度をと思って、先に入りました。」
多治見の拘束が和らぐと、【MEBOSHI】が一気に話した。
「せめて僕には伝えてくれないと――。君は僕と【SABAKI】に殺され掛けたんだよ。」
「本当に済みませんでした。」
多治見が完全に【MEBOSHI】から離れると、玄関に土下座をして、二人へ詫びた。
「連絡がなっていないな。」
多治見は【JITTE】へ言う。
「私の責任です。ご迷惑をお掛け致しました。」
【JITTE】が【MEBOSHI】の横に並んで、重なったミスを詫びた。