悪戯の代償
悪戯の代償
翌日の昼休み。部下の吉田と昼食を取った後、喫茶店で話をしていると、奉行から電話が入った。多治見は吉田に断り店外へ出て電話を取った。
「昼休みの貴重な時間にすまんな。今、大丈夫か?」
「はい。食後のコーヒーを飲んでいたところです。」
「羨ましいな。ところで、上様の勅命とお庭番衆の件だが――」
多治見は珍しく緊張した。
「勅命は、やはり死刑を急ぐ為だそうだ。また、お庭番衆に『殺し』をさせてはいけないとの、代々の決まりがあるようだ。」
「なるほど、上手く逃げられましたか」
「そう言うな。これでもしつこく聞いたのだぞ。」
「それでこの程度の情報では、刑事にはなれませんね。」
「おい!」
「冗談です。ありがとうございました。思う存分、やらせていただきます。」
「それと薮蛇になった。十日までに仕置きしろとの命だ。」
「また無理を言われますね。それで引き受けたのですよね?」
「不甲斐ない奉行で悪かったな。」
「上司に恵まれないのには慣れていますので」
「――!」
「冗談が過ぎました。奉行がおられるので、我々は安心して仕置きができるのです。」
「そう言う事にしておくよ。非常に疲れた。早退できればしたいものだ。では、頼むぞ。」
「承知いたしました。急ぎ采配をいたします。」
店内に戻り冷めたコーヒーを飲む。
「何か込み入ったお話しなのですか?」
「一人身で暇だろうからと、高校の同窓会の幹事を任されてね。」
この頃多治見が頻繁に、私用電話に出ている事を気に掛けていた。毎日、席の横でそれを見ている吉田へは、何か取り繕う必要が有ると思っていた。多治見はこれでまた、署内で一番信用し頼りにしている吉田へ、ひとつ嘘を重ねた。
「係長を暇人扱いですか?」
「一人身になって、気落ちしないようにとの計らいだと、先任の幹事が話していたよ。」
「係長は人が良すぎですよ。」
「公私混同はしないが、暫く私用電話やメールが増えるかも知れない。」
「承知しました。その時は上手く誤魔化します。ご安心ください。」
「本当に悪いね。」
吉田の誠意を、殺しの為に使う自分に腹が立った。
「本当にすまない。」吉田へ一段と深く頭を下げた。
「止してください。」吉田は慌てて「時間です。帰りますよ。」と席を立った。
署に戻り自席に着くと【JITTE】からメールが来た。
《【SABAKI】の許可を頂きましたので、新宿の好条件の部屋を押さえました。
建物及び室内の盗聴、盗撮、防犯カメラの有無は調査済みです。
安心して采配に使用できます。》
《了解。いつも早い仕事の対応に驚かされます。
予定通り、明日の晩は可能でしょうか?》
《可能です。急ぎ参加者全員へメールします。
それと、今回は勉強の為、私の片腕も参加させます。
ご承知置きください。》
《了解しました。では連絡まっています。》
メールのやり取りを済ませ、机上の書類に目を通す。多数有る書類の中から、昨日の石田の日報に目が止まった。
四谷に近い小さな商店の数件が、嫌がらせを受けている旨が書かれていた。
「吉田君、ちょっといいかい?」
日報から目を離さず、右手を挙げておいでおいでをした。
「何でしょうか?」とすぐに吉田がやってきた。
「この件、詳しく聞いているかい?」
吉田が日報を覗き込む。
「確か、土地の買占めが始まるとか、石田君が話しておりましたが」
「今更?」
「東京五輪が要因では。と言う意見もあるようです。」
「でもここは、買い占めても高層ビルは建てられない土地だよね。」
「アパートを建てるんじゃないでしょか?」
「アパート?僅かな出費で宿泊施設を作って儲ける算段かな?」
「申し訳ありませんが、詳しくは……」
「森田君は?」
「本件の確認で、午後一番に出掛けました。」
「そうか――。僕もちょっと行ってくるよ」
「承知いたしました。」
多治見は課長の萩本へ報告を済ませると、上着とコートを着て出て行った。
多治見は途中で森田へ電話をして、居場所を確認し合流した。
「どんな感じだい?」森田の浮かない顔を見て多治見が訊いた。
「どうも地上げ屋的な感じは無さそうですね。」
「そうなの?」
二人は小学校に隣接した公園にいた。ベンチに腰を下ろしながら、「でも大事件ではなさそうで、一安心したよ」と森田へ告げる。
「そうですが、石田と武本が行った店を聞き込みしましたが、嫌がらせというよりは、悪戯紛いのものでした。」
「例えば?」コートのポケットから缶コーヒーを出すと森田に渡して、自分の分のプルトップを空けて一口飲む。
「ラーメン屋ではゴキブリが入っていたとか、ケーキに埃がついていたとか……。」森田も礼を言ってから一口飲み、両手を暖めた。
「確かに。小遣い稼ぎ的な感じだね。その二軒は近いの?」
「はい。隣同士です。どちらもそれなりに人気が有った様ですが、ネットに載ったらしく、その件以来、客足が落ちたと嘆いていました。」
「他には?」
「ケーキ店の一軒先の酒店では、買ったジュースの賞味期限が切れているのに気付かず飲んだ。と言って、慰謝料三万円を払った様です。」
「詐欺か」
「犯人は悪戯と思ってやっているようですがね。一軒あたり三万から五万円を、口止め料とか慰謝料と言って取っていますから。『ゴキブリ詐欺』ですかね。」
「面は?」
「三軒とも防犯カメラの設置は無く、路上にもありません。頼りの店主の証言ですが、どうも人相がはっきりしなくて、犯人の特定には難しそうですね。」森田が首を振りながら答える。
「残念だな」
「石田と武田に張り込ませますか?」
「正月休み中だからね。張り込みは目立つよ。まぁ。昨日一日で十数万円は稼いだだろうから、二、三日は小遣いには困らないだろう。」
「では明後日辺りから始めますか?」
「そうだね。捕まえて、詐欺という罪を犯している事を、判らせる必要はあるからね。店側だって、売り上げが落ち続ければ、死活問題だし。『悪戯でした』では許せないよ。」
「わかりました。では明後日から、この界隈を張り込みます。」
「寒いのに悪いね。」
「警察官ですから」
「模範的な回答だな。ドリップしたコーヒーでも飲んで帰ろうか?」
「いいんですか?」
「たまにはね。」
森田は貰った缶コーヒーをまじまじと見て「これもドリップコーヒーと書いてありますよ」と言ったが、多治見は既に先を歩いていた。
「コーヒーで腹が一杯になりそだな」森田がぼやいた。
夜のニュースを見ていると、【JITTE】から明日の采配の時間と場所のメールが来た。
《明日、斐山市の件での采配を以下で行います。
新宿二丁目カエンビル三○三号室
時間 十九時半現地集合
出席者 三役
他に【NAGARE】【ZANN】【ABURI】【FUMI】
それと私の片腕の【MEBOSHI】を今回参加させます。
以上八人に同時送信》
多治見はメールを見て驚いた。
(新宿でも良いとは言ったが、何も署の徒歩圏内とは。一体何を考えているのか)
そう返信しようかと思った時、ビルの名前にまた驚いた。
「五六じゃないか」思わず声が出た。
多治見が贔屓にしているラーメン屋の五六の上階となると、署員を含め、五六や五六の馴染み客にも見付からないよう、十分に注意が必要になる。場所の変更を今更言ったところで、仕置きに間に合わなくなっては、奉行の顔を潰してしまう。
《采配の件承知した。君に会うのが楽しみだよ。》
「【JITTE】悪いけど、会ったらただでは済まさんよ。」
その後多治見は、どうするのがベストなのか慎重に考えた。十九時頃から夜中に掛けては、ラーメン五六も混んでいる時間帯だ。客が大勢いることは想定できる。その中に、署の人間か、あるいは自分を知る者がいないとは限らない。人が少なければ、注意しながらビルに入れるが、五時前の早い時間帯では仕込みや掃除、消耗品の補充などで、店のスタッフが忙しく動き回っているであろう。であれば五六やスタッフ達といつ顔を会わせるか分からない。
悩んだ末。五六と会っても仕事だと言えば、誤魔化しはできるであろうと、夕方の時間帯にビルに入る方に決めた。課長も早退では無く、聞き込み先からの直帰だと言えば、ひとつ返事で許可をくれる筈と判断した。
そうと決まれば、【JITTE】を早目に呼び出して、部屋を開けて貰う必要がある。多治見は急いで【JITTE】へメールをして、現地近くの二丁目の交差点で五時に合う約束を取った。
翌日の夕方になると、多治見は予定通りに外出先から直帰すると萩本へ申し出た。
「直帰ですか?珍しいですね。」
「はぁ。申し訳ありません。少し聞き込みをしたい所がありまして」
昨日の花園に近いが、四谷署管内と入り組んでいる新宿一丁目辺りにも、被害が出ているか、確認の必要が有ると考えていた。ついでに新宿二丁目に渡り、聞き込みをするつもりだと萩本へ申し出た。
「一人で?それは危険だ。誰か付けましょう」
普段であれば、「了解」とか「良いですよ」の一言で、あっさりと済むのだが、今日に限って萩本は、無駄に気を使ってくれた。
「それには及びません。他の者はすでに、六丁目の方へ範囲を広げ、被害の有無の聞き込みをしております。昨日も近くを回っておりますし、今日の所は、自分一人で十分可能な範囲ですので、許可を頂きたく。」
新宿にはJR山の手線を隔てて、西側の新宿西署と南側の新宿南署に管轄が分かれている。西署は主に都庁や新宿中央公園に新宿の北側までを管轄とし、南署は歌舞伎町や新宿御苑。北側は早稲田近辺までが管轄であった。
「そうですか?吉田君でも何かの役に立つかも知れませんよ。」
自席で電話に出ている吉田へ、萩本が目を向けた。
「彼には内勤と言う、重要な仕事があります。本当に大丈夫です。」
「そうですか?では十二分に気を付けてください。」
やっと折れてくれて安堵した。
「ありがとうございます。」
敬礼の後、出掛ける支度を済ませ吉田の所へ行った。
「吉田君、一応聞き込みが済んだら電話を入れるが、残業して待つ必要は無いから。それと、森田君達が帰ったら、直帰する旨を伝えてください。」と伝言をした。
多治見は署を出て、一丁目を目指し歩き始めた。全て上手く行くと思っていたが、考えが安易過ぎていたと反省もした。まさか課長の所で躓くとは思っておらず、この後も何か厭な事が起きそうな気がしてきた。