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SABAKI 第二部 変革  作者: 吉幸 晶
11/21

過去


       過去



 時間になると、運転手が四人へ声を掛けた。

「行くよ。」

 獲物を確認しながら【ZANN】は「承知」と返事をし、バイオリンケースを待った。

「三人には悪いが、槌屋を裁くまでここで待機。終わったら連絡するので【ZANN】を回収後、速やかに東京へ移動。」

「承知」

「では行こう」

 多治見がドアを開け降りる。続いて【ZANN】も降りゆっくり、静かに砂利の上を歩いて行く。待機の場所から二人の姿が見えなくなった。


 離れの近くまで来ると、片方から若い女が出てくるのが見えた。二人は植え込みの間に身を隠し、女を見送った。

 多治見が右手の親指で自分を指した。それを見て【ZANN】は頷きもう一つの離れへ向かった。


 【ZANN】は離れの入口に着くと、部屋の中を襖越しに窺った。中は思いの他静かで、時より溜息に似た、何かを必死に堪えているような、苦痛を訴える声無き声が漏れ聞こえた。

 その声に気付かれないように、静かに襖を五センチ程開けた。暗い入口に、一筋の部屋の明かりが灯った。

 襖の陰に身を潜め、再度中を窺う。しかし、槌屋は和室にはおらず、何処にいるのか判断が付かなかった。仕方なく、自分の身体の半身が入る程度まで静かに開け、素早く中へ入り襖を閉めた。

「やっと……来たか」

 思わぬ問いに驚き、部屋の中を見回す。が、槌屋の姿は見えない。

「奥だ。縁側の椅子に居る」

 低く冷たい声が【ZANN】を誘った。

(罠か?)

「何をしている。俺を()りに来たのだろうが」

 【ZANN】は足音を殺して、部屋と縁側を隔てる障子へ、影が映らない様に近寄った。

「ほう。殺し屋は女か――。俺も嘗められたものだ。」

「女の何処が悪い!」声を殺して問う。

「僅かに香るような物を着て来ては、俺は殺せない。」

 慌てて自分の服の臭いを嗅ぐ。しかし【ZANN】には感じなかった。

「来ちまったからには、早く俺を殺して、ここを立ち去れ!」

薬中(やくちゅう)の犯罪者が、偉そうな口を利くな!」

「ふふふ――。これか?」

 障子の向こう側から何かが放り出され、敷いてある蒲団の上にぽとりと落ちた。それを見た【ZANN】は、昔の忌まわしい恐怖が一瞬で蘇り、からだを硬直させた。

「お嬢さん。俺を殺せないのなら、少し話しでもするか?」

 殺し屋の殺気が萎えたのを感知すると、槌屋は穏やかに訊いた。

「別に、貴様を殺せない訳ではない。それに貴様の話しなど聞きたくも無い。」

「仕方ない。ではお嬢さんの準備が整うまで、独り言でも言おう」


(変だ。こいつから殺気すら感じない――。本当に槌屋なのか?)


「俺はな。俺の人生の半分を、裏の便利屋として生きてきた。だからいつか、本当の殺し屋が来ると覚悟はできていた。」

 槌屋は勝手に話しを始めた。

「それがお嬢さんとは――。しかし考えて見ると、女に殺されるのも俺らしい。と言えば言えるかもしれん。――前の女がな。『あんたは、いつか女に寝首を掻かれて死ぬ』と言っていた。」

 【ZANN】の背中に激しい衝撃が走った。

(こいつ、私の獲物を――。仕置きの方法を知っているのか!)

「なぁに。俺はそいつが思っているほど、女にだらしなくは無い。別に気にする事は無い。だがな、悪に走る前は。自分で言うのも何だが、子煩悩でカミさんにも優しい、良き夫で父親だった。――本当の話しだ。」

 しゃがれた声だが、聞き易い声だった。照れているのか、少し温かみの篭った声だと【ZANN】は感じた。

「あれは――。あれからもう、二十五年。四半世紀も経っちまった。当時の俺は、若いが有能な、医療機器を扱う商社の営業マンだった。バブルの最盛期ってな事も有ったが、業績は営業所で常にトップでな。全国の支店や営業所にいた営業の中でも、ベストテンに入っていた。当時、医療機器の発達は目まぐるしく、少しでも良い機器を求めて、医者達は(こぞ)って買い換えたものだった。」

 当時を振り返っているのか、声の主が遠い所へ行った様に感じた。

「俺は同じ営業所で経理をしていた女に惹かれ、そいつも俺に好意を持って――、やがて俺達は結ばれ、子供を。娘を授かった。今思っても、幸せな時間だった――。女房と娘の為に、俺は心骨を注いで、一生懸命に働いた。そして営業所長も間近って時に、バブルは弾けた。社長は会社の金を持って逃げて、残された社員は途方に暮れた。」

 声色は判り易く変わった。

「当然会社は潰れ、社員は路頭に迷った。俺は、営業所の次期所長と言われて、家を買い、車も買った。娘も有名な私立の幼稚園に入れた。そして、そのローンだけが残った。」

 話しをする声は、元の低く冷たい声に戻った。

「『働きたくても、職は無し』ってな。当時、流行った文言だ。俺もそうだった。途方に暮れ、女房と娘の為、妬けになっていた――。金を持っていそうな輩を見付けては、人目の付かない路地などに連れ込んで、暴力を振るった後に、そいつの財布から金を取り、身に着けている貴金属を奪い、生活費を稼いだ――。そんな時、カモを見付けて、いつも通りに人目の付かない所へ連れ込んだ。」

 槌屋が薄笑いを浮かべたのを【ZANN】は感じた。

「そいつは刑事(デカ)だった。俺は女房と娘と離れ離れになると、咄嗟に思った――。気が付いたら、刑事(そいつ)は俺の足元に転がっていた。もう、どうしようも無いと持った時。目の前にいたのが谷山だった。」

 槌屋は喉と口の渇きを潤す様に、手元に有ったお茶を口にした。


「谷山は俺に、『ここには俺意外、誰もいない。早く山へ捨ててこい』って言ってな。自分の車のキーを俺に渡した。その時、俺は一生涯、この人の為に尽くそう。そう決めた。」

 安堵の声に変わった。

「それ以来、俺は谷山の為なら何でもした。一般人でも、脅し金品を奪った。敵対する市議を、暴力に任せ襲った事もある。本当に何でもできた。勿論、殺しも含んでだ。――だが、その報いを俺は受けた。谷山の所で世話になり始めて、三年程経った春の暖かい日だった。女房と娘が車に轢かれて死んだ……。」

「自業自得だ。」

【ZANN】は吐き捨てる様に言った。

「そうだよ、お嬢さん。正にその通りだ。天罰だった。自宅のまん前で轢かれたのだ。自業自得――。あの時、その言葉が俺の頭の中を回った。」

「どうせ貴様への復讐か、違っても酔っ払いの類だろう」

「いいや。僅か十三歳の、少年の無免許運転だった。」

 悔いた失望の声がした。

「そのガキの親父が、暴漢に遭い危篤だと、収容先の病院から連絡を受けて、身体の不自由な母親を連れ、病院へ行こうとして起こった。紛れも無い。ガキが起こした事故――だった。」

 声の主は、深い闇に覆われ這い出る事ができない。悲痛を訴えていた。

「その親父を、襲って危篤状態までに打ちのめしたのは。――俺だ。笑っちまうだろ。俺が、その親父を痛めつけなければ、女房も娘も死なずに済んだ。自業自得、天罰覿面、因果応報。色んな言葉が浮かんだが、どれも大して変わりはしない。」

 強い自戒の念が受け取れた。

「――救いようも無いな。」

「それ以降、俺は人間では無くなった。鬼になった。守る者を失った鬼。夢も希望も無くした飢えた野獣が行く着く先など決まっている。俺は見境無く、何人も殺し金や土地を取り、金の無い奴からは臓器を取り売った。勿論。金を持っている奴等からは、有り金の大小構わず、根こそぎ奪ってやった。そうやって荒稼ぎを重ねた。」

「その金が有れば、谷山の支配を受けずに済んだ筈だろう。」

 【ZANN】は冷やかに追求した。

「俺の金は谷山の金だ。」

「馬鹿な!腐れ外道が!」

 【ZANN】は込み上げる怒りからか、身体の拘束から抜け出した。そっとバイオリンケースを開けて、獲物を手にした。

「やっとその気になったか――」

 槌屋の視線が【ZANN】の身体を、障子越しに射抜いた。たった一言で【ZANN】は獲物を握ったまま、萎縮し身動きが取れなくなった。

「まだ、()れないのか?」

「笑止。何時でも貴様を殺せる。」

 そう言いながら【ZANN】は、槌屋の威圧から抜け出そうと足掻いた。


「天罰ってのは、悪い事をしたその者に、必ず落ちて来るものでな。半年前、体調を崩し行った医者で、癌だと言われた。余命は三ヶ月から半年と告げられた。それ以降、只ならぬ痛みに襲われ始め、我慢できる域を超える痛みに、俺は谷山から薬を貰い打ち始めた。」

「それで薬中か」

「あぁそうだ。さっきも――。お嬢さんが襖の向こうに来た時も、我慢できずに打っていたところだ。」

「それで、気分良く歌うのか」

 横目で蒲団の上に落ちている注射器を見た。

「ふふふ。お嬢さん――」槌屋の視線が動いたのに気付いた。

「襖の向こうのお方は、もっと違う話しを聞きたがっているようだ。」

 【ZANN】は驚き、襖の方へ目を向けた。

「そうだろうな。俺は悪行を重ねてきた悪党だ。まさかお嬢さん一人に任せるなんて事は。しないだろうな。」

 

 襖を大きく開けて、多治見が堂々と入ってきた。

「良く判りましたね。」

 多治見は襖を閉めると、臆せず奥へと歩みを進めた。【ZANN】が何か言いたげな素振りを見せたが、右の掌を見せて止めた。

「死期に近付くと、人間の能力を超えたものを得ると、訊いた覚えがある。」

「そうですか。『死期』を悟りましたか?」

「あぁ。悟った。」

 多治見の登場で【ZANN】は、動きを止めた過去の恐怖と威圧から開放されたが、黙って二人の会話を聞く事にした。

「しかし僕は、彼女に任せられなくて来た訳ではないですよ。」

「何?」

「彼女はどんな仕事でも、ミス無くこなす。ウチのエースですから」

「女がエースとは。世の中、本当に変わったものだ。もう俺のやり方は――。俺の命が尽きるのと同じ様に、終わるのだろうな」

「その様です。僕達オヤジと呼ばれる年代の、考え方や行い。風習や生き方までも、急速且つ確実に変わっています。」

「それに付いて行けない俺達の年代の者は、社会や会社からも消えるしかない。」

「悲しく寂しい事ですが、私達の父親もまた、同じ事を目の当りにしていたのだと、この歳になってやっと判ったと思います。」

「あんた、殺し屋らしくないな。」

「そうですね。長き時代を密かに繋いできた組織ですが、僕は入って三ヶ月にも満たないからですかね?」

「あんたらは『(はぶり)』の者か?」

「随分とお詳しいですね。」

 障子の向こうにいる鬼を見据えて問うた。

「当たり前だ。俺は人生の半分以上を、裏の世界で生きてきた。そこのお嬢さんやあんたの様な素人と、一緒にして貰っては困るぜ」

「助言。承りました。」


 少し間が空いた。


 時より寒風が、離れの周りに植えてある、木々を揺らす音が聞こえるだけで、三人が黙れば、快適な睡眠を約束して貰える、そんな環境にある離れだった。


「ところで、いくら死期が近付いているからと言って、彼女が仕置きをするまで待つなど、そんなに、殊勝になるとは思えませんが?」

「そうかこの感じ、あんた江森寺(こうしんじ)に居たな。刑事(でか)だろ」

 多治見の問いには答えずに槌屋は言った。

「ほう。記憶は確かな様ですね。でも僕が刑事だと?何故に?」

 多治見は驚く事無く問い返した。

「まずはその目だ。江森寺に居た男と同じ目だ。そしてこの臭い。悪しき臭いがする。」

「刑事が殺し屋に居ると?」

「今の世の中、警察官の盗撮や痴漢行為、飲酒運転などといった、どうしようもなくくだらない不祥事が騒がれている。殺し屋風情が一人ぐらい居てくれた方が、浪漫がある。」

「なるほど、浪漫ですか――。正解です。僕は現役の刑事です。」

「馬鹿な!」【ZANN】が叱責する。

「構わないさ。どうせ――」

「死に行くから。か」

 槌屋は静かに続けた。

「そうですね。僕の仲間は優秀ですから。」

「だろうな。ところで、奴等はもう逝っちまったのか?」

 槌屋は自分の命を諦めたのか、宴会途中で抜けて戻らない四天王の事を訊いた。

「四天王と呼ばれている、四人の若者達の事ですか?」

「あぁそうだ。どうせあんたの考えで、マウテンバレーへ呼び出したのだろう?」

「確かに。しかし彼等には未来が有ります。何年掛かろうが、社会復帰をさせるために、とある場所へ連れて行きました。」

「本当か?奴等は生きているのか?」安堵する声だった。

「勿論。僕達は貴方の様に、目標の全てを殺す事が目的では無いので――。取り敢えず、今回死んで頂くのは、貴方と谷山市議のお二人です。」

 多治見のその言葉を聞いて、死にかけていた鬼が息を吹き返した。

「残念だ。谷山を殺すとなると、俺はあんた達を殺してでも、谷山を守らなければならない。」

 二人の居る部屋へ、槌屋が初めて障子越しに顔を向けた。

「やはり。そうなりますか」

 多治見は冗談では無く、心底、残念そうに呟いた。

「俺は、谷山には恩義が――」

「もう。充分に返したと思いますよ。最後ぐらい。奥さんとお嬢さんが慕っていた。本来の貴方に戻るべき。僕はそう思います。」

 槌屋から殺気が薄らいだ。

「しかし。谷山を――」

「彼こそが悪の元凶。貴方は、女性を襲ったり、弱い者から金を脅し取ったりたりした若衆を許せなかった。それと、若衆に蔓延する事を避ける為に、その者達を責めた。それを知った四天王は、任されている責任からか、そいつらを殺して遺棄した。」

 【ZANN】は驚き多治見を見入った。

「どうしてそれを――」

「先程も言いましたが、僕の仲間は優秀です。彼はその事を、四天王の一人から聞き出しました。貴方は――、谷山と合わない方が良かった。たとえ出会ってしまったとしても、その時がどんなに辛かろうが、貴方が一番守らなければならない事が、奥さんとお嬢さんの傍にいられる事だと気付けさえすれば、貴方はこんな闇に落ちる事は無い人だった。」

「遅いな。何を言われても。俺には時が無い。」

「でも、あの世で会うのであれば、少しでも昔の貴方に戻るべきだ。谷山の様な、鬼畜を守る事は――」

 槌屋は立ち上がると、障子越しに【ZANN】の首に左手を巻いて、右手に持ったナイフを【ZANN】の胸に突き当てた。

「槌屋さん。その()は勘弁してください。変わりに私がそこへ行きます。」

「下手な説得など無用だ。あんたが俺の家族を語るなど許さん!」

「あの人は――。」

 喉を絞められている【ZANN】は、辛うじて声を発した。

「【SABAKI】は昨年の暮れに、奥さんとお嬢さんを、若い犯罪者に殺されたばかりだ。」

「何!」

「そんな事はどうでも良い。貴方に同情して貰う気など微塵も無い。」

「あんたも家族を失い。闇に堕ちたのか?」

「その通り、貴方と同じですよ。堕ちて闇に身を置いた愚かな男です。」

 【ZANN】の目から涙が溢れ落ちた。

「しかし、私と貴方の違いは、堕ちた先にあります。」

「……」

「同じ人を殺す稼業でも、貴方は、谷山個人の立場や財産を守る為だけに堕ちた。しかし私は、弱く何も知らずに殺されて逝く人を守り、また、危害を加える側の者を、更生させ生かす為の組織に堕ちた。」

「生かす為の組織だと?」

「そうです。『葬』は人を生かす為の組織――。そう私は解釈しています。現に私が入ってから葬が殺した者からの、再犯による被害者や、苦しめられていた弱き人を救っている――。」

「しかし、殺しは殺しだろう。あんたは刑事だ。犯罪を立証して逮捕、裁けば、罪人の命をみすみす取らずに済む。違うのか?」

「確かにそれは否めません。しかし、それを待っていたら、被害者は増える。それに刑を勤めて出てきた者が全て更生するとは言えない。その再犯から人を守り生かす。その為であれば、僕は手を汚してでも、影に隠れた薄汚い犯罪者を葬ります!」

 多治見が怒りを(あらわ)にした。

「確かに大きな『差』かも知れんな。だがな。やはり俺は、恩義の有る谷山の盾と成り、矛となる。」

 ナイフを持っている右手に、力が入ったのを多治見は見ると、上着の内ポケットへ手をいれた。

拳銃(チャカ)は無しだぜ。」

「部下を守る為なら、僕は何でもする。」

 多治見は障子の向こう側の鬼を睨み言った。

「俺は――。」

「奥さんとお嬢さんの基へ行きたいのなら、その()を返して欲しい。」

 双方、共に牽制し合い暫く動きが止まった。


「ところで、先程話していた刑事の遺体は、見付かって家族の基へ帰ったのですか?」

「いいや。刑事だけじゃない。この斐山で行方不明や失踪、家出と取り扱われた奴の、五人に一人は、俺が、北にある山の、奥深い山中に捨てた。獣に食われ、雨風に晒され、恐らく骨も見付からないだろうな。」

「なんて事だ。死んでも尚、惨い仕打ちをするのですね。」

「自分達を、何よりも谷山を守る為だ。使い終わった価値も無い死体など、見付からない様にするのは当然だろう。」

 槌屋の残虐性が垣間見えた。

「どこまで谷山の所為にして、自分を偽るのですか?偽った儘のその魂で、お二人に会っては、貴方も、奥さんも、お嬢さんも、余りに悲し過ぎませんか?」

 槌屋からの返答は無い。

「僕の部下を返して頂けませんか?」多治見はこれ見よがしに、銃を握り構えた。

「水鉄砲で俺を殺すか?」

 【ZANN】を締めていた腕の力が僅かに緩んだ。それを察知すると【ZANN】は自ら身体を捩り、槌屋の腕から逃れた。

「お互い。(むすめ)には甘いな――」

「確かに、敵いません。」

 【ZANN】が障子から僅かに離れると、障子の一部が真紅に染まった。

「槌屋さん!」多治見が障子を開け駆け寄る。

「時が――。どうやら幕切れの様だ。今の俺に免じて、谷山を許して貰えまいか?」

「それはできません。」

 多治見は吐血した槌屋を抱き起こしながら返した。

「そうか――。俺は、今まで何をしていたのか――。」

「悪夢を見ていたのです。奥さんとお嬢さんを失ってから――。長い、長い悪夢を」

「そうか。もっと前に、醒めれば良かったのだが……。遅かったな。」

「そんなことは有りませんよ。貴方はまだ眠ったままだ。今なら良い夢に変えられる」

「もっと早く、君という。夢前案内人に出会えていれば、俺は――。堂々と、早苗と由紀に会えた――な。」

 槌屋は多治見の腕の中で息絶えた。

「殺人鬼の槌屋は死んだ。【ZANN】。君の仕事は片付いた。あとは僕のサポートに――」

 多治見は【ZANN】が怯え震えているのに気付いた。槌屋の亡骸をそっと置くと、部屋の明かりを消して、多治見は無言で【ZANN】に寄り添った。

大きく荒れた【ZANN】の息遣いだったが、一、二度大きく吸う。と【ZANN】は多治見にしがみ付き、慟哭した。

 多治見はその声が漏れない様に、自分の胸に【ZANN】の顔を抱き寄せ押し付けた。


 窓から入る月明かりが、槌屋の魂を導き、怯えた女を優しく包んだ。



 【ZANN】は落ち着いたのか、先程の様な、取り乱した泣き声は止んでいたが、嗚咽を漏らしている。美佐江の労を労い、奈美が抱く不安を取り払う様に、【ZANN】の背中を優しく摩り、時折、頭を撫ぜた。

(今の僕に出来る事は、これぐらいだ)

 明け方までは時間はある。あとは谷山を仕置きするだけ。焦る事は無いと、自分自身に言い聞かせ【ZANN】が落ち着くのを待った。


 待ちながら、多治見は先日の采配の後に、【NAGARE】から聞いた【ZANN】の話しを思い出していた。

「私が先代の【SABAKI】と、裁きの時を待っている間に訊いた事ですが、【ZANN】には消したくても消す事のできない、悲惨な過去が有るのです――。」


 【ZANN】こと浅川(あさかわ)琴音(ことね)が、十四歳の夏休みに入ったばかりの頃。父が営んできた会社が、大手企業に乗っ取られた。

 父は会社と仕事を取り上げられた上に、財産までも奪われ、家族は無一文で放り出された。それまで、父親の恩恵に(あやか)っていた者達までも、掌を返す様に父親から去って行った。それでも、住む所は必要と、親戚や友人を回って得た僅かな金で、古びられた粗末なアパートを借り、親子三人で暮らし始めた。

 しかし、裕福な暮らしに慣れた母親は、極貧な生活に耐え切れず、僅か数日で琴音を置いて、新社長に納まった、元部下に(すが)って家を出て行った。

 当時中学生だった琴音は、父親の為には無力だった。せめて自分が出来る、食事や洗濯、掃除と言った事で、父親を労ったが、父親を奮起させるには及ばなかった。

 夏休みが終わり、二学期が始まると、琴音はいじめの対象となった。仲の良かった親友数人が、率先して琴音の貧乏を(なじ)りいじめた。

 落ち込んでいる父親の手前、そんな事など相談できるわけでもなく、一人、辛い新学期を過ごしていた。


 九月も終わろうとしていた残暑の厳しいある日、琴音が帰宅すると、部屋に見知らぬ男が一人居た。

 当然、琴音は大声を上げたが、隣近所からの助けは来なかった。男は(おもむ)ろに、食卓の上に置いてあった注射器を手にすると、いきなり琴音に刺した。

 恐ろしさの中で、激しく抵抗したが、やがて琴音の意識は朦朧として、いじめや貧困、両親の裏切りなど、どうでも良くなった時、その男に抱かれた。男は用事が済むと、一万円札を三枚置いて帰っていった。そこへ父親が戻ってきて、琴音へ「これからは、俺の為に稼いでくれ」と言い残し、金を鷲掴みにして出て行った。


「それから【ZANN】は、アパートを逃げ出し、夜中の街を彷徨っている所を補導され、麻薬反応が出たために――」

「やはりそうでしたか――」

 多治見が、重苦しく答えた。

「やはり。とは?」

「先代の【SABAKI】の件だけでは無く。他にも何か重い昔を、背負っているように思えてならなかったのです。」

「【SABAKI】。貴方は会って僅かな人の、心の内側まで感じ取れるのですか?」

「そんな大層な事ではありません。ただ僕が今まで会ってきた、所謂、非行少年や非行少女と呼ばれた子供達の中に、似たような境遇――。親や親友から裏切られ、騙された経験を持っている子供も少なくは無かったのです。その子達と【ZANN】の目や、人に接する態度というか、間合いが似ているように感じたのです。」


 【ZANN】は落ち着き、寝息を立て始めると、多治見は部屋に敷いてある二組の蒲団を、槌屋と【ZANN】に掛けて部屋を出た。


《槌屋は仕置きをする前に、病死しました。

【ZANN】が少し動揺したので休ませています。

部屋の中の物は今以上に動かす事無く、【ZANN】と遺留品の回収を速やかにお願いします。

私は谷山の仕置きを始めます。》



 【FUMI】と【JITTE】だけにメールを送信した。一分も掛からず返信が来た。


《【ZANN】の事、承知しました。【SABAKI】は一人で、大丈夫ですか?》


《大丈夫です。今宵の僕は少し違います。

僕の残忍な姿を、仲間の誰にも見られたくありません。

仕置き後、合流地へ行きますので回収をお願いします。》


《承知しました。お待ちしております。

【TEGATA】が悲しむ事だけは避けてください。

お願いします。》


「谷山。いよいよ貴様の番だ」

 恐ろしい程の眼光で、谷山が寝所とした離れへ視線が向けられた。




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