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大嫌いな神様へ  作者: 李野メト
Feeling
8/18

08 美味しい食事③

「さ、着いたわよ。ここが私の旅館」


 時間の流れは早い。


 未来に嫌な事や不安な事、所謂(いわゆる)負の感情があると余計に早く感じるもので。逆にわくわくする事など、良いことがあると確定した未来への時間は遅く感じる。まるで遠足が待ちきれない幼稚園児のように。

 今の私の場合、間違いなく前者だ。昨日のことがまるで数秒前にあったように感じる。いや、流石にこれは言い過ぎかもしれないが、それくらい今の私は不安を感じている。


 やっぱり止めておくべき、だっただろうか。

 私の人生は後悔の繰り返しだ。


 割れた眼鏡を掛けるわけにもいかないので人に焦点を合わせない様にするのにかなり神経をつかう。こんなにも長時間クリアな視界で外を見たのはいつぶりになるか。

 ここに来るまでの車の中で、私は何個飴を消費しただろう。普段から舐めていて、口の中は大分飴の刺激になれてはいるが、流石に痛い。

 


「ありがとうございます」


 お礼を言って車から降りる。

 思えば昨日の私はどうかしていた。

 いつもの私なら無視をするのに、女性に言われた通り名刺に記載された番号へ電話をかけ今日という日の予定を立ててしまった。


「ようこそ一木旅館へ。こちらへどうぞ、裏口からでごめんなさいね」


 運転席から降りた昨日の女性は私の少し先を歩き、木造のとても趣のある立派な旅館へと足を進めた。


 裏口と思われる少し控えめの茶色い扉から中へ入るとそこには外観の期待を裏切ることなく、とても美しい内装が広がっていた。純和風というわけではなく、ところどころに西洋を取り入れた明治時代に建てられたかのような造りに心が躍るのを感じた。


「おや、お帰りなさい。女将」


 かすれた声に少し視線を向けると、格子模様の蒼い着物が目に映った。これ以上は視線を上げられないが、声から年配の男性である事が分かる。


「ただいま、林さん。丁度良いところに居らしてくれたわ。牡丹の間へお茶を頼めるかしら?」


「ええ、勿論ですとも。すぐにお持ち致します」


「ありがとう、とびっきり美味しくね」


「承知致しました」


 男性は軽く腰を曲げるようにお辞儀をし、静かに去っていった。足音など殆ど聞こえない。

 この男性は従業員だろうか?足腰はしっかりしてそうだが、結構ご年配の方まで雇っているんだな。


「ふふ、林さんの淹れるお茶は最高よ。とても長い間茶葉を扱っていらしてね、すごく詳しいのよ」


「そうなんですか」


 女性の後に着いて少し長めの廊下を歩き、手すりに細かい細工が施してある階段を上がる。そこから少し歩き、もう一度階段を上がる。その先にはさらに上へと通じる階段があったがこれ以上は登らずに、3階の廊下を進んでいく。


「さ、ここよ。どうぞ」


「ありがとうございます」


 【牡丹の間】と表示された部屋の中へ通されると、そこはやはり美しい部屋だった。きっと他の部屋も全て美しいんだろう。こんな所へ来たのは初めてだ。

 思わず部屋を見渡していると、気に入ってくれたかしら?と女性の声が聞こえた。


「はい、とても。こんな綺麗なところ初めてです」


 ずっと顔を見ようとしない私はどれほど失礼だろうか。こんなにも良くして頂いているのに。


「良かったわ。これ、部屋の鍵ね」


 なのになぜこの人はずっと優しい声を掛けてくれるんだろう。


「ありがとうございます」


「食事まで少し時間があるのだけど、どうかしら。お庭を少し歩かない?紅葉が丁度見ごろなの」


 きっと庭も素敵なんだろう。すごく見てみたい。

 

 ・・・・・・だけど。


「えっと、」


 断る言葉を探す。失礼のないように気を付けなければ。しかし私の思考は失礼致します。と横から聞こえた声によって遮断された。それは先ほどの男性の声。


「お茶をお持ち致しました」


「ありがとう、林さん」


 さ、座って。という女性の声に反射的に席に着く。


「どうぞ」


 男性が急須から湯呑にお茶を注ぐと、ふわりと湯気が空気中を漂った。

 淹れてもらったお茶を飲むために香水のついたマスクを顎の下へずらすとお茶独特の良い香りが鼻をかすめた。


「ありがとうございます、頂きます」


「はい。では私はこれで」


 私と女性に会釈をし、男性はまた静かに去っていった。

 お茶を口に運ぶと、あぁ確かに。今まで飲んだどのお茶よりも美味しかった。鼻を通るこの香りも、口の中に残る後味もとても美味しい。


(・・・・・・あれ、美味しい?)


 もう一度口の中へお茶を運ぶ。

 それは確かに 『美味しい』 と、そう感じた。


「どうかしら、林さんのお茶」


「美味しい、です。とても、すごく」


 初めて口にしたものを『美味しい』と感じ、私は胸が暖かくなった気がした。もちろん温かいお茶を飲んだのだから身体が温まるのは当然だけど、そうじゃなくてもっと奥が、身体の芯が、心が、暖まるのを感じた。

 

 

 ―――――きっとこれが『美味しい』という感情。



「ふふ、そうでしょう?食事もきっと気に入るわ」


 女性の顔は見れないけれど、コロコロと弾むような声に嬉しそうにしていることが良くわかった。きっと優しく微笑んでいるであろうその顔が見れないのは本当に残念だ。


「じゃあ、それを飲んだら行きましょう。案内するわね」


 ・・・そうだ、また断りそびれてしまった。

 いやまだ断れる。他に来ているお客さんや従業員の方に合うかもしれないのに旅館内を、庭を、歩くなんて。


「・・・・・・・・・はい。お願いします」


 なのにどうして私は断らないのだろうか。

 

 きっとほんの少し自信を持ったのだ。初めてもった感情に、感覚に。美味しいお茶に。

 今までの私とは何かが違う気がした。



 ――――変われる気がした、いや変わらなければ。




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