03 猫の話③
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家の中にある八畳半の部屋では、目を赤くした未だにすすり泣く彼女と、偉そうに胡坐をかいている奴と、綺麗に包帯を巻き直した灰色の猫を膝に乗せて座る俺が檜で出来た脚の短いテーブルを囲っていた。
俺と彼女は先ほど、事故にあった俺の身体の搬送先である病院へ行ってきた。
と、言ってもこの【一木旅館】の敷地から出た途端に幽体化していた俺の身体は再び猫の身体へ引き込まれたので病院の中へ入るわけにもいかず、外で寂しく待っていただけなのだが。
しばらくしてから一人病院から出てきた彼女は目を赤く染め、その目は少し腫れていた。
彼女によると、俺はトラックに撥ねられ、全身を強く打ち付けた身体はほぼ即死状態だったそうだ。
そりゃ身体を動かせないはずだ。
「それで、不死ってどういう事なの」
この部屋の沈黙は先程よりも目を赤く腫らせた彼女によって破られた。
俺が不死となったのは今から5年程前の事なのだが、彼女にはずっとその事を伏せていた。 言ったところで信じられる話でもないだろうし、実際俺だってこうなるまで半信半疑だった。 が、こうなった以上説明せざるを得ない。俺も不死になったとは聞いていたがしっかり把握していなかったし良い機会だ、と奴の話に耳を傾ける。
「不死は、不死だ。それ以上でも以下でもない」
テーブルに肘をつけながら、さも面倒臭そうに奴が答えた。奴の黒い長髪が机の上に落ちる。
「でもっ・・・・だって死んでるじゃない!」
彼女は自分の目の前に座る奴を睨みつけながら言った。
「死んでない」
本人がちゃんとそこに居るだろ?と奴が俺に視線を向ける。
「確かに居るわ、それに触れる。けど幽霊じゃないっ!そんなの生きてるって言えるの!?私は見たのよ、冷たく動かなくなった彼の身体を!」
何も話せないでいる俺に彼女が抱き着く。その手はまだ小刻みに震えていた。
「そいつは今幽体だが、幽霊じゃない」
「・・・・・どう違うの?」
「そもそも、死の概念が違う。永遠に朽ちることのない身体を不死というとでも? いいや違うな。そいつは不死だが不老でもないし、身体の再生能力だって普通の人間に比べれば多少早い程度だ。損傷が激しければ心臓だって止まるさ」
「つまり、それって死んでるって事じゃないっ!不死でも何でもないわ!」
「いや、不死だ。そいつの場合、身体の機能が止まっただけで死んだわけじゃない」
「え・・・・?どういう事?混乱してきたわ・・・・意味が分からない」
彼女の腕がさらに俺を強く抱きしめる。こんな状態である本人の俺もいまいち意味が理解できない。膝の上に乗せている猫を触っても心臓の鼓動は感じられないし、死とはどう違うのだろうか。
「あー・・・そうだな。極端に言えば身体が腐ろうが白骨化しようが、そいつの意思はそこにあるって事だ。まぁ身体は動かせないけどな、物理的に」
「つまり、永遠に動かない身体に縛られ続けるってことか?」
恐ろしい現実に俺の背中に冷汗が流れる。彼女の手も痛いぐらいに俺の身体に食い込んだ。
「そういう事だ」
あっけからんと言い放つこいつに殺意すら覚える。他人事だと思いやがって・・・・!
「じゃあ、この猫の身体もそのうち腐って動かせなくなるのか?」
「いや、その猫の身体は今は死んだ状態だが、そうして抱えていればじきに再生して心臓も肺も動くと思うぞ?そうなれば、細胞に酸素が行き渡るだろうから腐敗もしないだろ」
「え・・・それなら俺の元の身体だって再生するんじゃないのか?」
急に見えた希望に俺の期待は膨らむ。この猫が再生するなら俺の身体だって心臓が動くようになるはずだ。
「それは無理だろうな。その猫はともかく、見たところお前の身体は損傷が激しすぎるから再生が追いつくよりも先に腐敗が進んで順調に白骨化する」
まぁ、そうなる前に火葬で一発だが。と残酷な現実を奴は何が面白いのか、ケタケタ笑いながら続けた。
「良かったじゃないか、理由は俺様にも分からんが霊体がその猫に入って。・・・・・永遠に暗い墓の中で生き続けたくはないだろ?」
確かに、そうなれば生き地獄だ。そうなれば本当に死んだほうがましだろうな。想像しただけで血の気が引いていくようだ。
「・・・・・ちゃんと生きてるの?死んで、ないの?まだ・・・一緒に居られるの?」
彼女が震える声でそう尋ねた。その目には今にも零れそうなくらいの涙が浮かんでいる。
「ああ、猫だけどな」
これで話は終わりだな、と続けると奴は立ち上がり部屋から出て行こうとするがああ、そうそう。とさらに話を続けた。
「この旅館の敷地内なら俺様のありがたい力で実体のある霊体として動けるが、外に出ると猫の身体に戻るからな。あくまで今のお前の身体はその猫だ」
と、それだけ言い残して部屋から出て行った。
「猫でもいい!一緒に居られるなら・・・私は・・・・っ」
か細い彼女の声に、随分と悲しい思いをさせてしまったなと俺は深く反省した。彼女はまだ21歳で、俺より9歳も下で・・・彼女の人生はまだまだ長い。
「・・・・猫だけど、これからも宜しくね。俺のお嫁さん」
彼女の頭に手を乗せて、優しく笑いかける。少しでも安心させてやりたい。
「・・・っ、もちろんよ、私の大好きな旦那さんっ!」
やっと笑った彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃで、目は赤く腫れあがっていてお世辞にも綺麗とは言えなかったが何よりも愛おしいと思った。
まだ、俺には彼女を、我が子を守ることが出来るだろうか。
彼女の頭を撫でていると外から懐かしいメロディーが聞こえ、今が夕方5時であることを知らせた。
「いけない、保育園へお迎えに行かなくちゃ」
彼女が涙を手で拭いながら立ち上がる。
こんな状態で迎えには行かせたくはないが俺が行くわけにもいかない・・・というか行けないので彼女に任せることにした。
「ああ、行ってらっしゃい。・・・・気を付けてね」
「ええ、行ってきます」
そういうと彼女もこの部屋から出て行った。
お互い散々な一日になったな、と猫を撫でているとトクン、と手に鼓動を感じた。
―――――ああ、この猫は生き返ったのだ。俺の新しい身体として・・・・。
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