出発
建物を出た美沙は、慎一郎の車に乗り込んだ。
慎一郎は美沙達の後にあった、実験ゲームでの被験者で、その時に薬を使われた人狼陣営の中で、細胞組み換えの薬が完璧に利いたたった一人の生き残りだった。
後の数人は薬の作用で激しい心不全や、精神に異常をきたして亡くなったと聞いた。
この薬が上手く作用するヒトの特徴として、脳へ働き掛ける薬が効きにくいというものがあった。
ゲームに参加させられた人たちは、皆薬品の投与で全て忘れて、刷り込まれた他の記憶を正しいものとして後の人生を何不自由なく暮らしていけるのだが、人狼陣営に選ばれた者にとっては違った。
薬に適応出来た者は美沙や慎一郎のようにあの出来事を忘れることが出来ずに生き残り、適応出来なかった者は死ぬ。生きて居ても、体と心のバランスを崩して狂い、病院で一生を過ごすことになるのだ。
慎一郎の運転する車の助手席でじっと前を見つめながら、美沙は言った。
「…今度のは、まだ救いがあるわ。だって、あの薬を投与されないんでしょう。私達のような思いをする子が居ないってことが、せめてもの救い。」
慎一郎は、頷いた。
「確かにそうですね。仲間が次々に狂い死んで逝く中、自分だけが無傷で生き残り、確かに殺したと思いながら昼間は何気なく話している人たちを襲撃する。あんな経験は、もうしたくない。しかし今回は、オレは少しは気が楽なんですよ。死んでたって、あの連中が何時間経っていても再生するのを何度も見て来たので。」
美沙は、ため息をついた。
「お金持ちだけに使うっていうのが、許せないけどね。あれだけの技術があるなら、もっと世のために働けるでしょうに。」
慎一郎は、嘲るように鼻を鳴らした。
「結局は金なんですよ。あいつらに金を出してる連中の、エゴでしょう。自分達だけの特権だという。」
事故現場の横を通過した。
美沙は、どうあっても二人を治療させ、取り返したかった。そのためなら、どんなに卑怯だと言われてもやり切ってみせる。人狼として取り残された時も、最後は一人で戦ったのだ。今度は、慎一郎も居る。二人で、生き残るのだ。今回は、狐として。
慎一郎がそつなく自分の大学の研究室で数人の生徒を連れて来ることに成功した。そして、前回のゲームに参加した中で、比較的安定して薬が作用し、安穏と人生を送っている者達の中で、京介と杏子の二人をアルバイトだと言って来させることが出来た。
人数は揃い、ジョンから送られて来た案内の元、美沙は皆を引率し、そしてあの、島へと向かった。
誰も、目的地を知らなかった。
島へと到着した後に、疑われることがないようにと、美沙と慎一郎も同じように眠った状態で居られるように図らわせた。思った通り、皆混乱していたが、それでも実感が湧かないのかまだ冷静な方だ。
唯一、ここで記憶の欠片がうずくのか杏子だけがビクビクと騒がしかったが、それも予想の範囲だった。
見覚えのある嫌な記憶しかないこの場所へ来て、美沙も心が騒がなかったわけではない。
それでも、ここでは博正への想いを認識した場所なのだ。
博正のためにも、どうしても美沙は正気で戦わねばならなかった。
皆が一当たり納得したところで、部屋へと入った。自分は前回も1の番号を持って、それで生き残った。言を担ぐわけではないが、美沙をそれを知っていて、腕輪の番号を決めていた。
慎一郎は、繋がりを見透かされないように、わざと離れた番号を取る手はずになっていた。慎一郎は10、一列に9室並んでいるのは二人とも知っていたので、10は美沙の1の部屋の真向いに当たることを見ても、わざとその番号を選んだのだろうな、と美沙は思っていた。
慎一郎は美沙より年上だったが、それでも礼を尽くし、とてもよくしてくれていた。後から人狼になった慎一郎は、研究所では美沙の部下のような立場なので、博正に阻まれて研究所へ行けない美沙の代わりによく動いてくれていた。
そんな慎一郎だったので、美沙は今回一緒に来てくれて、本当に心強かった。
勝手知ったるこの建物の中を、さも初めてのような演技をしながら見て回り、やっと部屋へと入った美沙は、机の上の役職カードを睨んだ。
ジョンは、狐にすると言った…でも、気が変わって役職が変わっていたら?
思い切ってカードを表に向けると、狐の図柄がくっきりと描いてあり、その下に妖狐、とはっきり書いてあった。
…やっぱり狐か…。
美沙は、ため息をついた。狐なら、最速で終わらせるなら狼を一気に全部吊ること。
だが、そんなに簡単に行くとも思えなかった。狼だって、必死に抗うだろうからだ。
ぴぴぴ、と腕輪が鳴った。美沙は、慣れた様子で通話ボタンを押すと、言った。
「慎一郎?背徳者だった?」
慎一郎の声は答えた。
『はい。美沙さんはやはり、狐でしたか。』
美沙は、頷きながらベッドへとポンと座った。
「ジョンが言っていた通りだったわ。今までこの人数で背徳者なんか入れたことなかったのに、私達のためにわざわざ入れたのね。」
慎一郎は案じるような声で言った。
『村人がかなり不利な展開でしょうね。この人数に人狼三人と狂人、狐に背徳者。役職騙りの数を考えても縄数が足りません。うまく決め討つよりない。』
美沙は、ため息をついてベッドへと寝転がった。
「村人のことを心配している場合じゃないのよ。私達は生き残らなければならないの。どうせあの子達は死なないわ。あの連中が死なせるもんですか。前の時だって嬉々として心肺停止になってから何時間まで蘇生出来るかとか、実験していたじゃないの。結局みんな蘇生したわ。細胞維持の薬品が投与されてから殺されてるんだものね。」
慎一郎の声が、真剣になった。
『美沙さん、第三陣営が勝つには、オレ達ではなく美沙さんが生き残るのが勝利なんです。オレを生かそうとしないでください。人狼に噛まれる可能性もありますが、どっちにしても死なないのはオレは知っているので。むしろ、オレとのつながりは消した行った方がいいと思うんです。オレは、占いを騙って出ます。』
美沙は、驚いたように起き上がった。
「騙るの?最初から露出して大丈夫?出ない方がいいじゃ…。」
いきなり吊られたりしたら、また一人になってしまう。今度は、人狼と村人の両方から狙われる存在として。
『あなたは人狼の襲撃を受けない。ですが占い師は脅威です。ですから、オレが初日に囲います。後はオレとのラインを完全に切って行ってください。オレも占いで囲った後は一切美沙さんのことに関して話を振りませんから。オレを吊る話が出た時は、それに積極的に同意してください。占い師ローラーの話が出たら、それを勧めてほしい。そうすれば、あなたは残る可能性が上がる。』
美沙は、じっと考えた。確かに、吊られたところで死なないのは自分は知っている。慎一郎が死ぬことで、自分が白くなって生き残ったら、その方がいいのだ。
「わかったわ。」美沙は、答えた。「出来るだけ生き残って欲しいのは変わらないけど、あなたの言うようにしましょう。博正と真司さんのために…人狼を特定して、早く終わらせることを考えないと。」
慎一郎の声は、自信ありげに言った。
『あのうちの半分はオレの研修室の奴らなのです。誰が人狼陣営なのか、あの中なら容易に分かる。オレの本当の人狼としての嗅覚から逃れることは出来ません。毎日一緒に居る奴らなので。』
美沙は、苦笑した。
「それも計算の内なのね。あなたには脱帽だわ。」
そうして、慎一郎の計画通りに、事を進めることになったのだった。




