二回目の投票
『投票してください』
冷たい声が響き渡った。
全員が一斉に腕輪に向かう。
倫子は、急いで杏子の番号を押した。
3…0、0、0。
前のように、迷ったりはしなかった。倫子の中には、明白に杏子が怪しいというだけの理由があったのだ。京介の時のように、ただ何となく怪しい、ではない。
相変わらずエラー音が鳴っている腕輪もあったが、倫子の腕輪は一発でこう言った。
『受け付けました』
そして、顔を上げてじっと待った。結果は、一分で出るのだ。自分は出来る限り頑張った…自分なりに。分かってくれる人も居た。
『終了しました』
みんなの視線が、一斉にモニターを見た。そこには、全員の投票先を表す数字と、そしてその横には、大きく、「3」と表示されていた。
「嫌よ!」杏子が、真っ先に叫んだ。「絶対に嫌!」
『№3は追放されます』
杏子は、椅子を立って飛び出した。
「あ!」
皆が思わず叫んだが、その瞬間に照明がフッと消えた。
京介の時と同じ、ガシャンという金属のような音がするが、杏子の悲鳴は聞こえない。訳の分からない装置が動いている時に、倫子も席を立つことは出来なかった。
「きゃ!なにっ?なに今のっ!」
美沙の声が聴こえる。だが、何も見えなかった。
「どうしたんですか!」
慎一郎の声が叫んでいる。暗闇で行われていることに、皆成す術もないままで居ると、またいきなりパッと明かりがついた。
杏子の椅子は、跡形もなく無くなっていた。
「きゃー!」
結と美沙が同時に叫んだ。
見ると、出口の方へと向かったらしい杏子が、美沙の席から少しの位置で床に倒れている。腕も足も変な方向へと向いていて、顔は真横を向いていた。
『№3は追放されました。それでは、夜のターンに備えてください』
声は言う。
美沙の隣の政孝が、険しい顔のまま立ち上がって、倒れる杏子に歩み寄る。そして、顔を覗き込んで、首の辺りに触れた。
しばらくそうしていたが、息をついて、ゆっくりとこちらを向いた。
「…息をしてない。脈もない。」
一気に、10年も老けたような顔をしている。
美沙は絶句して口を押え、結は涙を流して震えていた。大悟も、慎一郎も歩み寄って行く。倫子は、呆然としていた…死んだの?殺されたの?どうやって?自分達が入れた票のせいで?そんな…そんな…!!
「いやああああ!!」
倫子は、絶叫して顔を覆ってうずくまった。自分だったかもしれない。あれは、自分だったかもしれないのだ。
「倫子、落ち着け!」
要の声がする。だが、倫子は叫ぶのをやめられなかった。一瞬だった…杏子は悲鳴もあげなかった。きっと一瞬で何かがあって、殺されてしまったのだ。
「目も開いたまま…一瞬だったんだろう。」
大悟が、深刻な顔で言う。慎一郎が、頷いて杏子の体を上向きに整えた。
「何も外傷はない…どこかから何かナイフでも飛んで来てやられたのかと思ったが。」
要が、ハッとして腕を見た。
「腕輪…」と、みんなに腕輪を振り回して見せた。「腕輪じゃないか?!ここへ来る時みたいに、何か注射されて…!」
みんなも、一様に自分の腕を見た。どうやっても取れない、この腕輪。これから、何か細工されているというのか。
シンと静まり返って、誰も何も言わなかった。逃げられない…杏子は逃げようとして、こうなった。絶対に、逃げられないのだ。
「…これからは、甘んじて受けよう。吊られることが決定したら、じっと椅子に座って。そうしたら、まだ生きていられる可能性がある。逃げようとしたら、こうなるって戒めなのかもしれない。」政孝は言って、杏子を見た。「部屋まで運んでやろう。ここに転がしておくわけにも行かない。手伝ってくれ。」
要が、杏子の部屋へと走って、シーツを持って来た。それで杏子を包むと、男性数人で手分けして持ち上げて、杏子の部屋のベッドの上へと安置したのだった。
それから、誰も口を開く者は居なかった。
のろのろとペットボトルと軽い食べ物を手にし、それぞれの部屋へと無言で戻って行く。
ただ行方不明になった京介とは違い、死んでしまった杏子のことは、全員の心の中に深い爪痕を残していた。
要は、投票先だけさっとメモを取ると、足早に部屋へと引き上げて行った。倫子も、どうして流れているのか分からない涙を拭くこともしないで、早々に部屋へ入って鍵を掛け、ベッドでただ震えていた。一度美沙が様子を見に来てくれたが、答える声もかすれていて、そして支離滅裂で、美沙も苦笑して部屋を引き上げて行ってしまった。
人が、あんなにあっさり死ぬなんて…。
倫子は、その夜一睡も出来なかった。
空が白み出し、倫子の部屋にも朝日が差し込んで来る頃、部屋の扉がカチリと音を立てた。
ロックが外れた…5時なんだ。
倫子は、ぼんやりとそう思った。人狼の襲撃が行われたのかどうか、分からない。昨夜はじっと起きていたが、それでも外からは何の物音も聞こえては来なかった。
しかし、ここの防音設備が完璧であろうことは、分かる。要の部屋を訪ねた時も、ノックをしただけでは中まで聴こえなくて、インターフォンを押す必要があったからだ。
何をする気力も湧かなかったが、それでもこんなことをしていたら、今夜吊られるかもしれない。
倫子は、重いからだを引きずるようにして、扉を開いた。
途端に、叫び声がした。
「うわ!ダメだ、誰か!誰か来てくれ!」
政孝の声だ。
倫子は、体がだるいのも忘れて思わず部屋から飛び出した。
一番階段に近い部屋の入口で、政孝と要が青い顔をして立っていた。倫子も急いでそれに駆け寄ると、要が扉の前で通せんぼするように立った。
「見ちゃいけないよ、倫子。まだショックから立ち直ってないんだろう。」
倫子は、自分の顔から血の気が退くのを感じた。
「え…まさか、人狼の、襲撃…?」
要は、頷いた。
「多分。まだ側まで行って見てないけど、きっと命はない。だって、あんなに、血が…。」
要は、言葉を詰まらせた。政孝が、要の肩に手を置いた。
「オレが行って来る。お前はインターフォンを押してみんなを起こして来てくれ。」
「手伝うよ。」
倫子も言って、端から順番にインターフォンを押して回った。一番端の9は、結の部屋。結が、人狼の襲撃を受けたのだ。
みんな半信半疑な様子で集まって来たが、側へ行けば否応なく感じる鉄のような血の匂いに、それが嘘ではないことを知った。
男性達が先に立って入って行く。倫子も、現実から目を背けてはいけないと、最後尾ながら部屋の中へと足を踏み入れた。
ベッドの上は、血の海だった。
結は全く抵抗した様子もなく、ただそこに横たわっていた。顔に恐怖の色もなく、目も閉じたまま、まるで眠っているようだ。
しかし、首の横に斜めに走る真っ直ぐな傷跡が、それを否定していた。そこから溢れた鮮血は、ベッドを染め、床も染めていた。
「目が覚めて扉が開いているのが見えたから、中を覗いたらこうだった。」政孝は言った。「昨日の夜のことだろう。血も固まって来ている。人狼の襲撃を受けたら、こうして直接的な傷を受けて死ぬことになるのか。」
しかし、黙ってその様子を見ていた慎一郎が言った。
「いや…。もしかしたら、結は狐だったんじゃないか。」
そこに居た全員が、驚いて慎一郎を見た。慎一郎は続けた。
「オレに占われるのを嫌がっていた。オレが本物だと思っていたんだろう。それで、匠に占って欲しかったんじゃないのか。」
政孝が、慎一郎を見た。
「じゃあ…これは呪殺だと言うのか。」
慎一郎は、頷いた。
「そうだ。オレは昨夜、結を占った。結は白だった…狐だから、殺された。」
しかし、匠が横から怒鳴るように言った。
「何を言ってる!こんな呪殺の仕方があるか?それに、背徳者は誰だ。ここにみんな居る。狐は一人じゃないだろうが!」
しかし、要が顔を上げた。
「そうか、確か…」と、胸ポケットから手帳を出した。「…杏子さん。これが呪殺なら、杏子さんが背徳者だ!結さんは昨日、倫子に投票している。」
「ちょっと待って。」美沙が、青い顔をしながらも口を挟んだ。「じゃあ、人狼は誰を襲撃したの?」
慎一郎が答えた。
「狐は噛めない。同じ結を噛んだのか、それとも他の誰かで護衛成功したのかどちらかじゃないですか。」
相変わらず、美沙には敬語だ。確かに美沙にはそうさせる何かがあるが、最近では倫子は美沙に親近感を持って来ていた。美沙が、いつも何かと倫子を気遣ってくれるからだ。
匠は、大きく首を振った。
「そんなはずはない!オレは…昨日、こいつを占って、黒が出てるんだ!こいつは人狼だ、自分で襲撃した女を呪殺だって言ってるんだ!」
皆が息を飲んだ。しかし、慎一郎は予想していたのか言った。
「お前がオレに黒出しすることは、ここに居る全員が予想していた。オレ自身だって知っていた。だがな匠、もしこれが呪殺でないなら、どうして狼は結を噛んだんだ?狼はオレじゃなくて結を真占い師だと思ったからじゃないのか。結に昨夜占われていたのは誰だ?狼は結を黙らせるために噛んだんじゃないのか。」
議論が進んで行こうとしている。しかし、そこで政孝が言った。
「もう、ここではそれまでにしよう。結のことも、シーツで包んでそっとして置いてやろう。残りの議論は、みんな朝の仕度をすませて、7時に下の居間のソファで。霊能の報告も聞かなきゃならないし、どちらにしろ、身の回りを整えてからだ。みんな、ひどい顔をしているぞ。」
そう言われて、みんなでぞろぞろと結の部屋を出る。
ふと、洋子がその列に居るのを目にとめた。起きてすぐに出て来たらしいその顔は、倫子と同じようにやつれて目の下にクマが出来ていた。それでも、倫子は洋子に声を掛ける気になれなかった。
昨日の投票で、洋子が自分に入れていたのを見ていたからだ。昨日の投票では、たった一票の差で杏子が吊られてしまった。そんな接戦の中で、洋子が自分を見捨てた事実は、倫子の中でどうしようもないほど暗く、汚い感情としてわだかまってしまっていたのだった。




